4.ゆるキャラって、こういうことですね!
昼休み、お弁当を広げながら。
「ゆづ、表情が死んどるよ?」
「そう?」
「うん。ぶっすーってしてる」
「ぶっすー?」
「不細工やったよ」
「うるさい」
自分では、そんなことなどまったく気がつかなかった。
九十九は無意識のうちにブスッとしていたらしい表情を改めようと、頬を両手でパチンと叩いてみた。まるで、スポーツ選手の気合い入れである。
「なんかあったん?」
「別に……」
「彼氏に浮気されたか」
「う、浮気なんて……その前に、彼氏じゃないし!」
彼氏ではなく、夫である。とは、なかなか言い難いが、一応は否定しておく。
どうして不機嫌なのか、九十九自身にも説明ができない。そもそも、不機嫌であるつもりもない。
強いて言うなら……頭の中をチラチラと過ぎる顔と声。
シロの腕に擦り寄る宇迦之御魂神の姿が、何故か頭を占めていた。
昨日も、部屋に案内されたあとは、ずっとシロと一緒にいたようだ。九十九が夕食の膳を持っていくと、仲良く二人で松山あげを食べながらお酒を飲んでいた。
まあ、シロがお客様とお酒を飲んでいるのは、いつものことだけど。
なにも思うことなどなかった。なにも。なにも、なかった!
「やっぱり、ゆづ怖いよ?」
「なにも思ってなんか、いませんから!」
唐突に声を荒げた九十九に、京はびっくりしたようでお弁当の箸を落としてしまう。机を引っ付けていた小夜子も、「つ、九十九ちゃん……」と怯えた声をあげている。
「もう、ゆづが急に大きい声出すから、箸落とした……洗ってくるわ」
「ごめん」
京が呆れた声で言いながら、箸を拾って立ちあがる。廊下の蛇口まで歩いていく京の背を目で追いながら、九十九は自分の行為を反省した。
「大丈夫? 九十九ちゃん……」
「そんなに大丈夫そうに見えてない、かなぁ?」
「うん……」
小夜子に気遣われながらも、やはり自分では自覚症状はない。しかし、周りの反応を見る限り、だいぶ重症のようだ。
どうしたものか。九十九は息をつくが、解決策など思いつかなかった。
「シロ様のこと、そんなに怒ってるの?」
「え? シロ様を? なんで?」
「……九十九ちゃん、やっぱり怒ってるよ?」
無自覚のうちに、九十九はぶっきらぼうに言い放っていたようだ。
本当にどうしたものか。
「シロ様と直接話してみたら?」
「なんで! シロ様と?」
「ほら、また……とにかく、話してみたほうがいいと思うよ」
小夜子に促されるが、九十九にはピンと来ない。
九十九がシロのことを怒っているなど……珍しく正装していたり、特定のお客様とベッタリだったり、仲良くしていたり……別に怒ってなんか、いない。
九十九は口をへの字に曲げながら、腕組みをした。小夜子が額に手を当てて、「九十九ちゃん……」と項垂れている。
「湯築さん」
無意識にふんぞり返ってしまっていると、うしろから声をかけられた。
人懐っこい高めの男声。真っ黒の学ランをまとっているが、男子にしてはやや小柄。赤っぽい黒髪の下で笑う顔が愛くるしい小動物のような印象を受けた。
刑部将崇。
この春から同じクラスになった転校生だった。
「消しゴム、落としてましたよ。これ、湯築さんのでしょう?」
将崇は人好きのする笑みで、九十九の前に掌を出してみせた。そこには、確かに九十九が使っているのと同じ消しゴムが乗っていた。
愛媛のご当地キャラ、タルトマンの消しゴムだ。松山銘菓のタルトを模したゆるキャラで、九十九のお気に入りであった。
ちなみに、タルトはいちごなどが載ったケーキ屋さんのタルトではない。カステラ生地にアンコが包まれたロールケーキのことを、愛媛ではタルトと呼ぶのだ。
「ありがとう、将崇君」
九十九は何気なく言って、将崇から消しゴムを受けとった。
先ほどまで、むっすりとしていたのが嘘ではないかと思えるくらい、自然に笑みがこぼれることが自分でもわかった。
将崇は本当に嬉しそうな表情で「いえいえ!」と頭を掻く。なんとも愛らしい感じがして、九十九も表情がつられてしまったのかもしれない。
彼には人を和ませる空気があるのかもしれない。擬音で表すなら、「ほわ~ん」だ。
第一印象でも思ったが、湯築屋で仲居をしている子狐のコマに少し近いものを感じる。コマのほうが慌ただしい気がするけれど。
「ぼく、まだ引っ越してきたばかりで友達いなくて……よかったら、仲良くしてくださいね!」
「こちらこそ。あと、敬語なんて使わなくていいよ」
「本当? ありがとう! 女の子には優しくしなさいって、爺様に言われていたからね」
将崇はクシャリと笑って、九十九の手を両手で握手した。唐突に手を握られて九十九は驚いてしまったが、その様もなんだか可愛くて許してしまう。シロと違って下心を感じない純粋な子なのだと思った。おじいさんの言葉を守って女の子に敬語を使うところも、実に微笑ましい。
クラスメイトというよりも、後輩や弟と言った感覚のほうが近いか。
なんとなく、頭をワシャワシャとなでたい衝動に駆られるが、流石にそれは失礼だ。やめておこう。
「あ、ゆづ。浮気しよるー!」
廊下から帰ってきた京が指をさしながら笑った。
恐らく深い意味はないのだろう。ふざけているだけだとわかっているが、九十九は思わず顔を赤くして椅子から立ちあがってしまう。
「浮気って……将崇君に失礼だよ! それに、アレは彼氏じゃないってば!」
あれ? でも、彼氏じゃなくて夫でも、他の男の子と仲良くしていたら浮気になるのでは? と、正論が頭に浮かんだが、単に握手をしただけで浮気だと認定されても困るとも思っていた。
それでも、九十九はとっさに教室の窓の外をふり返ってしまう。
しかし、シロの使い魔らしい動物の姿は見えなかった。
あれ? 今日はいないのかな?
「でも、ぼくは湯築さんと仲良くなれたら嬉しいなぁ!」
九十九の気など知らず、将崇は無邪気にそんなことを言って笑った。その表情があまりに無垢すぎて、一瞬、些事などどうでもよくなってしまう。こういうところは、彼の才能かもしれない。
「湯築さん、これからよろしくね!」
将崇はそんなことを言って手をふる。つい、九十九も手をふり返してしまう。
「ねえねえ、湯築さんよぉ。どういうことなのか、ご説明いただけますかねぇ?」
二人のやり取りを見て食いついたのが京だった。
ボーイッシュな顔に意地悪な表情をたっぷり浮かべて、京は九十九に迫る。
「せ、説明って言われたって……消しゴム拾ってもらっただけよ」
九十九はそう言って、将崇から受けとった消しゴムを見せる。京は疑わしそうにジト目でこちらを見ているが、無視だ。相手をすると、いろいろ面倒である。
しかし、将崇には和まされた。
何故だか不機嫌だったようだが、今ではすっかりといつも通りであると自覚する。
「あれ?」
消しゴムをペンケースに仕舞おうとして、違和感。
九十九はペンケースの中に入っていた消しゴムをつまみあげる。
掌には、全く同じタルトマンの消しゴムが二つ、コロンと並んでいた。
明日、書籍の発売になります。
どうぞよろしくおねがいします。




