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5.パンケーキと誘惑

 

 

 

 指の先でつまんだ小さな消しゴムを眺める。

 将崇に拾ってもらった消しゴムだ。タルトマンの顔も減り方も、九十九のペンケースに入っているものと寸分違わず同じである。

 同じものが、二つ。

 ペンケースの中にあったということは、九十九は消しゴムを落としてなどいなかったということだ。

 では、これはいったい?


「偶然の一致かなぁ?」


 九十九は手の中で消しゴムを転がしながら、首を傾げる。

 それにしては、似すぎている気がするけれど……タルトマンの消しゴムなんて、クラスで持っている子を見たことがない。


「あ、湯築さーん!」


 路面電車の車両が駅に着いたところで、元気のいい声が聞こえた。

 手をふりながらこちらへ走ってくる将崇の姿。ニカッと笑う様が人懐っこくて、愛くるしい小動物を思わせる。走り方も、どことなく「チョコチョコ」している気がした。


「湯築さん!」


 将崇は九十九の隣でピョコッと両足をそろえる。やはり、仕草がコマを思わせる気がした。

 見ているだけで和む。


「将崇君は、この辺り?」

「うん。引っ越したばかりで、まだ慣れてないんだ。よかったら、面白いお店とか紹介してよ」


 将崇は屈託なく笑う。裏表がなく、とても人が良さそうだ。

 九十九は気にかけていた消しゴムをポケットの中に仕舞い、カバンを持ち直した。

 時計を確認すると、まだ少し余裕がありそう。


「いいよ。なにか興味あるものはある?」

「え。いいの? じゃあ……ぼく、パンケーキっていうのが食べてみたいです!」


 今日は小夜子がバイト休みで、京も委員会で遅くなるようだ。

 九十九と将崇、二人きり。

 これは、いわゆる――。

 一瞬だけ。

 少しだけ、シロの顔が浮かんだ。

 しかし、周囲を見回してもシロの使い魔らしき動物の姿は見当たらなかった。


「じゃあ、少し歩くけど美味しいパンケーキのお店行こうか」

「やったー! ありがとう、湯築さん!」


 将崇は男の子とは思えないガッツポーズで飛びあがって、はしゃいでいる。本当に嬉しそうだ。九十九は自分の自然と唇が弧を描いていることに気づいた。


「将崇君、男の子なのにパンケーキなんて珍しいね」

「そう? ぼく、甘いもの大好きで。爺様が買ってくる労研饅頭ろうけんまんとうがいつも楽しみだったんだよね。だから、こっち来たらいろんなお菓子が食べたくって!」

「労研饅頭、美味しいよね」

「うん! 爺様がくれるお菓子で、一番好きかな」


 労研饅頭は小麦粉と酵母、少量の砂糖で作られる蒸しパンのような饅頭だ。ほっこりとした食感と素朴な甘みが特徴で、松山市民に人気の昔ながらのお菓子である。元々は岡山県で誕生したお菓子だが、今では松山にのみ酵母を受け継ぐ店舗が残っているという。


「将崇君はおじいさんのことが好きなんだね」

「うん! 爺様はすごいんだよ!」


 おじいさんの話をはじめると、将崇はパァァッと表情を明るくする。


「昔は、爺様もこの辺りでも有名人で、とっても強かったんだ。爺様は、ぼくらの誇りさ」

「地主さんとか?」

「そんなもんじゃないよ! ……うーん、でも、そんな感じなのかな? 説明が難しい……」


 将崇は自分のおじいさんがどれだけすごいかを、拳を握って説明するが、上手く伝わっていないと気づいたのだろう。仕舞いには、腕を組んでウンウン唸ってしまった。

 そうこうしているうちに、パンケーキのお店へ着く。

 店先に出ている赤いベンチが目印の小さなお店だ。大きなぬいぐるみが座っており、存在感がある。


「わぁっ! これがパンケーキのお店!」


 将崇は目をキラキラと輝かせ、感動の表情を見せた。

 今では、松山市でも珍しくはなくなってしまったが、九十九が初めてパンケーキのお店に来たときも、こんな風に感動した気がする。東京などでブームになったお店は、少し遅れて地方に進出してくるためか、憧れのようなものがあったのだ。

 あれ。そういえば、将崇はどこから転校してきたと言っていたかな……?


「湯築さん。ぼく、いちごのパンケーキがいい!」

「わたしもそれにする」


 ちょうど、席が空いていてよかった。運が悪いと二時間は待つことになる。


「パンケーキ♪ パンケーキ♪」

「そんなに楽しみだったんだ……」

「うんっ。里では、お洒落なお店なんてなかったから!」

「里って……? そういえば、将崇君ってどこの高校から転校してきたんだっけ?」

「ねえ、湯築さん。スムージーも頼んでいい?」

「あ、うん。ここは、スムージーも美味しいよ?」

「ほんと!?」


 あれ、今、話を逸らされた?

 九十九の疑念を知ってか知らずか、将崇は無邪気にパンケーキとスムージーを店員さんに注文していた。

 そっとポケットに手を突っ込むと、将崇が拾ってくれた消しゴムがある。コロンとした感触を指で確かめながら、九十九はレモン味のするお冷に口をつけた。


「おおー! すごいっ! 湯築さん、パンケーキってすごい!」


 運ばれてきたパンケーキを見て、将崇が興奮の声をあげていた。

 大きめの皿に、ふわふわと厚みのあるパンケーキが三枚並んでいる。そこにバニラアイス、ホイップクリームが添えられ、南国を思わせる生花で飾りつけられていた。たっぷりのいちごソースと、生のいちごがちりばめられており、見た目から食欲をそそる。


「んぅー。ぼく、こんなに美味しいものは初めて食べるぅ」


 将崇が目をキラキラ輝かせながら、パンケーキを次々と口へと運んでいる。

 パンケーキはフォークで突くだけでプルンと揺れるほど、ふわふわで軟らかい。口の中へ入れると、その軟らかさは顕著で、ほろりとスフレのように溶けていく。そうかと思うと、もっちりとした食感で口の中に残っていた。食感の二段構えに魅了され、三枚とも飽きずにペロリと食べられてしまう。

 京や小夜子とも時々行く九十九のお気に入りのパンケーキである。この食感は、低温でじっくりと焼きあげるからこそ実現するのだ。


「なんか、女の子と二人でパンケーキなんてデートみたいだね」

「ぐ、ふぅっ!」


 九十九が考えないようにしていたことを、将崇がアッサリと言ってしまう。ゲホゲホと噎せる九十九を見て、将崇が不思議そうに首を傾げた。


「あれ、湯築さん彼氏いたの?」

「い、いないよ!? いないからね!?」


 彼氏ではなく、夫ならいるけれど。

 しかしながら、これをデートと呼んでしまうと……九十九は複雑な気分だった。将崇と一緒にいるのは楽しい。弟のように、とても可愛らしいし気分が和む。

 そう、癒されるのだ。

 シロとは違う。

 違うのだ。

 思えば、シロ以外の男性と仲良くなったことなど、あまりない。

 恋をしたことだって、ない。


「え? いないの?」


 将崇の唇が弧を描き、ニッと口角がつりあがった。


「じゃあ、湯築さん。ぼくと、おつきあいしてよ?」


「え」


 思ってもいなかった言葉に、九十九は思考が停止した。

 

 

 

 本日、書籍の発売日でございます。

 書籍での改稿内容や書影等は活動報告にあります。

 どうぞ、よろしくおねがいします。

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