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6.お客様のご注文はなんですか?

 

 

 

 若女将としての九十九の仕事は、お客様のおもてなしである。


 お客様の滞在目的は多様。

 天照(あまてらす)のように享楽にゆっくりと興じるため滞在する神もいれば、温泉本来の効果である神気を養うために訪れる神もいる。単に日本という国を観光するため、外国から訪問する神もいる。

 概ね、人の旅行目的と大差ない。


 今回のお客様も、またその類であった。


「ただいま、つーちゃん」


 急いで玄関まで向かうと、馴染みの、されど、久方ぶりに聞く声に出迎えられた。

 豊かで艶やかな黒髪を一つに結った淑女。

 キリリとした黒瞳には力が篭っており、また独特の色香も漂う。革のジャケットに赤いシャツという装いだが、決して軽くはなく、むしろ淑女の魅力をいっそう引き立てるかのようだった。


「おかえりなさいませ、女将」


 お客様もお見えになる旅館の玄関だ。

 九十九はいろいろ言いたい気持ちを抑えて、粛々と頭を下げた。

 その様子を見て、女将・湯築登季子は満足げに笑った。


「しっかりしてくれて、私も安心だ。つーちゃん、お客様をお部屋に案内してあげて」


 なんでもないかのように言って、登季子は玄関に佇む客を示した。登季子がギリシャで営業して獲得したお客様だ。

 準備をする間もなかったが、飛び込みの客など珍しくもない。その辺りを、登季子も理解し、信頼しているからこその態度であろう。

 九十九はキリッと表情を引き締めて、女将の言葉に頷く。


「いらっしゃいませ。ようこそ、遠路遥々湯築屋へお越しくださいました」


 九十九は玄関のお客様に対して、丁寧に頭を下げた。


「うむ、良い。顔を上げよ」


 如何にも厳つい、太めの男声でお客様が言う。


 ギリシャ神話の主神、全知全能の天空神ゼウス。

 オリュンポス十二神をはじめとする神々の王であり、天空の支配者である。目の前のお客様は、その名に恥じない威風堂々の顔つきで、まっすぐ九十九を眺めていた。

 見目は壮年の男性で、鍛えられた筋肉が逞しい。多くのギリシャ彫刻が描いたゼウスの印象と然程違いはない印象を受ける。

 威圧感にも似た独特の神々しさ。

 神々を統べる王たる空気に、九十九も流石に息を呑みそうだった。


 まあ、「定時で帰る」と日本語で書かれたTシャツのせいで、だいぶ残念な空気も漂っているのだが。


「おお……これは、見事。トキコの言う通り、宿の者はキモノビジョであったか!」


 九十九を見るなり、ギリシャ神話の全知全能の神は大袈裟に感嘆の声を上げた。

 一瞬、なにを言っているのかわからなかったが、頭の中で「着物美女(キモノビジョ)」と正しく変換した後に、九十九は少々間の抜けた笑みを浮かべてしまった。


「写真集で見たモクゾウヒラヤのニホンカオクとは違うが、これも良い。うむ。この宿、気に入ったぞ。おおっと、土足で上がってはいけなかったのだったな? それとも、飛行機と同じく、履物は脱がなくて良いのか?」


 履物を脱ぐか脱がないか判定に困っている様子のゼウスに、九十九は落ち着いた声音で「どうぞ、履物をお脱ぎください」と言い、スリッパを示した。日本でもホテルなどでは脱がなくても良いので、外国人にはどこで靴を脱ぐのか判断が難しいようだ。

 写真で萌えTシャツを着ていた段階で察していたが、ゼウス神は日本文化に一定以上の興味があるようだ。だからこそ、登季子が営業をかけたのだろうが。


「お褒め頂きまして、ありがとうございます。日本にお詳しいのですね」

「十余年前、お忍びで来て以来、何度も足を運んでおるぞ。前に行ったハコネも実に素晴らしいものであった。此度は我々を神としてもてなす特異な宿と聞いて、ますます期待しておる」

