10.愛のカタチ
誓いのメッセージカードを書くことを迫られて、九十九はヘナヘナとその場に座り込みそうになってしまった。だが、野外でそんな格好もできない。グッと足に力を入れて耐えた。
「あら、ジョーったら」
サラサラと書きあげたジョーのメッセージを見て、アフロディーテが破顔した。小さく、「ええ」とうなずいたあとに、ペンとメッセージカードを手にする。
メッセージカードは同じ紙に二人で記載する様式となっていた。戸惑いなく、ジョーが書いたメッセージの横にペンを走らせるアフロディーテを、九十九はじっと見つめてしまう。
どうして、あんなに淀みなく書いてしまえるのだろう……。
「九十九から書かぬなら、儂から書くか」
しびれを切らしたシロが、ひょいと九十九からメッセージカードを奪ってしまう。
「あ、ちょ……!」
カードを横取りされて、九十九はパクパクと口を開閉させる。慌てて奪い返そうとするが、シロは身長差を利用して、九十九に触らせてくれない。助けてもらおうと、八雲に視線を送るが、ニッコリと笑みを返されるだけだった。
「はい、書けたわ。ふふ……これ、ホームページというものに載るのね。ギリシャからも見られるかしら?」
アフロディーテが得意げに笑いながら、できあがった二人のメッセージカードを八雲に手渡した。
「インターネットですから、ギリシャからも見られますよ。世界は繋がっておりますから」
「便利な世の中になったわね。そんな世界だから、あたしもジョーに出会えたのかしら?」
そう言いながら、アフロディーテはジョーの腕に両手を絡みつけた。あまりに自然な動作であり、それが当たり前のようだ。
「……お二人は……なんて書いたんですか?」
九十九は意識しないまま、そんなことを聞いていた。
アフロディーテは、「いいわよ」と言いたげに優美に笑う。ジョーのほうも無言でうなずいていた。九十九は恐る恐る、八雲が差し出すお客様たちのメッセージカードを覗き込む。
『幸せです』
たった一言、そう書かれていた。
二人とも、同じ。
「だって、伝えることも、誓うこともないんだもの」
言いながら見つめあう二人を、九十九はぼんやりと眺めてしまった。
「愛してるなんて、いつでも言ってるし」
ごくごく自然に。
呼吸をするような。
それでいて、とても特別な。
そんな声音で発せられた言葉に、九十九は引き寄せられていた。
「愛することは、弱さを見せることで、きっと、とても恥ずかしい。それでも、僕は弱い自分を晒してでも……伝えたいときに、想いを口にしたい」
なんでもない日常の言葉のように平坦だが、流れる音楽のように美しい。心にスッと入り込む。こんな詩を語る歌があってもおかしくない。
そう思えるフレーズだった。
世界中を魅了したジョー・ジ・レモンの言葉だから――いや、そんな名前などどうでもいい。誰の口から聞いても、今の九十九には響いたに違いない。
「ワカオカミちゃんは、恥ずかしいの?」
問われて、九十九は自問する。
――人は、それを愛と呼ぶのではなくて?
宇迦之御魂神に言われたとき、九十九はなんと思っただろうか。
恥ずかしかっただろうか。
恥ずかしさも多少はあったが……なによりも、驚いた。だって、そんなことなど今まで考えたことがなかったのだから。驚いて、慌てて……それでも、宇迦之御魂神を否定する言葉が思いつかなかった。
そして、九十九自身、今の自分の中にある感情を、別段、嫌だとは思っていない。
嫌ではない。
むしろ、ほのかに胸の奥が温かくなって、ちょっとだけ……元気になる。
きっと、これって、「愛」なんだって否定できない自分がいることに、九十九は自分でも気づいてしまっていた。
だから……だから、自分の中に引っかかる、別の気持ちにも気づいてしまっている。
それがすごく醜くて、もどかしくて……そんなことを考えてしまっている自分のことが、とても嫌いだった。
「ふん、九十九。観念して、儂への誓いを書くのだ」
シロが「ふふん」と鼻を鳴らしながら、九十九の前にメッセージカードを突きつけた。おそらく、傀儡ではなく本人が目の前にいたら、大きな尻尾をブンブンと横にふっていることだろう。
自分に絶対の自信を持っていて、拒絶されないことを疑っていない。
とても、神様であるシロらしい振る舞いであった。
「……シロ様、なにこれ……」
書かれていたメッセージを見て、九十九は苦笑いした。
『九十九は儂の嫁』
これは、ひどい……!
「己の嫁に対して、使う言葉なのだろう? 天照が言っておった!」
「シロ様、もっとマトモなこと教わっておいてください!」
「なに!? 駄目なのか!?」
教えた天照がそもそも悪い気もするが、この場面で、これをチョイスしてしまうシロも同罪だと思った。
本当に、この駄目神様は……と、九十九は重いため息をつく。
「はあ……」
改めて、九十九はメッセージカードを見据える。
このメッセージの隣に書くのだから、あまり真面目ではなくていいのかもしれない。それにしても、これはひどい……うん、ひどいなぁ。九十九は、まじまじと文字列を見て肩を落とす。
そもそも、これは恋人たちの誓いを書くカードだ。
なら、自分の抱負を述べるのがベストではないか?
『いい妻になります』
九十九は迷った挙句に、こう書いてみた。
まだまだ未熟で、巫女としても、妻としても一人前とは言えない。だから、これからがんばっていきたい。そういう意味を込めて。
「ほお。それでは、九十九よ。そろそろ床を共に――」
「調子に乗らないでください」
ノリノリで肩に手を回すシロの傀儡を、ピシャリと払いのける。肌の温もりが薄い人形の手は、やっぱり無機質な気がして好きではない。シロらしい仕草や表情をしているが、実物に比べると幾分か人間味がない。いや、神様だけど。
「言いたいことは、思ったときに伝えるべきだと思うよ。あとから伝えても、遅いこともある」
九十九のメッセージを見て、ジョーがポツンとつぶやいた。
「え……」
ジョーの言葉に、九十九は顔をあげる。
だが、ジョーはそれ以上のことは言わず、フラリと庭園内を歩いていってしまう。あちらには、大井戸遺構があったはずだ。日本でも珍しい大きさの井戸で、東西に十八メートル、南北に十三メートル、深さ九メートルで、防火用のため池として使用されていた。
アフロディーテやシロも、ジョーと同じ方向へ歩いていく。観光なので、次々と巡るに限るだろう。
「あとから伝えても、遅い……かぁ」
九十九だけが一人でポツンと残されて。
神様たちは嘘をついていない。
九十九だけが一人で……。
だって、言えるわけがない。
こんな自分勝手な想いを告げることなんて、できない。




