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7.馬鹿みたい

 

 

 

 なにかが、おかしい?


 大きな違和感がありながら、その正体がなんなのかわからない。

 パンケーキのお店から持ち帰った葉っぱを指でくるくる回すと小さな風が起きた。サイズ的にはお札に見えなくもないが、これを代金としてレジに入れることは普通にあり得ない。店員さんが葉っぱコレクター、なんてオチもなさそうだ。


 こういうとき、どうすればいいのかな。

 九十九は思案した結果、すぐにシロに相談することを思いつく。

 やはり、シロは神様だ。不可思議なことに対しては、それなりの知識を持っているし助力もしてくれる。九十九はいつも、そうやって助けられてきた。


「ただいまー」


 湯築屋へ帰ると、いつもの光景。

 黄昏の空の下にたたずむ三階建ての近代和風建築の宿屋が出迎えてくれる。ガス灯の淡い光に照らされた庭には桜の花が咲き誇り、夕暮れのような空間なのにアゲハ蝶がひらりひらりと舞うように飛んでいた。

 とても幻想的で神秘的。シロの結界に映し出される幻は、いつだって美しかった。


「おかえりなさいませ、若女将っ」


 従業員用の勝手口から建物の中へ入ると、コマがチョンと顔を出してお辞儀をしてくれた。

 頭を下げると同時にモフリとした尻尾が揺れ、その動作がなんとも愛くるしいと感じてしまう。


「ただいま、コマ。お客様のご様子はどう?」

「はいっ! 天照様はDVDの鑑賞をされるのでご夕食は要らないそうです。あとは、ご新規のお客様で河童のご夫婦がお越しになっています」

「わかりました……シロ様は、どちらにいらっしゃるかわかる?」


 いつもなら、シロは九十九が帰宅すると、そばに突然現れる。

 だが、最近は――宇迦之御魂神が滞在している間は、あまり現れてくれなくなっていた。どうも、お忙しい(・・・・)ようだ。


「白夜命様は、たぶん、お客様のお部屋にいらっしゃると思います」

「五光の間?」

「そうです」


 それを聞いて、九十九は思わずため息をついた。

 五光の間は湯築屋でも一番上等な客室だ。部屋が広いだけではなく、近代的な意匠の洋家具を備えており、明治大正のレトロな雰囲気を楽しめる。部屋に露天風呂があり、湯築屋の庭を見下ろしながら入浴できた。

 いわゆる、VIPルームだ。

 そして、現在の宿泊客は――。


「若女将、大丈夫ですか?」

「え?」

「お顔が暗かったので……」


 そんなに暗い顔をしていただろうか。無自覚を指摘されて、九十九は急いで笑顔を取り繕った。


「ごめん。今日の漢字テスト、そんなに解けなかったから考えちゃって」

「あの、若女将……誤解なさらないでください。その……ウチからは、ちょっと言い難いんですけど……あの方は白夜命にとって、大切で……」


 九十九の嘘など見破って、コマはモジモジと臙脂色の着物の裾を両手で弄った。シロと宇迦之御魂神のことを言いたいのだろうか。


「なんのこと?」


 一言、九十九は返した。

 コマはそれ以上、なにも言えなくなってしまったのか、困ったように尻尾を下げてしまう。

 誤解って、なんのこと? 九十九は笑顔を張りつけながら知らんぷりをする。胸の中がもやもやして、気を抜けば黒くて重いもので満たされていく。息苦しくて、時々、呼吸が止まりそうな気がした。でも、そんなものは気のせいだ。

 だって、こんなのって。

 こういうのって、もっと――。


「ねえ、白夜! この松山あげ、とっても美味しいのだわ! 炙っただけなのに!」


 五光の間まで行くと、楽しげな声が聞こえてきた。

 お客様である宇迦之御魂神だと、すぐにわかる。随分と楽しそうに声が弾んでいた。九十九は思わず足を止めて、息を殺す。


「やっぱり、此処へ来ると美味しいものがたくさん食べられていいのだわー。温泉も気持ちがいいし、最高よ。この前はなかったサウナというものもよかったわ。暑いけど、気持ちがいい」

「そうか」

「流石は、私の白夜なのだわ。センスいいんだから」

「サウナを提案したのは巫女だがな」


 中から、会話相手の声も聞こえた。

 九十九は前で揃えた両手をキュッと握る。

 シロに用事があったが……よく考えれば、接客中(・・・)ではないか。邪魔をしてはいけない。だって、これはお客様には関係ない、九十九の個人的な用事なのだから。


「私、白夜がこうなってしまって本当に心配したのよ。いいえ、今だって心配なのだわ。大丈夫かしら? 寂しくない? 此処には、貴方の望むものを引き入れているけれど……貴方が望んだものは、もう亡いのよ?」