「では、ご期待にお応えしなければいけませんね」

「うむ。人に紛れての観光は、どうにも不都合も多くてな。気を抜くと神気で天候が変わったり、感激で雷が落ちたりと、くつろぐにくつろげなくてな」


 神様ジョーク的なノリで言っているが、彼らにとっては割と本気であることを、九十九も理解している。だからこそ、癒しを求めて神々が湯築屋を訪れるのだ。


「それに」


 履物を脱ぎ、玄関へ上がるゼウス。

 不意に、結った九十九の黒髪に、手が触れられる。ビクリとして視線を上向けると、そこには微笑を結んだゼウスの顔があった。


「キモノビジョがいるだけで、心が和む」

「は、はへ!? ち、ちかっ!」


 完全に不意打ちされて、九十九は動きを固まらせてしまう。

 近すぎる顔に、どうしたものかと慌てふためいていると、背後から肩を掴まれる。九十九はそのまま、ゼウスから引き離されるように後ろへよろめいた。


「いらっしゃいませ、お客様。ようこそ、我が縄張り(・・・)へ」


 ストンと腕の中におさまる九十九。

 見上げると、不自然なほど優美に笑うシロの顔があった。


「し、しろさま?」


 怒ってるよぉ……!

 九十九はシロの言動から察して、冷や汗をかく。

 わざわざ、縄張り(・・・)などという言葉を使って牽制したり、不自然なくらい綺麗な笑い方をしたり。自分の妻に手をつけられて、完全に怒っていることが見てとれた。

 一瞬、ピリリと息苦しい空気が流れる。


「申し遅れた。儂が湯築屋の店主・稲荷神白夜命(いなりのかみびゃくやのみこと)。生憎と、これは我が供物にして、我が妻なりて。易々とくれてやることは出来ぬのだ。許されよ」

「ほお……これは失礼。挨拶のようなものである。美しいキモノビジョは愛でぬ理由がないのでな」


 ゼウスはギリシャ神話の全知全能の神であるが、移り気の逸話も多い。

 度々、女性関係の騒動を起こしては妻であるヘラ神の鉄槌を喰らっている。まさに、「浮気は文化」を体現したような神様なのだ。そういえば、どうでもいいが素足で靴を履いていた。


「コマ、お客様を案内して差し上げよ」

「はい、ご主人様っ……ささ。お客様、こちらへどうぞ」


 子狐のコマに案内を任せて、シロは固まったままの九十九の肩を抱いて奥へと下がる。

 ゼウスは別段、気分を害される様子もなく、快活に笑いながら部屋へと進んでいった。本人が言っていたように、本当に「挨拶のようなもの」だったのだろう。

 一発触発かと思ったが、心配ないようだ。九十九は肩を撫でおろす。


「まったく。美しい妻を持つのも、考えものだな」

「う、美しいとか……わたし、普通の高校生なんですけど」

「九十九の普通と、儂らの普通は異なると、まだ理解しておらぬか?」


 美しいなどという形容詞がむず痒くて否定すると、シロは真顔で九十九を覗き込んだ。琥珀色の瞳がまっすぐに、九十九を射抜く。

 着物で着飾ってはいるが、九十九はまだ高校生。学校へ行けば普通の学生だし、モデルでもなんでもない。それどころか、クラスで特別モテるわけでもない、ごく平凡な女の子だと思っている。


「顔ばかりではない。いや、顔も美しいが……その甘い神気が、(あやかし)を誘うのだ。理性を持った神霊なればともかく、下級の妖に会おうものなら……目が離せず、日々儂も心配しておるよ」

