6.羨望
ギリシャ神話の神様とのWデート。前にもあったパターンの気がするなぁ。
なりゆきで決まってしまった今週末のWデートに、九十九は嘆息した。
「デートって言うから変なのよ……これは、接客。おもてなしだもん」
などと言いながら、九十九は自分のモチベーションを無理やり仕事モードへと切り替える。
行先も松山城二之丸史跡庭園と決まっており、案内しやすい。周囲にも観光名所があるし、美味しいご飯も何軒か心当たりがあった。
シロ曰く、傀儡を使ってアフロディーテたちの神気を隠すことは可能らしいので、ヘラからの襲撃を受ける心配もなさそうだ。
……あれは、恐ろしいものだった。思い出したくない。
「ス・イ・カぁ! スっイっカっ!」
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、陽気で明るい声。トテトテという足音が聞こえ、すぐに廊下の角からコマが飛び出してくることを予見した。
九十九は余裕をもって、角の隅で立ち止まる。
「あ、若女将っ! 八雲さんが、またスイカくれたんですよ。幸一様にお願いして、切ってもらいましょう!」
角から浮かれた様子で飛び出したコマは、キラキラとした視線を九十九に向けた。頭の上に丸々と大きなスイカを載せており、とても嬉しそうだ。モフッとした尻尾を左右に揺らしている。
「いいよ。また一緒に食べましょ……今度は、食べ過ぎないようにね?」
「うっ……はぁい」
コマは少しだけ恥ずかしそうに頬を赤くしながら耳を垂らす。その拍子に、「おっとっとっとっ」と、バランスを崩して頭に載せたスイカを落としそうになってしまう。
九十九はとっさにスイカを両手でつかんで支え、ホッと一安心。とても立派で重量感のあるスイカだ。きっと、甘いだろう。
「ありがとうございますっ!」
「どういたしまして。気をつけてね?」
「はいっ!」
九十九が手を離すとコマはキリッとした表情に改まる。もう絶対に落とさないぞ、という気合いが見てとれた。
トットットッと軽快な足音を立てながら廊下を進むコマのうしろ姿を見送る。微笑ましい気分になるのは、コマがいつも一生懸命だからだ。
「コマはあいかわらずですね」
コマに癒されていると、うしろから近づいていた人物に気がつかなかった。
「あ、八雲さん」
霊体化し、神出鬼没な神様たちとは少し違う。それなのに、九十九は八雲の気配に気づかないことは、よくあった。それは神気を扱うための呼吸であったり、特有の歩き方であったり。九十九がまだまだ身に着けられていない技能の部分が大きい。
九十九ができることと言えば、シロの神気を少し借りることだけ。
神気の力は随一だと評されるが……正直なところ、まだまだ未熟で半人前の巫女である。
「Wデートするそうですね」
「うっ……もう知ってたんですか?」
「シロ様が嬉しそうに吹聴していらっしゃるので」
あの駄目夫……!
嬉しそうに尻尾をブンブンふり回しながら、従業員に自慢しまくるシロの姿が思い浮かんでしまう。
「?」
あれ、また?
「……八雲さん、最近、なにかありましたか?」
また、少しの違和感。
九十九自身にも言い表せない小さな違和感だった。これまでは聞くのを躊躇ってしまっていたが……。
「どうしてですか?」
「いえ、なんとなく……なにもなかったら、いいんですけど」
なんでもないように返答され、九十九は逆に口ごもってしまう。
そんな九十九の様子を見て、八雲は困ったように息をついた。
「あなたは女将に似ず、勘がいいですね」
「へ?」
困ったような、しかし、あきらめたような。フッと息をつく八雲の顔を、九十九はなんと形容すればいいのかわからなかった。
「強いて言えば、うらやましい……でしょうか」
「うらやましい、ですか?」
「ええ、天照様と同じです。あんな風に、お部屋の外まで聞こえる声で叫んだりはしませんが」
あ。天照様、部屋にいるときもキィキィ地団駄踏んでるんだぁ……九十九は自然と顔が引きつった。
「私も、アフロディーテ様たちがうらやましいと感じるのですよ」
八雲は少し寂しそうに笑って、そう吐き出した。その瞬間、九十九は「ああ、やっぱり聞かないほうがよかったのかな」と思う一方で、「どうしてだろう?」と続きを促す自分にも気づいてしまう。
「昔、お慕いしていた方がおりまして」
きっと、それはいけないことだとわかっているのに。
「でも、その方には決まったお相手がいました。私はそれを仕方のないことだと片づけて、見守っていようなどと考えていたのですよ」
八雲はスッと視線を庭のほうへと移す。
藍色の空の下で踊り飛ぶ蛍の一匹が、ふわりとこちらへ向かってくる。
「でも、結局は……結局、その方はまったく別の男性とご結婚されました」
「あの、それって――」
八雲が話しているのは、誰のことだろう?
「自分では駄目だったとわかっているのですが、もしかすると……などと考えてしまう。そんな浅はかな自分を思い出してしまって、ちょっとした羨望を抱いただけですよ」
自分から聞いたのに。
九十九はなにも言えないまま、口を半開きにしてしまう。
「聞いてくれてありがとうございます、若女将。少しばかり気分が晴れました」
清々しくて、優しい表情。
いつもとなにひとつ変わらない笑顔で、八雲は九十九に軽く頭を下げる。
ありがとうございます、と彼は言う。
けれども、九十九は。
九十九は、そんな彼の心が少しも晴れていないのだと、気づいてしまった。
でも、なにも言えなくて。
言えなくて。
言えないまま、立ち去る八雲を見ていた。




