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8.これがアオハル……!?

 

 

 

 馬鹿みたい。

 馬鹿みたい……。

 馬鹿みたい……!

 その日をどう過ごしたのか、九十九はよく覚えていない。

 自分がどうやって、その日を乗り切ったのか覚えていないが、お客様のことも、運んだお膳のことも実にはっきりと覚えている。まかないはさわらのお刺身と、鯛の炊き込みご飯だった。ツンと鼻を抜けるワサビの辛さと、三つ葉のいい香りを覚えている。やっぱり、鯛にはワサビだ。

 昨日の九十九は実にいつも通りであったと思う。

 そう思う。

 どうやったのか自分でも思い出せないほどに。


「湯築さん、どうしたの?」


 声をかけられて、九十九はハッと我に返った。

 つい、考えがループしていたようだ。今、放課後の教室だということも忘れていた。頬杖のあとがついてしまっている。

 九十九はニコリと笑みを繕いながら、ふり返った。


「なんでもないよ」


 ふり返った先の相手――将崇は心配そうに九十九の顔を覗き込んでいる。

 円くて大きな目があって、九十九はとっさに顔を逸らしてしまった。


 ――じゃあ、湯築さん。ぼくと、おつきあいしてよ?


 忘れていたわけではないのだが、急に言葉がよみがえる。

 本当に忘れていたわけではないはずなのに、今まで気にしていなかった。考えるなどと言っておいて、ずいぶんと虫のいい話だ。

 別に、シロのことなど考えていたくないのに……。


「ま、将崇、君……」

「なにか悩みがあるの? 僕でよかったら、聞くよ?」


 将崇は悪意の見えない笑みを見せた。

 本当に彼は無邪気な表情をして、こちらの間合いに入り込んでくる。つい、心を許しそうになってしまう。


「ううん。悩みってほどでも……」

「本当に? だって、すごい悲しそうな顔してたよ」


 そんな表情をしてしまっていたのだろうか。

 上手くやっていたつもりだったが、実はそんなことなどなかった? お客様にも、そんな顔をしてしまっていたのだろうか。そんな顔のまま、おもてなしなどできるはずもない。

 いつの間にか、身体が震えていた。

 不安で不安でしょうがなくなって……ああ、これ、昨日と同じだ。どうしようもなくて、止めたくても次々と涙があふれてきて……その寸前まで達しているのだと悟って、九十九は怖くなってしまった。

 なんで、急に。さっきまで、平気だったのに……。


「湯築さん、あっち行こうか」


 いよいよ涙がこぼれる寸前になって、将崇が九十九の手を引いた。


「え……」


 九十九は驚きながらも、そのまま流されるように立ちあがってしまう。将崇は早足で九十九を教室の外へと誘導した。


「え、ゆづ。どしたん?」


 委員会の集まりから帰ってきた京が声をあげる。


「ちょっと連れ去りますね」


 将崇はそんなことを言いながら、歩調を速めた。京は呆気にとられて、口をポカンと開けたまま二人を追ってこない。小夜子が「九十九ちゃん!?」と叫んでいたが、もうすでに遠くになっていた。

 なんだろう……え?

 すごく少女漫画みたいな展開なんですけど!? アオハルってやつですか!?


「将崇君……」

「さあ、ここなら思う存分、泣いても平気ですよっ!」


 将崇、どんと胸を張って笑う。

 しかしながら、将崇に誰もいない校舎の裏手へ連れてこられた頃には、もう九十九の涙は止まってしまっていた。代わりに、どうしようもなくおかしくて、唇から笑声が漏れる。


「え? え? あれ? 僕、間違えちゃいましたか?」

「ううん。大丈夫……ありがとう、将崇君」


 急に笑い出した九十九に、将崇は慌てて頭を掻く。

 鬱屈としていた気分が、いつの間にか晴れていた。昨日のことを思い出すと悲しくならないなんて言えば嘘になるけれど、気分は紛れた。我慢していなければ自然と涙がこぼれるなんてこともない。

 それは魔法のように。

 神様の使う神気のように。

 とても不思議な現象だった。


「とりあえず、落ち着いてよかったです」


 九十九の顔を見て安心したのか、将崇はハハッと頭のうしろを掻いた。とても爽やかな少年という印象である。

 だから、つい忘れてしまっていた。


「あれ、将崇君。頭の上に、なにかついてるよ?」


 違和感に気づき、九十九は将崇の頭を眺めた。

 走ったときに、ゴミでもついたのだろうか。赤みがかった黒髪についたソレに手を伸ばし、つまむ。


「あ。こ、これは……!」


 将崇があわてて九十九の手を払おうとする。しかし、九十九はその前に、将崇の頭の上に載ったものを確認した。


「葉っぱ?」


 葉っぱであった。

 ただの、葉っぱである。


「頭に葉っぱつけてるなんて、なんか可愛い。狸みたい」


 九十九は何気なく言いながら、ジャケットのポケットからハンカチを取り出した。これは保管しておいて、しおりにでも加工していいかもしれない。今の将崇のあわてぶりを見ていると、なんだか面白い。


「あ……」


 ハンカチと一緒に、なにかがポケットからこぼれ落ちた。不注意だ。地面に落ちて、キィンという音が鳴り響く。


 コイン?

 いや、十円玉だった。


 たしか、あれは……お客様として訪れた貧乏神からもらったギザ十。財布に入れると使ってしまうかもしれないため、お守り代わりに持っていたのだ。

 貧乏神のギザ十は、コロコロと円のような軌跡を描いて転がっていく。


「あ、待って……」


 九十九は思わず手を伸ばして追いかける。

 お客様からいただいた大切な品だ。たった十円かもしれないが、されど、十円。神様の贈り物を無下には出来ない。側溝にでも落ちたら大変である。


「あれ?」


 だが、違和感。

 今、一瞬……なにか?


 神気の揺らめきに近いものを感じた。

 否、これは神気ではない。もちろん、瘴気のような邪悪なものでもなかった。

 なにかの力に覆われていた?


「九十九、どうした?」


 転がる貧乏神のギザ十に手が届いた瞬間、声が聞こえる。

 視線をあげると、そこにはモフモフの長い毛に覆われた白い猫が座っていた。


「……シロ様?」


 琥珀色の瞳が九十九を見ている。シロの使い魔であると、すぐにわかった。

 さっきまで、そこには誰もいなかったのに。もちろん、この猫もいなかった。そのはずだ。けれども、猫は最初からそこにいたかのように、行儀よく座っており……そして、驚いていた。


「ああ、もうっ! くそ!」


 うしろで将崇が声をあげていた。今までの彼からは想像できないような声だったので、九十九はびっくりしてふり返ってしまう。


「え、これって……?」


 九十九のすぐうしろ。

 先ほど感じた違和感の正体がうごめいていた。

 ゆらゆらと蜃気楼のように空気の壁のようなものが揺れている。それがなにであるか、九十九にはすぐにわからなかった。わからなかったが、それが人ならざる者の力であることは、すぐに理解できる。

 神気ではない。瘴気でもない。

 これは、――。


「妖気の結界だな、大したものだ」


 シロの使い魔が言いながら、九十九の肩に飛び乗った。

 

 

 

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