9.なにを誓えっていうんです!?
松山城の建築に着手したのは、当時の大名加藤嘉明である。
十五万国は当時としては大都市に分類されただろう。城下町を見下ろす天守からの景色を、どのような心持ちで藩主は眺めていたのか。
「グゥゥレイトォォオオ!」
天守閣に登った瞬間、ずっと物静かだったジョーが急に興奮して叫びだしたのだ。アッシュブラウンの髪を激しく振り乱し、自分の曲を歌いながらエアギターをはじめてしまった。
最初は驚いた九十九だったが、もう十五分もあの状態なので、そろそろ慣れてきた頃合いだ。流石に、天守の窓に足をかけて身を乗り出そうとしたときは止めたけれど。
「ジョーってば、高い所へ行くと興奮しちゃうのよね」
「ロープウェイでは、平気だったじゃないですか?」
「標高百メートル以上ないと駄目みたいなの」
「基準があるんですねぇ……」
「まあ、わからなくもないわ」
「あ、そこは理解してるんですね」
城内に展示されている刀剣や兜の試着体験など、外国人が興奮しそうなものは全てスルーだったが……スーパースターの琴線はよくわからない。
「イエス! イエス! イエェェェッス!」
しかし、そろそろ周りの観光客に迷惑な頃合いだ。
それに、死後数年経っているとはいえ、ジョーは顔の知れた有名人。あまり長居できないので、珍しく空気を読んだシロが興奮状態のジョーを片手でヒョイと持ちあげて回収していく。傀儡とはいえ、大の大人をいとも簡単に持ちあげるなど、神様は本当にすごいなぁと、九十九は妙なところで感心した。
「オーマイガッ!」
「そなたも神であろうに、祈る必要などなかろう?」
「シロ様が的確に突っ込んでる……!」
暴れるジョーを抱えたまま、狭いお城の階段を降りていくのは、流石。
お城と聞くと、なんだか雅で贅沢な想像をしてしまうが……実際の城には、そのような要素などあまりない。
城とは本来、戦うためのものだ。堀に巡らされた水も、ネズミ返しの造りをした城壁も、いくつもの門を潜らねばならない構造も、すべてが実戦のために存在する。
城は居宅ではなく、いわゆる、拠点。
攻め落とされないための工夫が施してあるのだ。
故に、中の通路や階段も狭く、正直なところ、動きにくい。特に階段などは傾斜も急で、ほとんど梯子状態であった。頭上に注意しなければならないところも多い。
九十九はもじもじと、グレンチェックのスカートの裾を左手で押さえながら、慎重に階段を降りる。すると、ジョーを抱えて先に降りていたシロと目があってしまう。
「な、なんですか」
「? 特になにも言いたいことはないが?」
ちょっと自意識過剰だったかな。九十九はモヤモヤしつつも、ちょっぴり安心した。
「そのように隠すなら、ズボンを穿けばよかったでは――」
「馬鹿神! 駄目神! スケベ!」
結局、見てるんじゃないの! 九十九は顔を真っ赤にしながらシロを罵倒する。シロはどうして怒られたのかわからない様子で、キョトンとしていた。
「ナイス」
シロに抱えられたジョーが、グッと親指を立てる。標高が下がって、少しテンションが落ち着いているように思う。
アフロディーテがクスクスと笑いながら、階段を降りてくる。こちらは、「来世から本気出す」のTシャツにジーンズというコーディネイトなので、ローアングルはまったく問題なかった。そんなシンプルな装いでも、豊満すぎる胸部が強調されているせいか、地味に見えない。
「は、早く降りましょ!」
九十九は恥ずかしくなって、一番先に次の階段を降りはじめるのだった。
そんなこんなで松山城を満喫したあとは、お客様がご所望の「恋人の聖地」――二之丸史跡庭園へ向かうこととなる。本来は、ここが目的地だ。
一度、長者ヶ平まで戻り、県庁裏登山道を下っていけば辿り着いた。
二之丸史跡庭園は表御殿跡と奥御殿跡に大別されている。表御殿は藩主の住居。裏御殿はその家族の住居。北側の四脚御門には、足軽などの詰所、応接座敷、書院、その他公式儀礼の間があった。本来は四脚御門が公式の表門だったそうだ。
