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8.伝説の蛇口みかんジュース

 

 

 

 松山市を見下ろすのは、現存する天守閣――松山城だ。

 市の中心部に位置する城山は標高百三十メートル。その頂上に載った天守からの眺めは格別であると評判だった。松山市でも有数の観光地であり、ここを中心に都市開発が行われている。

 天守閣へ登るルートとしては、徒歩の登城口のほかにはロープウェイの利用があった。一人乗りのリフトと、大人数乗れるロープウェイがあり、好みにあわせて購入することとなる。


「えええ? リフトは一人乗りなの? せっかく、ジョーと二人きりで空中散歩できると思ったのにぃ」

「……僕は、どちらでも」

「じゃあ、あたしもどっちでもいいわ♪」


 ロープウェイとリフトの説明をすると、アフロディーテとジョーはそんな様子。ジョーが少し素っ気ないような気もするが、アフロディーテは大して気にしていないようだ。

 アフロディーテの注文した二之丸史跡庭園は城山の一角にある。どうせなら、天守閣の観光もしたほうがいいだろう、ということでプランを組んだ。


「儂も九十九と空中散歩でイチャイチャしたかった」

「シロ様、リフトなんて乗らなくても普通に飛べるじゃないですか」

「雰囲気というやつだ!」


 はいはい、と適当にシロをいなして、九十九は五人分のロープウェイ券を購入する。リフトだと一人ずつ乗ることになってしまうし、ロープウェイ内は観光案内のアナウンスも流れるため都合がいい。


「ロープウェイは十分おきの運行です。今、前の便が行ってしまいましたので、待っている間に菓子などいかがですか?」


 次のロープウェイを待つ間、八雲がニコリと笑って菓子の箱を差し出す。そういえば、車を駐車場へ置いて帰ってくるときに、どこかへ寄ったと言っていた。

 何気なく箱を覗き込んだあとに、九十九は顔をパアッと明るくする。


「霧の森大福!」


 霧の森大福は四国中央市に本店と工場を持つ愛媛の菓子である。

 四国中央市新宮町で採れる茶をふんだんに使った大福で、県外からも注文が殺到する人気商品。ロープウェイ乗り場に続く坂道――通称、ロープウェイ街に松山店はあるが、基本的に開店前から並んでいなければ買うことができない。


「え、まだ売っていたんですか!?」

「ええ。今日はラッキーですね……これだけお客様(神様)がそろっていますので、きっと、ご加護があったのでしょう」

「神様がそろうと、いいことあるもんですね」


 八雲はアフロディーテとジョーに一つずつ、霧の森大福を手渡した。シロの傀儡も地元なのに滅多に食べられない菓子を掌に載せて、嬉しそうにしている。きっと、本物のシロは湯築屋で尻尾をブンブンふっているだろう……本人は食べられないけれど。


「え、なにこれ。美味しい! ワカオカミちゃん、これ美味しいわ!」


 霧の森大福を食べたアフロディーテが、とろけそうな表情で身悶えしている。身体の動きにあわせて、「来世から本気出す」と書かれたTシャツの文字がぽよよんと上下した。

 九十九も自分の大福を包みから出して、指でつまんだ。

 見た目は抹茶のまぶされた小さな大福だ。

 持ちあげると、ふんだんに使用された抹茶の粉がサラサラと落ちそうになるため、注意が必要だった。

 口に運んだ瞬間、期待通りのほろ苦さと、抹茶の香りが広がる。そして、柔らかな求肥ぎゅうひが潰れると、中からとろりと甘いあんこと、中和するように滑らかなクリームが溢れ出すのだ。

 甘さと苦みのほどよい調和と、癖になる柔らかさが堪らない。

 指についた抹茶を舐めるまでが、霧の森大福の美味しさだ。


「むむ……儂も九十九を餌付けしたいぞ」

「餌付けって……なんですか、その言い方」

「だって、九十九はいつも美味いものを食すと、幸せそうな顔をするではないか」

「わたし、そんなに変な顔してます?」


 シロの言っている意味がわからず、九十九は眉を寄せた。困った駄目夫である。


「儂は、その顔を見ているのが好きなのだ」

「どうでもいいですけど、ロープウェイ来ましたよ。さっさと乗りましょう」


 どうでもいい話は適当に切りあげて。

 文句を言うシロを放って、一行はロープウェイの中へと入っていく。


「箱が宙吊りになっているみたいね。落ちたら、嫌だわ」


 ロープウェイの構造に不安を覚えたのか、アフロディーテがジョーにギュッと抱きついた。ジョーは変装用のサングラス越しにアフロディーテを少し見て、「こういうのは滅多に落ちないから大丈夫」と小さな声で言う。


「これだけ神様がいらっしゃるのですから、落ちても大丈夫です」

「八雲さん、安心させたいのか不安を煽りたいのか、わからないことをサラッと言わないでください」


 八雲の言う通り、これだけ神様がいれば落ちてもなんとかなりそう……と思いつつ、そもそも落ちる前提で話を進めるべきではない。縁起でもない!

