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5.お客様、いかがでしょうか?

 

 

 

 ――お前じゃ駄目だ。


 朝倉家において、当初、暁樹の立場はそれほどよいものではなかった。

 神気は一般的に、女子のほうが強く宿る。暁樹の力は鬼使いとして及第点であったが、決して強くはない。牛鬼を御するには力不足と言われていた。

 一刻も早い女児の誕生を望まれ、暁樹はそれまでの「繋ぎ」として扱われた。

 他人に話せば非情だと言われるかもしれないが、それが普通だ。

 朝倉家の役割は、土地の人間に害悪を与える鬼を制御することである。その役割を担うことができなければ、意味がない。役立たずは鬼使いの資格なしとして、最悪、追放されてしまう。

 逆に妹でも生まれたら、鬼使いではない他の職業に就くのだ。

 そう思うと、少し気楽にもなれた。


 待望の女児が生まれた途端、暁樹は不要として扱わる。

 けれども、その女児――小夜子に神気がほとんどないとわかった瞬間、罵倒の嵐だった。

 一番責められたのは、母親だ。土地を守る大事な子なのに、よりによっても役立たず。親類だけではなく、地元の神職や権力者からも罵られたという。


 ――お前なんて、生まれてこなければよかったのに。


 いつしか、小夜子に対する母親の口癖になっていた。

 小夜子の顔を見るたびにそう言うものだから、小夜子はいつでも人の顔色をうかがってビクビクと怯えながら生きていた。


 ――やっと生まれた女児がアレだ……もうお前しかいないんだよ。


 暁樹は鬼使いになるほかなかった。


 凡庸と言われようと、才を持っているのは自分だけなのだから。

 中学を卒業したら、高校へ通わず修行に明け暮れた。足りないものは努力で埋めるしかない。時間を惜しむ間もなどない。似合わず、神頼みもした。

 まともな学生時代など過ごせなかったし、アルバイトもしたことがない。ゆっくりと旅行することもなかった。


「なんでこんなことに……」


 湯気のあがる旅館の露天風呂は、不服ながら大変に居心地がよかった。

 この結界は特殊だ。

 空は常に黄昏色に染まっており、星も月も見えない。もちろん、周囲にあるはずの建物すらなかった。

 岩で囲われた露天風呂の周囲には、這うように朝顔が伸びている。すぐに幻影だとわかったが、その具合が非常に美しく、見入ってしまうには充分であった。眼鏡を脱衣場に置いているので、あまり遠くは見えないのが残念だ。

 温泉は、おそらく道後の湯をそのまま引いている。

 湯の温度は熱めだが、岩風呂になっているお陰で半身浴も可能だった。ゴツゴツした感触も痛気持いたきもちいい。足元も足つぼを刺激するように、小さい石が埋め込まれている。

 少しつかっているだけで、身体がポーっと温かくなってくる。肌も随分と赤くなっているようだ。気がつけば、身体中の毛穴から汗が流れている。


「くっ……普通にくつろいでいる場合か!」


 暁樹はブンブンと首を横にふって湯から出ようと立ちあがる。頭の上にタオルなど載せてしまっていた。完全に温泉気分じゃないか。


「まったく、小夜子のやつ……」


 別に誰かに話しかけているわけではないが、自然と口から小夜子の名がこぼれてしまっていた。


「いやあ、いい湯っすねぇ。神気癒される……って、旦那はもうあがっちまうんでやんす?」

「お前に関係ないだろ、黙ってろ」

「へいへい」


 いつの間にか、呼んでもいないのに牛鬼が湯につかっていた。

 飄々としていて、いちいち癇に障る。この姿になることは珍しい。というより、しゃべるとこの調子なのでたいていは黙らせていた。

 そもそも、この宿の結界の中では神気の使用が制限されるようなので、自由にさせるしかない。制限の具合も、おそらく、結界の主である稲荷神の裁量次第なのだろう。暁樹の場合は、まったく使えない状態となっていた。


 つくづく、妙な宿だ。

 あの稲荷神も引っかかる。

 いくら神の一柱といえど、稲荷神にこんなにも強力な結界が維持できるとは、常識では考えられなかった。

 これは創造神の領域。

 あるいは――。


「お客様っ、お料理の用意ができております! こちらへ、どうぞ!」

「あ、ああ……狐……妖?」


 風呂からあがって脱衣場を出ると、膝丈ほどの子狐が待ち構えていた。

 小夜子と同じ臙脂の着物に、紺色の前掛けをしているので、従業員なのだろう。神や妖が宿泊する旅館なのだ。従業員が化け狐の類でも不思議ではないということか。


「コマと申しますっ! 湯築屋で仲居をしています! ささ、美味しいお食事を用意していますよ!」


 コマと名乗った子狐はモフリとした尻尾をふって先導する。見た目から丁稚かと思えば、仲居なのか。歩き方のせいか、「ぴょこぴょこ」という擬音が聞こえてきそうだった。


「旦那ぁ、ちょっと可愛いとか思いやしたね?」

「うっ……黙れ!」


 どこから湧いてきたのか、牛鬼がうしろをついて歩いていた。暁樹は考えていることを読まれている気がして、気まずくなってしまう。

 歩くのにあわせて尻尾が揺れるんだぞ。着物の丈がパツンパツンで、お尻が丸見えの状態なんだぞ。足も小さくてチョコンとしているんだぞ。

 可愛くないわけがないじゃないか。


「素直におなりなさいな」

「黙れって言ってるだろ」


 いつものように命令で縛れないのが不自由で仕方がない。初見で巫女を威嚇してしまったので、神気を制限されて当然と言えば当然だが。


「こちらですっ!」


 と言われても、案内されたのは暁樹が宿泊する「にぎたつの間」であった。ここなら、一人でも帰ってこられたが……暁樹のちょっと冷めた視線を横に、コマは「一仕事終えた」と言わんばかりにキラキラした笑みを浮かべていた。


「湯はどうであった? ……その顔を見るに、大変満足したようじゃな」

「な……ッ!」


 部屋に入ると、鬼が座っていた。

 般若の能面を顔に張りつけ、蝶の着物を纏った美しい鬼の姫――小夜子が連れていた鬼である。

 

 

 

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