4.お客様になってください
なんだ、あの鬼は。
妹――小夜子と共にいた鬼を思い出し、暁樹は奥歯をギリと噛んだ。
鬼としては平均的。それほど強いわけではないが、鬼使いではないはずの小夜子と一緒にいた。
――私は……その……蝶姫は、私の友達だから……使役してるわけじゃ、ないの。
鬼は神気と瘴気を併せ持つ存在だ。元々は人であり恨みを抱いて鬼となった者や、土地に停滞した瘴気が形となった鬼がある。
おそらく、小夜子の連れていた鬼は前者。暁樹が使役する牛鬼は後者だ。
鬼たちは多かれ少なかれ、人間への恨みを抱くものだ。そして、瘴気を育てている。
本来、対話だけで鬼を御するなど不可能なのだ。
「小夜子のやつ」
思わず、悪態をつきそうになった。
暁樹の感情の揺らぎを察知したのか、足元の影がグニャリと歪む。
影に潜んでいる牛鬼だ。
暁樹たち鬼使いは、言の葉の力で鬼を使役する。対話しているとも言えるが、鬼は時折、使役者の意識につけ入ろうとすることもあった。意志を強く保たなければ、鬼使いは務まらない。
対話だけで力を貸してくれる都合のいい存在ではない。
そもそも、小夜子の弱すぎる神気では鬼と対話しているだけでも、驚きである。
牛鬼は愛媛県南予に伝わる鬼だ。
古来より、人を襲っては喰い荒らしてきた土地の害悪。それを朝倉家の鬼使いが使役することで鎮めてきた。
小夜子には才能がなかったが、暁樹には鬼を使役する義務がある。
「…………?」
門の前にかかった「湯築屋」という紺色の暖簾が、風もないのにふわりと揺れる。
暁樹の影から一瞬でスッと牛鬼が現れた。牛鬼は威嚇するように、口を大きく開いた面で暖簾の向こうを睨みつける。
しばらくすると、来る者を拒んでいた強力な結界が歪む。
「改めまして」
暖簾を潜って、中から出てきたのは小夜子と一緒にいた女の子だった。制服姿ではなく、爽やかな空色の着物を纏っている。
たしか、九十九と呼ばれていた。巫女のようだが……神気は強いが力が未熟すぎる。神気でいえば暁樹のほうが弱いはずなのに、彼女は牛鬼の攻撃にも、まるで反応できていなかった。
いったい、なんの用だ。
「ようこそ、湯築屋へ」
今まで、暁樹を拒んでいたはずの結界が開き、幻ではなく中の様子が見えるようになる。暁樹が何度入ろうとしても、阻まれてしまったというのに……。
「若女将の湯築九十九と申します」
九十九が丁寧に頭を下げると、鬼灯のかんざしが揺れた。とても精錬されており、美しいと思える所作である。小夜子を庇って啖呵を切っていた人物と同じとは思えない。
「いらっしゃいませ、お客様」
顔をあげた九十九の言葉に、暁樹は次の行動を見失ってしまった。
† † † † † † †
暁樹は小夜子のことなど、わかっていない。
ならば、見せればいいではないか。
そう提案したのは、九十九だった。
「い、いらっしゃいませ!」
戸惑っている様子の暁樹を強引に結界の中へと引き入れて、玄関へ通すと、待ち構えていた小夜子が頭を下げた。いつもより明らかに緊張している。声が上ずっているし、顔も引きつっていた。
小夜子にとって、暁樹は恐ろしい存在なのだろうと思う。
聞いていると、小夜子の扱いはほとんど迫害であった。そこまで執拗に責められたのは、きっと、彼女が責務を果たせない身だったからだ。
それでも、九十九はそれを不当だと思う。
自分の価値観で物事を計るのは、きっと悪い癖だ。シロにも言われる。人と神を同じに考えるなと。
でも、小夜子にとって暁樹は兄のはずだ。
このままでいいはずがない。
「お客様、百聞は一見に如かずです。どうぞ、湯築屋をご堪能ください。そして、どうか小夜子ちゃんを見てください」
九十九は笑顔で。
しかし、視線に感情を込めて暁樹を見据えた。
「……なにも事情を知らないくせに」
暁樹はそう吐き捨てた。
けれども、大人しく靴を脱いで玄関へ上がる。そのまま帰ってしまうかと思われたので、少々意外に思った。
「おもしろ……あっしもお邪魔しやんす♪」
音もなくそこに立っていたのは、見覚えのない人影だった。
赤い布切れを身体に巻きつけたシルエットは逞しく、男性のものであった。顔には大きな口を開けた鬼の面をつけており、腰には大きな太刀を帯びていた。
「あの……どちらさまでしょう?」
「酷いですぜ、若女将さん……その顔、なんすか? あっしです、牛鬼です。ここは狭いんで、小型モードでやんす」
牛鬼と名乗った男は随分と気軽に言ってのけた。
たしかに、牛鬼は随分と大きな鬼だったので、湯築屋は少々手狭だろう。彼に限った話ではなく、大きめのお客様が来るときは、たいていサイズをあわせてくれる。
神気が不思議なものであると理解はしているが、サイズだけではなく見た目が別人だったので少々戸惑ってしまった。
「まあ……近くで拝見させてもらうとしますかね」
玄関にあがりながら、牛鬼はクックッと笑う。
なんだか、含みがありそうな笑いだ。暁樹に使役されている立場だというのに、絶対服従というわけでもなさそうである。彼は当然のように暁樹とは別の部屋を要求し、さっさと歩いていってしまった。
「お荷物をお持ちしますね」
「見てわからないか、手ぶらだ」
小夜子を見ると、あいかわらず緊張した様子で暁樹の接客をしている。
暁樹を湯築屋に宿泊させることを提案したのは九十九だ。
小夜子の湯築屋での働きぶりと、蝶姫と接する様子を見てほしい。そう思ったのだ。結界の外よりも、中のほうが安全ということで、シロも許してくれた。蝶姫もそれがいいと賛同した。
最初、小夜子は嫌がっていたが、このままではいけないと思っていたのだろう。最終的には、暁樹の入館を承諾したのだった。
「小夜子ちゃん、がんばろう」
不安そうにこちらを見る小夜子に対して、九十九は力強くうなずいてみせた。
がんばるのは、小夜子だけではない。
湯築屋のみんなでがんばろう。
「…………!」
九十九の意図が伝わったのか、小夜子は少しだけ表情を明るくした。分厚い眼鏡の下で、必死に笑っている。
「それでは、お客様。お部屋へご案内します!」
いつものような笑顔で、小夜子は暁樹をご案内していく。
調子が出てきたようだ。
不安だったが、これなら安心して任せられる。九十九も自分の仕事をしようと、踵を返した。