 そんな会話をしているうちに、ロープウェイは木々で埋まる山道や松山東雲高校を見下ろしながら、あっという間に終点へ。と言っても、一気に天守閣へ辿り着くわけではない。ここから約十分の距離は歩かなくてはならなかった。

 ロープウェイを降りると、長者ヶちょうじゃがなる駅だ。広場になっており、土産物屋や喫茶が並んでいた。

 ここから、天守まで歩くこととなる。


「長者ヶ平には由来がありまして……昔々、ある貧乏人の男が住んでいました。男は神様にお金持ちになりたいとお願いしたそうです」


 さりげなく、八雲が地名の由来を話しはじめた。


「あ、わたしもそれ知ってます。たしか、願いが叶ってお金持ちになるんですよね?」

「そうです。でも、お金持ちになるったはずの男は神様に再び貧乏人に戻してくれと頼んだそうです。男は願った通りに貧乏人に戻りましたが、幸せに暮らしたそうですよ。男の家があった場所を、今では長者ヶ平と呼んでいます」


 八雲の説明に、アフロディーテが「どうして、貧乏人に戻ったの?」と首を傾げた。


「僕には、わかる気がする」


 サングラスの下で目を伏せながら、ジョーがつぶやく。アフロディーテは、もっと不思議そうに息をついた。


「名誉や地位を手に入れると……いろいろ面倒だからね。やることも増えるし、楽なことばかりじゃない。ただの人(・・・・)に戻りたくなることは、よくあった。お金はあっても、幸せにはなれないし」


 ジョー・ジ・レモンは世界的なアーティストだった。数年前に亡くなって、今でも語り継がれる伝説だ。そんな人でも、「ただの人に戻りたい」と思うことがあった。

 九十九は神様の妻で巫女かもしれないが、ただの女子高生だ。彼の感覚はよくわからない。よくわからないが……何故だか理解できた。


「それ、よくわからないわ。人間の男は、いつだって地位と名声を欲するわ。あと、女ね。それで戦争を起こすこともあった。ジョーだって、欲しかったんでしょう?」

「そうだね。実際、僕は手放したいと思うことはあっても、手放さなかったしね。支えてくれる人に申し訳なかったし、恩返しもしたかった。だから、貧乏人に戻りたいって願った、その男のことは羨ましく思う反面で、愚かだとも思っているよ」

「理解できないわ……でも、人ってそういうものなのね? 面白いわ」


 ジョーは神様だが、アフロディーテとは明らかに成り立ちが違う。神様同士でありながら、完全にはわかりあえない存在だった。

 でも、ジョーは率直に意見を言い、アフロディーテはそれを素直に受容している。

 二人を見て、九十九は何故だか胸がしめつけられた。こういう気持ちは、去年の夏、小夜子と蝶姫に出会ったとき以来かもしれない。


「わがままなだけだよ。あと、これは僕っていう個人の考えだし、みんながそうじゃないと思う。君たち(神々)だってそうだろう?」

「まあね、いろんな神がいるわ。面白くてよ?」

「そうだろうね。生きているときは、信じちゃいなかったが……まさか自分が神になるとも、思ってなかったね」

「ふふ。神なんて、そういうものよ」

「理解できないな」

「そうだと思うわ」


 アフロディーテはやんわりと笑いながら、優しい手つきでジョーの頭に手を伸ばす。慈悲深い聖母のような表情で、アッシュブロンドの髪をなでられて、ジョーのほうは照れ臭そうに視線を反らしていた。

 恋人のようでいて、母子のようにも見える。

 なんだか、不思議。


「なんだ、九十九。随分と、物欲しそうな顔をしているでは――」

「あ、見てください! 蛇口みかんジュースがありますよ!」


 ふと、シロと目があいそうになってしまったので、九十九は全力で話題を逸らした。

 なんでだろう。ちょっと恥ずかしい……いつもと違う意味で……!


「蛇口?」

「みかんジュース?」


 九十九が大声をあげると、お客様たちがキョトンと目を瞬く。

 城山の頂上に着くと、天守閣が見える。その手前は広場になっており、ちょっとした甘味処があった。

 店先にあったのは、その名の通り――蛇口みかんジュース。

 愛媛県と言えば、みかん。

 そして、有名なのがポンジュース。


「愛媛県の家庭には蛇口が二つあって、一つは水道水、もう一つからはポンジュースが出てくるんです!」


 ポカンとしているお客様二人に、九十九は胸を張って答えた。すると、ジョーとアフロディーテが「へー!」と感心したように表情を明るくする。


「という、ジョークがあるんですよね」

「なぁんだ、ジョークなのね」

「……騙された」


 アフロディーテは肩をすくめ、ジョーは心底ガッカリした表情を作った。

 九十九はすかさず、店先に設置してある蛇口を指し示す。

 看板には「蛇口みかんジュース」。


「そのジョークを元に、開発されたのが蛇口みかんジュースです。今では松山空港にも常設されていますし、観光地やお店にも置いていることがあります。楽しいですよ? ちょうど、喉も乾きましたし!」


 九十九はそう言って、お店の人にお金を払って専用のグラスを受け取り、アフロディーテに手渡す。アフロディーテはグラスを手にして嬉しそうに、ゆっくりと蛇口をひねった。

 最初はポタポタと。もう少しひねると、オレンジ色のジュースによってグラスが満たされていく。


「わあ! 思ったより、楽しいわね!」


 ただグラスにジュースを注ぐだけなのに。

 アフロディーテは満足そうに、みかんジュースでいっぱいになったグラスを両手で持って飲みはじめた。横で見ていたジョーも、海のような碧い瞳を輝かせている。九十九は、ジョーにもグラスを差し出した。


「九十九、儂も! 儂も!」

「シロ様、傀儡だし飲んでも意味ないじゃないですか」

「楽しいからよいのだ! ……よし、湯築屋にも設置しようではないか」

「……単純ですね」


 九十九は軽くため息。

 早速、八雲に設置したいから経費をなんとかしろと迫っている。困ったオーナー様だ。

 そんなシロをチラリと横目で眺めながら……九十九は一人で口を曲げる。


 ――人は、それを愛と呼ぶのではなくて?


 こんなに子供っぽくて、残念で、わがままな神様のことなんて……そりゃあ、一応は夫婦だけれど……夫婦だけど――夫婦なのに?

 無意識のうちに、九十九は自分の思考が矛盾していることに気がついた。


 わたし、なにが気に入らないんだろう。

 

 

 

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