 チクリチクリと、声が心に刺さる気がした。

 内容が全然頭に入ってこない。いや、これは盗み聞きなのだから、内容などわからないほうがいいのだ。早く耳を塞いで、立ち去らなくてはならない。

 九十九は音を立てないように、サッと踵を返した。

 邪魔をするのはよくない。そう自分に言い聞かせながら。




 † † † † † † †




 覚えのある甘い神気の気配がした。

 頭の上に載った耳をピクリと動かし、シロは廊下側へと視線を移す。


「私、白夜がこうなってしまって本当に心配したのよ。いいえ、今だって心配なのだわ。大丈夫かしら? 寂しくない? 此処には、貴方の望むものを引き入れているけれど……貴方が望んだものは、もう亡いのよ?」


 そう言いながら、宇迦之御魂神がシロの顔を覗き込む。

 自分と同じ琥珀色の瞳が憂いを帯びて瞬いている。白い三つ編みの髪が肩から落ちた。

 よく似たつがいのような容姿――否、自分がよく似せた稲荷神の姿である。


「またそのようなことを……儂の勝手だ。過保護にも程があろう」


 今一度、廊下のほうへ注意を向けると気配はなくなっていた。

 甘い神気の主は、何故だか黙って去ったらしい。

 シロに用事があったから来たのではないのか。何故、黙って去ってしまったのだろう。なにか別の用事でも思い出していったのか。シロには見当がつかなかった。


「でも、不憫よ。私は知っているもの。()がどれだけ傲慢だったか。あれは同じ神としても、どうかと思うのだわ。それなのに、白夜ばかりが割を食っているのよ。不条理よ」

「もうよいではないか……儂はの話もしたくはない。そのようなことばかり言うなら、さっさと帰れ」

「心配しているのに! 邪険に扱うなんて酷いのだわ! 仮にも、私は貴方の――」

「嗚呼、もうよい。もうよい。用は済んだのだから、帰ってよいと言うておるのだ。わからず屋め」

「ちょっと、白夜ってば」


 追いすがるように手を引く宇迦之御魂神を雑にふり払って、シロは立ちあがる。あまりにしつこかったので、神気を使って霊体化した。

 霊体化している間は、物理的な干渉をまったく受けないため、壁や障子もすり抜けることができる。少し足元を蹴れば、あまり神気を使わなくともフワッと浮きあがることも可能だ。人の表現を借りるなら、無重力状態か。この状態を九十九に伝えると、「幽霊みたいですね」と述べられたことがある。

 最近は宇迦之御魂神に捕まっていたせいで、九十九となかなか話すことができていなかった。

 なにせ、九十九は大学に進学すると決めて受験生とやらになったらしい。庇護神として、テストの成績くらいは聞いておかねばならない。最近はあまり構っていないからな。さぞ、話したいことが山積みだろう。


「九十九、何故なにゆえ、黙って行ってしまったのだ? ……どうした?」


 シロはそんなことを考えていたものだから、話しかけられてふり返った九十九が泣いているとは、露ほども思っていなかった。


「え、シロ、様……?」


 九十九はたいそう驚いた様子で言いながら、急いで制服の袖で涙を拭っていた。


「どうした、九十九? 学校でなにかあったか?」


 九十九は理由もなく泣くような娘ではない。なにかあったに違いない。シロは内心で動揺しながら、平生を装った。

 彼女が泣くときは、いつもそうだ。

 どうしてやればいいのかわからなくなる。理由がわからないし、理由を聞いたところで半分も理解してやれない。

 それが神と人なのだから、当たり前のことではあるが……その当たり前を放っておくと、この娘は時折、哀しい顔をする。

 こちらの胸まで痛むような、とてつもなく寂しげな表情をするのだ。

 それが堪らなく嫌になるときがある。


「いいです……シロ様、お忙しそうなので」


 堪らなく哀しい顔をしながら、九十九はそんなことを言った。

 誰が、いつ、忙しいと言った? わけがわからず首を傾げるが、九十九にはシロの疑問は理解されないようだった。


「別に急いでませんし、お客様のところに行ってください」

「だが、九十九」

「もう! 放っておいてって、言ってるの!」


 九十九に触れようとすると、いつもより強い力で手を払いのけられてしまった。ついでに、胸元を強く押されて拒絶される。

 そのことに驚いて、シロは動きを止めてしまう。隙を見てか、九十九は追撃のアッパーを飛ばす。いつもは甘んじて受けてやるシロだが、これが戯れではないことくらいはわかる。とっさに、九十九の怒りを逃れようと神気を使って霊体化した。

 シロが姿を消すと、九十九はその場でうずくまる。

 体調が悪いのかとも思ったが、やはり違うようだ。

 やはり、シロにはこの娘がよくわからない。今までも、巫女のことはすべてわかっていたわけではない。わかっていたわけではないが……彼女は特に奇異な存在のように思われた。


「……わたし、馬鹿みたい……」


 だから、うずくまってすすり泣く九十九の言葉の意味もわからなかった。


「……馬鹿みたい……」


 九十九が涙を拭いて立ちあがるまで、シロも姿を見せないまま、そこを動くことができなかった。

 

 

 

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