「は、はあ……」


 自覚はないが、シロが言うならばそうなのだろう。

 仕事をサボってテレビにハマる駄目夫ではあるが、基本的にシロが噓をつくことはなかった。いろいろはぐらかされていると感じることはあるが。


「ともかく、気をつけよ」

「まあ、はい……」


 なにを、どう気をつけろと。

 自覚がないまま、九十九は浅くコクコクと頷いた。


「ところで、登季子はどこだ? 客と一緒に帰ってきたのではないのか?」

「ああ……お母さんなら、たぶん、シロ様が出てきちゃったせいで――」


 シュッシュッ。


 スプレーを噴出する音がした。

 九十九はハアッと溜息をつきながら、音の方向に振り返る。


「お母さん。シロ様は四つ足(けもの)じゃないよ」


 障子の陰に身を隠しているのは、女将・登季子であった。

 使い捨てのマスクを装備し、ゴーグルをかけている。手には動物用の消臭スプレーが握られていた。


「わかってるんだけどね! 昔から、無理なのよ! 見てるだけで、鼻が……っくしゅんっ!」

「コマは平気なのに、シロ様がダメっておかしくない!? 動物要素の比重なら、コマの方が高いよね!」

「苦手意識かしらね。その尻尾見てると、もう無理っくしゅんっ!」


 登季子は何度もくしゃみをしながら、消臭スプレーをシロに向かって噴射し続けた。

 湯築家では力の強い巫女が代々、シロとの婚姻を結んできたわけだが――登季子がシロと夫婦になれなかった理由が、これだ。動物アレルギーのせいで、シロに近づくことが出来ない。コマは使い魔なのでOK判定らしいが、シロは駄目らしい。神様なのに。

 女将になってからも、海外向けの営業活動を行って、旅館にほとんど帰らないのも、ここに起因している。いや、本当に旅館のために、グローバルな営業活動しているので仕事をしていないわけではないが。


「見るだけで拒絶されるというものも、毎度のことながら複雑ではあるな」

「はは……とりあえず、お母さんは部屋に帰っていいよ。お客様のお相手は、なんとかするから」


 九十九はヘナリと笑いながら、登季子からシロを遠ざけようと歩調を早める。シロは少々納得いかないようだったが、いつものことなので諦めた様子。


「ああ、つーちゃん。一個だけいいかい?」


 登季子があまり近づきすぎないよう距離を保ちながら、九十九を呼び止めた。


「ゼウス様は、あの通り日本文化がお気に入りなんだけど、今回の旅行には特に期待しているみたいよ」

「うん、さっきも言ってたけど……」

「神様を相手にした商売なんて、世界中にもそうそうたくさんあるわけじゃないの。だから、たぶん、それなりにワガママを仰ると思うわ」


 神様を相手にした商売は他にもないわけではない。神様専門の料理店や家電販売店など、多岐に渡っている。

 旅館やホテルの類は、日本国内だと湯築屋を除くと三軒しかない。海外でも同じようなものだろう。

 神々は人間世界の文明を享受する際は、基本的に人に紛れることになる。だが、正体を隠すことはそれなりのストレスになってしまうのだ。

 湯築屋を訪れる神々はありのままの姿。神本来の形を以って訪れる。

 故に、湯築屋を訪れるお客様の多くは、神様特有の少々ワガママなサービスを求めることがある。


 それは決して迷惑な客ではない。

 むしろ、気兼ねなく神気を癒して頂くためには必要な要求。


「ゼウス様のご希望はシンプルよ。温泉もだけど、特に料理。この旅でしか味わえない日本(・・)を食したいそうよ」


 この旅でしか味わえない、日本。


 九十九は言葉の意味を吞み込もうと、思考を巡らせる。

 それは言葉通り、この旅を楽しみたいということなのだろう。

 しかし、ここは神々の旅館湯築屋だ。いつも通りのサービスを提供するだけで、他にはない旅を味わっていただける自信はある。外国の神様が相手なので、一括りに「和食」全般ならそれなりに応えられるだろう。


 でも、きっと、それじゃあダメなんだ……。


「わかった、お母さん。がんばってみるね」


 九十九はニコリと笑いながら、登季子の言葉に頷いた。

 

 

 

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