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4.蛍の夢

 

 

 

 そういえば、小さいころ、庭にスイカの種を撒いたっけ……。

 種を植えた場所からは、なにも生えなかった。

 湯築屋の結界に存在する植物はみんな幻影で、根を張って育ったものではない。ここでは、なにも育たないのだと、昔教えてもらった。だから、夏休みの自由研究では外から持ち込んだ土でアサガオを育てた記憶がある。


 誰に教えてもらったんだっけ?


「若女将、もう夕涼みはよいのですか?」


 スイカの食べかすを盆に載せ、厨房まで運んでいる九十九の背に声がかかる。

 柔らかい、温かみのある微笑みがあり、九十九も自然と口元を緩めた。


「八雲さん。スイカ美味しかったです、ありがとうございます……一緒に食べればよかったのに」


 九十九がそう言うと、湯築屋の番頭・坂上八雲はあいまいな表情を浮かべた。


「仕事が立て込んでしまって……美味しいと言っていただけて、なによりです。実家に伝えておきますね」

「八雲さんのご実家から送られてくる野菜、どれも美味しいです」

「それはよかった。きっと、母も喜びます」


 八雲の母親は湯築家の出身だ。巫女にはなれなかったが強い神気を持っており、子である八雲も神気の扱いに長けている。

 湯築屋の結界の中ではお客様である神や妖の力は制限されているため、接客に神気の有無は関係ない。しかしながら、湯築家は巫女であり神様の妻の家系だ。やはり、神気の扱える人間は重宝される。

 愛媛県南予にある坂上家は小さな神社を管理する傍ら、農家を営んでいた。


「そういえば、実家の話で思い出したけど……八雲さんって、どうして湯築屋で働くことになったんですか?」


 なんとなく、聞いたことがなかった。

 八雲は長男だと聞いている。それならば、実家の神社を継ぐのが普通ではないか。前から少し疑問に思っていたのだ。


「うーん、そうですねぇ」


 八雲は優しげな顔に困ったような表情を浮かべた。


「私の場合は……甘えですね」

「甘え?」


 八雲の言った意味を九十九は理解することができなかった。

 九十九は首を傾げていたが、八雲は説明の句を継ぐ気はないらしい。あまり言いたくないということだろうか。

 登季子は湯築屋を離れる理由を甘えないためだと言っていた。

 八雲は湯築屋にいる理由を甘えだと言っている。

 きっと、二人とも別の理由があるはずなのに、同じことを述べているように思えた。


「若女将、盆は私が持っていきましょう。明日も学校でしょう? 早めにおやすみなさい」


 九十九が持っていたスイカの盆に、八雲がそっと手を添える。


「ううん、いいです。コマがスイカ食べ過ぎちゃって、動けなくなっているので……片づけはわたしがやりますから、八雲さんはコマを抱っこして部屋まで連れていってあげてください」

「ああ、それは困りましたね……」

「とても、美味しそうに食べてましたよ」

「では、私のスイカのせいですね。責任を取らなければ」


 八雲はふんわりと笑って、盆から手を離した。

 温かくて、優しい顔は妙に落ち着く。八雲と話していると、どこかホッとしてしまうのだ。それは、九十九の父である幸一に雰囲気が似ているからであると、昔から感じていた。

 小さいころ、間違えて「おとうさん!」などと呼びかけてしまったこともあったらしい。今を思えば失礼な話だ。


「では、私は困った仲居さんを回収してきましょう」

「うん、よろしくおねがいします。たぶん、お母さんが一緒に縁側にいると思いますけど」


 踵を返す八雲の動作が、一瞬だけぎこちなくなった。それは気のせいと言ってしまえるほど、わずかなもので。きっと、普通ならば気がつかない。


「どうかされましたか?」


 九十九のぎこちなさに気づいたのか、八雲のほうから問う。

 こういうところは察しがいい。


「ううん……なんでもないです」


 九十九は首をふって、自分のぎこちなさを否定する。きっと、気のせいだと思うし、なんと聞けばいいのかもわからない些細な違和感だ。

 八雲は大して気にした様子なく、「それでは」と頭を下げて縁側のほうへ向かっていった。九十九もあまり深く考えず、厨房へと足を運ぶ。


「九十九、儂のスイカは残っておるか?」


 ヒョイっと廊下の角から顔を出したのは、機嫌よさそうに頬を上気させたシロだった。お客様と晩酌していたのだろう。お酒の匂いがする。


「コマがほとんど食べちゃいましたよ」

「なんだ……こんなことなら、早々に切り上げて妻に酌をしてもらえばよかった」

「シロ様のお酌なんてしませんってば」


 いつものようにさりげなく肩に手が触れたので、九十九はペッと指先で払ってやる。

 シロはつまらなさそうに口を曲げた。


「してくれぬのか?」

「しません。シロ様、お酒ばっかり飲んで、旅館のお仕事手伝わないんですもの」

「神事に酒は欠かせぬ。神を相手にするならば、まずは酒を用意せよ。儂は妻の注ぐ酒が飲みたい」

「後半が本音ですよね」

「嬉しかろう?」


 どれだけ自信があるのか。シロは整った顔を得意げに近づけて、九十九の進路を断った。

 壁ドンの格好になってしまい、九十九は思わず身震いする。

 長くて白い髪がひと房、肩から滑り落ち。

 見上げると神秘的な琥珀色の瞳が、こちらをまっすぐに。


「夫に尽くすのが妻の役目だからな」


 ――人はそれを愛と呼ぶのではなくて?


 目の前に降ってきたセリフと、フラッシュバックが重なる。

 しかし、その響きに九十九は戸惑うばかりで呑み込むことができなかった。

 湯築九十九は稲荷神白夜命の巫女であり、妻である。夫であるシロを想うことは悪いことではない。むしろ、そうあるべきだ。

 立派な巫女であろう。

 良い妻であろう。

 九十九がいつも抱えていた悩みだったではないか。それなのに、この感情を「愛」と呼んでしまうことに、酷く抵抗があった。

 胸の底が熱くなって、締めつけられる。

 泉のように得体の知れないものが湧いてきて、目頭まであがってきそうになる。

 言葉を発しようとしても苦しくて……苦しくて……なにも喋れなくなる。


「九十九、さては酔っておるのか?」


 いつの間にか、顔が赤くなっていたらしい。

 シロが九十九の頬に触れようと手を伸ばしてきた。


「ひっ……酔ってませんっ!」


 九十九は思わず、迫りくるシロの手から逃げようと試みる。

 親指をガッとつかんで、グイッと一捻り。ありえない方向に関節を曲げられて、シロは「アダぁ!?」と神様らしからぬ声をあげている。


「酔っ払いは、これでも持っていってください!」


 片手で持っていた盆を全力で鳩尾みぞおちに押しつけてやると、ガチャンと皿が鳴る音と共にシロが「ぐえっ」と前のめりになる。

 ちょっとやりすぎたかもしれないが、シロは神様だ。これくらい、平気なはずなので廊下にうずくまる姿も無視してやった。


「まったく……!」


 そう悪態をつくころには、胸の底から湧きあがっていた得体の知れない感情ものは薄れておさまってしまっていた。

 

 

 

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