発掘作業の末に、平成四年に史跡庭園として再現されて以来、松山城の観光スポットの一つとして数えられている。
「うん、いい……日本庭園」
標高が下がったせいか、ジョーもすっかり落ち着いていた。いつもの寡黙で大人しい様子で、史跡庭園の風景を楽しんでいる。
和装での結婚写真の撮影が多いこともあり、純和風の日本庭園の風情があった。
大きな池と城山の風景が調和している。木々の間から見える茶室と、遠景の天守閣がマッチしており、なんとも筆舌に尽くしがたい風景となっていた。
上空を飛ぶ一羽のとんびが、こちらを見下ろしているようだ。
「ぐぬ……とんびが、儂の松山あげを狙っておる……!」
シロの傀儡が勝手に、とんびへ敵意を向けていた。
「シロ様、それただのCMですから。とんびは、松山あげ狙いません」
「そうなのか!? 定番ではないのか!?」
とんびに油揚げをさらわれる、という諺をネタにしたCMだ。美味しい油揚げだけを狙うという意味で、松山あげをさらっていく。
もちろん、ローカルCMなのだが、県民はずっと毎日見ているので無意識に印象を刷り込まれている。毎日テレビを見て過ごしていたら神様でも、こうなるのかと九十九は妙に興味深く思った。
「ねえ、あれはなにをしているの?」
庭園散策をしていたアフロディーテが、何気なく指をさす。
身を寄せ合う男女――恋人と思わしき二人組が、小さな紙を覗き込んで笑いあっている。その様がなんとも幸せそうで微笑ましく、甘い香りでも漂ってきそうだった。
「たぶん、誓いのメッセージを書いているのですよ」
やや距離を置いて陰のように歩いていると思ったら、スッと要所で出てくる八雲。勤続二十年の番頭の仕事である。
「もらっておきましたので、どうぞ。ペンもありますよ」
八雲はさりげなく、アフロディーテに小さなカードを手渡す。
縦に長い紙の真ん中には線が一本。左右に「 へ」と、宛名を書けるスペースが一つずつあった。ここに、恋人の名前とメッセージを書くということだろう。とてもシンプルで、わかりやすかった。
「お互いへのメッセージを書いてください。提出しますと、掲示板と松山市のホームページで毎月紹介してもらえます」
「へえー! 面白そう。デザインも、まあまあキュートね」
「ふうん……二人で一枚か」
お互いにメッセージカードを眺めたあとに、どちらから書こうかと顔を見合わせている。だが、おもむろにジョーが八雲からボールペンを受け取った。どうやら、ジョーが先に書くらしい。
「若女将も」
「へ!?」
他人事のようにお客様を見ていた九十九の前に、八雲が抜け目なくメッセージカードを差し出した。突然のことで、九十九は間の抜けた声を出してしまう。
九十九は思わず、八雲から視線を反らしてしまった。だが、その先には運悪くシロがおり……メッセージカードを受け取ったまま、身体をグルリと反転させる。
「どうした? 九十九? なにか書かぬのか?」
九十九の気を知ってか知らずか――いや、絶対に理解していない――シロは物欲しげにこちらを覗き込もうとする。きっと、湯築屋のシロなら尻尾をブンブンふっていることだろう。
「う……か、書きません!」
「何故だ!?」
苦し紛れに吐いた九十九の言葉に、シロは酷く落胆した表情を見せた。
「そ、それは……こ、これ、恋人用でしょ!? シロ様とは夫婦なので、恋人じゃないから……」
「む。たしかに! 八雲、夫婦用はないのか?」
「ご夫婦で記入しても、問題ないかと」
「八雲さぁん!」
九十九は涙目で訴えたが、八雲は期待する助け舟をまったく出してくれない。
困った。とても、困った。
シロの傀儡から浴びせられる期待のまなざしが刺さる。
――人は、それを愛と呼ぶのではなくて?
わたしは。
わたし、シロ様のこと……シロ様の、こと……。




