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8.明けない夜はない

 

 

 

 誰かに必要とされたかった。


 ――おまえなんて、生まれてこなければよかったのに。


 小夜子は両親が笑った顔を見たことがなかった。

 記憶の中に残る母親はいつも暗い表情をしている。いつも怖い顔で小夜子を睨みつけては、怨み言を吐いていた。


 ――ごめんなさい……。


 小夜子に鬼使いの素質がなかったから。

 鬼を使役する神気がほとんどなかったから。

 おちこぼれで、役立たずだから。

 朝倉の鬼使いは土地を守る要なのに。

 獰猛な鬼を縛りつけ、守護する役割があるのに。

 小夜子が鬼使いを継がなければならなかったのに。


 それなのに、小夜子は無能だった。


 それは朝倉の家の者だけではなく、土地の有力者や神職も落胆させた。そのせいで、両親はいつも罵りを受けていることも、小夜子は知っていた。

 だから、無邪気な子供でなどいられなかった。

 いつも周囲の顔色をうかがっていた。


 ――お前は、ここから出ていくんだ。


 鬼使いを踏襲した兄の暁樹からそう言われたときは、苦しくて仕方がなかった。

 小夜子はなんの役にも立たなかったのだ。

 自分の果たすべき役割がなにも果たせない。

 出来損ない。

 おちこぼれ。

 役立たず。

 お前なんて、生まれてこなければよかったのに――私なんて、生まれてこなければよかったのに。


 私は、誰の役にも立てなかった。


 小夜子は伊予いよ市の親戚に預けられ、地元から離れることになる。

 親戚の家では、小夜子によくしてくれたけれど……やはり、申し訳なさでいっぱいになっていった。小夜子は鬼使いになれず、追放された身だ。きっと、気を遣わせている。

 小夜子の居場所など、どこにもないと思った。

 こんなどうしようもない役立たずは、消えてなくなるしかない。

 本気でそう思っていたのだ。

 いつしか、小夜子は夜の五色浜を独りで歩くようになっていた。

 目的などなかった。

 いや、あった。

 五色浜にも鬼がいるらしい。その鬼は、毎晩、白い蟹を探して彷徨っている。

 そんな話にわずかな期待をしながら。


 ――私……。


 だから、実際に鬼を見つけたとき、小夜子はこう言った。


 ――白い蟹を、見つけました。


 鬼の正体は源平合戦に敗れて逃げ延びた平家の姫である。姫は赤い蟹を見て平家の旗を連想した。そして、敵対する源氏の象徴である白を宿した蟹がいるのではないかと考えていた。

 憎き源氏と同じ色の蟹を踏み潰すため、姫は妹たちに白い蟹を探せと命じたが――結局、見つからず。妹たちは、赤い蟹を白く塗って差し出したという。

 嘘を見破った姫は、妹たちを殺して自分も海に身を投げたという伝説がある。

 その姫は鬼となり、今も五色浜を彷徨っていた。


 そんな逸話のある鬼に、小夜子は「白い蟹を見つけた」と答えたのだ。

 手には、白い絵の具で着色した赤い蟹。


 どこかへ消えてしまいたかった。

 こんな自分など跡形もなく、いなくなってしまえばいい。

 一方で、鬼に喰われたと言えば、両親はなんと言うだろう? そんな打算的なことも考えていた。

 やっぱり、私は醜い子だ。

 消えないと。


 しかし、


 ――そうか。


 沈黙のあと、鬼となった姫は静かにそう言った。

 寂しげであり、哀しげでもある声音。般若の能面に隠された表情は見えない。


 ――妾は、其れを探しておったのじゃ。


 その鬼は、小夜子を喰わなかった。

 喰わずに、ただ隣にいてくれた。


 どうして? 素直にそう思った。

 同時に、「自分は生かされたのだ」という実感が胸の中にあふれていった。


 生まれてこなければいい。そう言われ続けた小夜子が、初めて、ここに存在していてもいいと認められたのだと思った。

 鬼にとったら、そんなつもりなどなかったのかもしれない。それでも、小夜子はそう思うことにした。

 不思議な鬼だ。

 姫らしく蝶の柄をあしらった十二単を着ている。

 小夜子は勝手に、彼女を「蝶姫」と呼んだ。蝶姫はそれを嫌がらなかったし、毎日、小夜子が会いに来ることも許した。

 彼女は小夜子に多くを語らない。けれども、小夜子の話をいつまでも聞いていてくれた。

 物心ついた頃から、ずっと罵られてきたことも。

 鬼使いになれなくて、追放されたことも。

 友達が誰もいないことも。

 ずっとずっと、ひとりぼっちだった小夜子にとって、それはきっと友達(・・)と呼べる存在。

 鬼使いのはずなのに、鬼が友達だと言ったら、笑われる。

 たぶん、小夜子の力が弱すぎるからだ。言の葉を紡いでも、蝶姫を使役することなど、できなかった。

 けれども、それでいい。

 だって、小夜子はここにいることを許されているのだから。


 ――いつも笑っていればいいのに。ここでバイトする?


 二度目に驚いたのは、去年の夏だった。

 ひょんなことでお世話になった湯築屋の若女将――九十九の提案に小夜子は当然のように戸惑った。

 自分のように自信のない人間が接客などできるはずがない。それも、神様や妖が訪れる宿屋だ。神気のない小夜子には務まらないと思ったのだ。

 それでも……嬉しかった。

 蝶姫と出会ったときと同じくらい、嬉しかったのだと素直に思う。

 こんな私なのに。

 出来損ないの私なのに。

 役立たずの私なのに。

 それなのに、九十九は小夜子を必要としてくれた。

 そして、気づいたのだ。

 自分がいかに狭い世界で生きていたかを。狭い視野の中で、自分の価値を決めてしまっていた。要らない人間だと決めつけていた。鬼に喰われようとするなど、今を思えば恥ずかしい行為なのだ。

 それを自覚させられた。

 気づかせてくれた蝶姫や九十九は、大切な友達だ。


「わたしたち、友達でしょ?」


 力強く笑って勇気づけてくれる九十九の笑顔は眩しかった。

 小夜子にとって、彼女は太陽のような存在だ。近くにいると温かくなるけれど、決して、同じようには振舞えない遠い存在。

 九十九に笑いかけられると、なんでも、「大丈夫」だと思えてしまう。

 不思議だった。


「私」


 兄が現れて、みんなを困らせている。

 迷惑をかけている。

 重々承知だ。


「やめたくなんか、ない……」


 湯築屋をやめたくなんか、ない。

 絶対に続けたい。


 だって、ここは私の居場所だから。

 ここを九十九と――みんなと一緒に守っていきたいと思うから。


「うん、一緒にがんばろう!」


 そう言ってくれる九十九の笑顔を、いつまでも眺めていたいと思った。

 

 

 

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