1.お客様、困ります……!?
宣言通りの10月更新間にあいましたー!!!(紙一重
登場が遅くなりましたが、書籍版にのみ登場していたキャラクターも、1人この章からweb版デビューします。よろしくおねがいします。
シャン、シャン。
それは嵐のようなお客様であったと、後にふり返って思うのだった。
「ただいま、つーちゃん!」
いつものように、連絡らしい連絡を寄越さず、元気のいい女声が湯築屋に響く。
湯築屋の女将――湯築登季子の声である。
登季子は女将でありながら旅館の業務ではなく、海外への営業活動を主に行っている。そのため、湯築屋にはほとんど戻ってこない。最近ではギリシャ神話の天空神ゼウスや、古代エジプトのファラオをお客様として連れ帰っている。特にゼウスは、あのあとも湯築屋を気に入ったようで、来月にも予約を入れてくれていた。
海外営業担当の女将が帰宅した。
つまり、それの意味するところは……。
「お客様をお連れしたよ」
九十九が玄関まで駆けつけると、登季子はニヤリと笑って玄関の外側に視線を移す。どうやら、外にお客様が待っているらしい。だいたい、いつものパターンだ。
「おかえりなさいませ、女将」
九十九はいつもながらいろいろ言いたい気持ちをおさえて、頭を下げる。今、学校から帰ってきて着物をまとったばかりだ。もう少しゆっくりとしたかったものだが、仕方がない。
「今回のお客様は、どちらのお客様ですか?」
九十九は仕事モードで問う。
普段、少々遅れがちではあるが、登季子は自分の現在地やお客様の情報を事前にメールで送っていた。しかし、今回はそのような連絡は一切ない。
単にいつものように忘れていたのか、なにか意図があったのか。
……結局、後者であると判明するのだが。
「それが、ちょいと複雑でね……でも、放っておけなくてさ」
「どういうことですか?」
九十九は思わず眉を寄せる。
「ふむ……たしかに。此れは登季子にしては珍しい」
九十九が怪訝に思っていると、隣にフッと気配が現れる。ギョッとして顔を向けると、すぐそばにシロが立っていた。
シロが当たり前のように肩を抱き寄せようとして来るので、九十九は思わず身を震わせる。
「ち、ちか……! 仕事中です、やめてください!」
そんなことなんて思った覚えはないのに、口からはスルスルと言葉が出てくるものだ。九十九はいつも通りを装いながらシロの手をピシリと払いのけた。
シロの手に指先が触れた瞬間、ちょっぴり……ほんのちょっぴり、ドキリとしたことを悟られないように。
――人は、それを愛と呼ぶのではなくて?
宇迦之御魂神に言われたことを、ことあるごとに思い出す。
九十九がなんと呼べばいいのかわからなかった気持ちを、一言で表現された瞬間――違う! と否定しつつ、なんとなく、しっくりと落ち着く感覚もあった。だからこそ厄介で、複雑で……捨て切れないと思ってしまう。
いやいやいや、違うけど。違いますけど! 九十九は自分の思考を否定するように首を一人でブンブンふって、両頬をペチーンと挟んで叩いた。
「いらっしゃいませ、お客様!」
九十九は振り払うように玄関から飛び出し、待ち構えるお客様に頭を下げた。
「あら、思った通り! 可愛らしいわ!」
明るく、甘いこの感じ……覚えのある雰囲気に、九十九はハッとお客様の顔を見あげた。
「あなたが、パパの言っていたキモノビジョのワカオカミちゃんね!」
見あげた先にあった顔は、とんでもない美女であった。
真珠のような丸みを帯びた白くて滑らかな肌はもちろんのこと、波打つ金髪は周囲の光を吸い込んで蜂蜜色に輝いている。鼻梁はスッと一筋通っており、ほっそりとした首のラインまで美しい。
着ているTシャツに、何故か日本語で「胸囲の格差社会」と書かれていなかったら完璧だ。
「あなたは……」
「初めまして! ワカオカミちゃん。パパのお気に入りだって言うから、来ちゃった! アフロディーテと申します。よろしくね」
アフロディーテはオリュンポス十二神の一柱で、愛と美を司る女神だ。
なるほど、その名に恥じない美貌を持つ女神であると、九十九も納得した。しゃべり方は、怒っていないときのヘラとそっくりである……しかし、オリュンポスの神々は日本語のネタTシャツを着なければいけない決まりでもあるのだろうか? それとも、単なる好み?
「いらっしゃいませ、アフロディーテ様」
オリュンポス十二神において、アフロディーテの成り立ちは特殊だ。
ほかの神々がほとんどゼウスの子や兄弟であるのに対して、彼女だけは違う。原初の神ウラヌスがクロノスに王位簒奪された際、切り落とされて海に落ちた男性器から生じた泡から生まれたと言われている。
そのため、正確には彼女はゼウスの娘ではない。だが、こうしてゼウスを「パパ」と呼び、似たようなネタTシャツを着ている姿を見ると、とても仲がいい親子なのだと思うことができた。
「今日は、パパに隠れて来ちゃった。しばらく、匿ってくださいな」
「え?」
とても仲がよさそう――そう感じた矢先に放たれたアフロディーテの一言によって、九十九の表情は凍った。うしろで、シロが「やれやれ」と肩をすくめる気配がある。
よく見ると……アフロディーテのうしろ側に、もう一人。
「あ、どうも……」
「…………!?」
そこに立った人物を見て、九十九は言葉を失った。
光の加減によって茶にも緑にも見える肩まで伸びたアッシュブロンド。整った顔立ちを隠すかのように特徴的な丸い眼鏡がキラーンと光っている。だが、九十九を見る碧色の瞳は深い海を思わせ、不思議と引き込まれる魅力がある青年だった。
「あ、あなたって……!」
「ジョー・ジ・レモンだ。よろしく」
超有名ロックスターの名前が飛び出して、九十九は動きを止めてしまった。
湯築屋のお客様は神様が多い。鬼や妖の類も訪れるが、何故だか圧倒的に神様が集まってくる。
そして、お客様である神も多種多様。
日本神話の神から、アフロディーテのような外国の神まで。そして、天皇やローマ皇帝のように、人々から神格化され神に至った人間も含まれる。
最近多いのは、人々の熱狂的な人気を集めたアーティストの神格化だ。その熱気は侮ることなかれ。もはや宗教と呼べるレベルに達している。人気アーティストや俳優が神となり、お客様として訪れるパターンは少なくない。
このジョー・ジ・レモン氏もその一人だ。数年前に事故で亡くなったとニュースになっていたが……まさか、本当にお客様となるとは。ちなみに、亡くなったときよりも、かなり若い姿で神様となっているようだ。おそらく、全盛期の姿だろう。
九十九も神様や妖を相手にする宿屋の若女将だ。こういう事例には慣れている。
慣れているが……。
「あたしたち、つきあっているのよ。でも、ママは許してくれなくて……家出してきちゃった!」
アフロディーテは愛と美の女神。
同時に、性の女神でもあった。
彼女の夫はヘパイトスだが、数多くの男神や人間との恋物語が語られている。彼女もまた、ゼウスと同じく「不倫は文化」を体現した神と言えるだろう。
「人間相手なら、わからなくもないけどぉ。ジョーは、もう神になっちゃったわけだしぃ……おつきあいを反対される謂れがないと思わない?」
表情を固まらせたまま立ち尽くす九十九を前に、アフロディーテは果実のような瑞々しい唇をムゥッと尖らせた。




