1.夏の補習とかき氷
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年もweb版、書籍版ともによろしくおねがいします。
1月に更新予定でしたが、いつもよりも長い話になってしまい、延びました。申し訳ありません。
※本章には一部、書籍版でのみ描写された設定・人物が使用されています。本編中に補足は入れておりますが、混乱する読者の皆様もいらっしゃると思います。ご了承ください※
夏は、キィンと……かき氷。
炎天下に晒されながらも、長い長い行列を征する者に用意されているのは至福の味。勝者しか味わえぬ甘美なひとときに、九十九の笑みが弾けた。
目の前のガラス皿に盛られているのは、ふわっふわの氷の山。
たっぷりと注がれているのは、ゴロゴロと果肉の入った桃のシロップである。食べると想像通り、いや、想像以上の甘味を含んだ桃の味が口いっぱいに広がった。もうシロップというよりは、桃の塊を食べているかのよう。
「ゆづのも美味しそう、ちょーだい」
九十九が一口一口を大事に味わっていると、横からスプーンが伸びる。
「やだ……交換ならいいけど」
無遠慮に伸びた京のスプーンから逃げるように、九十九はかき氷の器を移動させた。
京は隣で身を乗り出したまま、唇を尖らせるが、やがて「……いいよ、うちのやらい」とつぶやく。
トレードが成立したところで、九十九は京が食べていたいちごの果肉いっぱいのかき氷にスプーンを落とした。
「朝倉の伊予柑もちょうだい?」
「うん、いいよ」
伊予柑は愛媛県で広く出回っているみかんの品種だ。水分量が多いが、濃い甘みを有しているのが特徴だ。厚めの薄皮を剥いて食べるので面倒臭がる人も多いが、こうやってかき氷のシロップとして加工されると、旨味を存分に味わうことが可能である。
「おいおいおい! 俺のことは無視するの? 俺も混ぜろっ!」
女子同士で楽しく「食べあいっこ」をしていると、九十九の斜め向かいから憤慨の声があがる。
クリッとした小動物のような目をつりあげて、将崇がグギギギと奥歯を噛んでいた。人懐っこい顔を悔しそうに歪める様は、本人に言うと怒られるのだが、実に可愛げがある。
「……っていうか、ケイブは転校してきたときと性格変わったよな?」
「けいぶじゃない! 刑部だっ! お・さ・か・べ! 舐めんな!」
「おおさかべん?」
「お前、わざとだろ」
わざとなのか、天然なのかわからない京の煽りに乗って、将崇は丸っこい頬を膨らませた。しかし、自分の注文したイチジクのかき氷が溶けそうになっているのを見ると、慌てて口に掻き込む。
将崇は化け狸であると九十九に正体を明かしたあとも学校へ通っている。曰く、もう少し人間の暮らしを満喫したいのだとか。
あれから一緒に遊ぶこともあるが、変な術などはかけられることはなかった。
時々、シロの使い魔と喧嘩しているのを見かける程度だ。絵面が可愛いので、ちょっと仲が良さそうに見えてしまうが、二人(二匹)はいたって真面目にいがみあっている。たぶん。
「男子と間接キスは流石にムリだわぁ」
「べ、別にそんな……! 思ってないから! 間接キスとか……考えてないぞ!」
慌てて反論しながら、将崇は露骨に九十九のほうへ視線を向けた。
九十九が何気なく首を傾げると、将崇は顔を真っ赤にしながら小さくなる。
「お前……じゃない、お前ら女子は危なっかしいからな! 俺がエスコートっていうものをしているんだ。女には優しくしろって、爺様もいつも言ってるからな!」
「わっかりやす」
「…………!?」
将崇の文言に京が嘆息している。
九十九はあいまいに笑ってやり過ごすことにした。
最初は学校へ通い続ける将崇に戸惑ったものだが、今では友達が一人増えたと思っている。にぎやかで、学校生活も楽しい。
この日は夏休みの補習授業。
進学すると決めた以上、九十九は受験生だ。このくらいは受験生のたしなみだろう。
午前中で終わったので、みんなで息抜きがてらかき氷を食べに来たというわけだ。
大街道にある人気のお店で、以前から行ってみたいと京や小夜子と話していた。
「小夜子ちゃん、今日は来る?」
京が将崇の相手をしている間に、九十九はそっと小夜子に問う。
「うん、もちろん」
小夜子は小声で言い、にっこり笑ってくれた。
もちろん、湯築屋でのアルバイトの話だ。小夜子が従業員の仲間入りをして、もうそろそろ一年と少し経つころだ。
最初はおどおどしていたけれど、今ではすっかり湯築屋の一員だ。誰がどう見ても、立派な仲居さんである。
かき氷を食べ終わり、四人で道後行きの路面電車に乗る。
夏の行楽シーズンは観光客でいっぱいで、外国人の姿も多かった。
やや密度の高い電車の吊り革につかまって、揺れながら外を眺める風景はいつもと変わらない。しかし、一年前はこんな風にたくさんの友達と下校することもなかった。
いつもと変わらないけれど、確実に変わっているものがある。
改めて考えると、なんだか新鮮でもあった。
「じゃあ、また来週の補習で!」
家路につく京たちと別れ、九十九と小夜子は湯築屋へ向かう。
セミの声が満ち、じりじりと灼けるような陽射しが突き刺さる。黒いアスファルトが灼熱を返し、上からも下からも熱が襲ってきていた。天然のオーブントースターとは、このことだ。
「暑いね、小夜子ちゃん……せっかく、かき氷食べたのに」
「うん……早く湯築屋に入ろ」
小夜子の言葉に九十九はウンウンと全面的に同意した。
湯築屋の結界は季節や気温に左右されない。敷地内に入ってしまえば、この暑さから解放されるのは間違いなかった。
二人は伊佐爾波神社へ続く、長くて緩やかな坂を早足で歩く。
しかし、湯築屋の外観が見える頃合いになって、急に小夜子の足どりが重くなった。
「どうしたの? 小夜子ちゃん?」
とうとう立ち止まってしまった小夜子をふり返って、九十九は首を傾げた。
「あ、あの……その……」
小夜子は急に口ごもり、視線を下げてしまった。
九十九は不審に思い、湯築屋のほうへ視線を戻す。
門の前に、誰かが立っていた。
こちらをじっと見ているのは、眼鏡をかけた男の人。たぶん、大学生くらい。白いTシャツとベージュの綿パンというシンプルな装いを着こなす細身の青年だ。
青年は腰に手を当て、黙ったままじっと九十九を――いや、小夜子を睨みつけていた。
とても冷たくて、威圧的な表情だと九十九は感じる。
「……お兄ちゃん……」
震える小夜子の口からこぼれた言葉に、九十九は目を瞬かせた。




