12.嫌じゃなかった
四季は巡る。
春夏秋冬と、順繰りじゅんぐり。ゆっくりと。しかし、慌ただしく。
そんな季節の中で、いつも取り残されたように変わらないのが、湯築屋の結界であった。月も太陽もない、星の瞬きもない藍色の空が、近代和風建築の宿を見下ろしている。
結界の外に出れば、青や茜、太陽が輝き、月が微笑む様々な空を見ることができるのに。ただそこにあるのは、幻の四季ばかり。
日常の光景であると同時に、不思議な気分である。
シロはこの結界に人を招き、宿を作った。温泉のほかに電気やインターネットなど、好きなものを引いている。
もっと、いろんなものをシロと共有したいのに。
なんて考えてしまうのは、神様のシロには理解されないことだろうか?
「行ってきまーす」
いつものように制服姿で、朝の庭を歩く。
結界の外では、もう桜は散りかけているのだけれど、ここではずっと満開だ。そのうち、夏の花に変わるだろう。
「九十九、気をつけよ」
声がして、ふり返る。
先ほどまでは誰もいなかった湯築屋の玄関前に、シロが立っていた。
藤色の着流しに濃紫の羽織は普段通り。絹のような白の髪に、大きな狐の尻尾が揺れていた。どこも変わったところなどない。
宇迦之御魂神が帰ったのは、つい昨日のことだ。そのときのことを思い出して、九十九は反射的に黙ってしまった。自分がしていた勘違いのことも、恥ずかしい。
よくよく考えれば、シロに直接聞けばよかったではないか。
勝手に勘違いなどして……あんな……今でも恥ずかしい。
「またあの狸が来るかもしれぬ。これからは使い魔ではなく、傀儡を寄越すとしよう」
「え、え……あの人形、目立つじゃないですか。嫌ですよ」
「なんと! ちゃんと、謎の美形教師として潜入してやるぞ! 天照から学園ドラマのDVDを借りて、予習も抜かりない。安心して任せるがよい」
「全然、安心して任せられないんですけど!?」
たしかに、使い魔では将崇の妖術に対応できなかった。傀儡を近くに置くのが安全だと判断するシロの言い分もわかる。
「でも、もう将崇君は学校にも来ないかもしれませんし?」
「わからぬぞ。四国の狸は図々しいのだ。狐よりも幅を利かせおって!」
「シロ様、それ違う愚痴になってます」
四国には狐よりも狸の逸話のほうが多く残る。稲荷神社の分布も、全国的に少ないそうだ。たぶん、それに対する文句だろう。そもそも、四国は狐よりも狸の生息のほうが多いので仕方のない話である。
「昔は大人しかったくせに、少々、狐が減ったからと言って……」
「昔は狐もたくさんいたんですか?」
シロは稲荷神だ。もしかしたら、昔はたくさん仲間がいたのかもしれない。
「嗚呼、昔はな」
胸を張って昔話でもしてくれるのかと思えば、シロは静かな声でそう言ったきり口を閉じてしまう。
九十九は、これ以上、この話はしないほうがいいのだと悟った。
「儂のせいだ。つまらぬ話はやめよう」
九十九には、その言葉の意味はわからなかった。けれども、シロがとても寂しそうな顔をしていることだけは気づいた。
シロのせい? どういうこと?
九十九は問おうとしたが、キュッと唇を閉じる。
待つと決めたのだ。
だったら、待たないと。
「とにかく、心配だ」
シロはそう言うと、九十九の髪にすっと手を触れる。
指先がポニーテールの毛先を揺らした。
「これって?」
「魔除けの加護だ」
ポニーテールのリボンに触れると、ふわりと神気の気配がした。九十九のリボンに、シロが加護を授けてくれたのだと知る。
「ありがとうございます……」
素直に嬉しかった。考えてみれば、シロからなにかをもらうことは少ない。いつも持っている巫女の肌守りくらいかもしれなかった。
見た目はいつもと変わらないのに、特別にお洒落をした気分だ。
――人は、それを愛と呼ぶのではなくて?
ふと、一言思い出す。
その途端に、九十九が頬を桃色に染めてしまう。九十九の反応を理解できないようでシロは首を傾げていた。
愛?
愛って、あの、愛。ですかね?
噛みしめるように思い出してしまい、その場から動けなくなってしまう。
昨日から、ずっとこうだ。なにかの拍子に思い出しては、思考が停止してしまっていた。接客はあまりしていないが、忙しい日だったら使い物にならなかったかもしれない。
わたし、シロ様のこと……好きなのかな?
でも、だって……今までだって、ずっと一緒にいて、ずっと巫女で、夫婦で……今までとなにも変わっていない。変わっていないはずなのに……!
そんなこと、一度も思ったことないのに!
「き、気の迷いです。気の迷い! きっと、そうです!」
「九十九、さっきからどうした? 顔が赤いぞ?」
「赤くないです! 気の迷いですから!」
「九十九がなにを言っておるのか、儂には皆目見当がつかぬ」
わけもわからず慌てふためく九十九の顔を、わけがわからず覗き込むシロ。その距離が存外近すぎて、九十九は「ひっ!」と声を裏返らせてしまった。
「い、行ってきます!」
「むむ。よくわからぬが、気をつけよ」
シロの言葉を最後まで聞かないまま、九十九は湯築屋の門を潜って外に出た。
薄暗い湯築屋の結界を出ると、外は明るく晴れ渡った空が広がっている。
見上げると、花を散らした桜の木。見下ろすと、薄紅のじゅうたんでアスファルトが染まっていた。風が吹くたびに、赤いリボンが揺れ、桜の花弁が舞いあがる。
花は散った姿も美しい。
シロの結界の中では見ることのできない光景だった。
いつか、シロに教えてあげたい。
結界の外にはいろんな美しいものがあるのだと。
そして、直接、二人で一緒に見たい。
こう思うことは、恋や愛の類なのだろうか。
わからない。
わかんないけど……嫌じゃなかった。
第5章はここで終了です。
第6章は10月辺りになればいいなぁとか考えています。しばしお待ちくださいませ。
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