5.神様に営業活動
「メンドイ女、か……」
京から、そんな評価をもらってしまった九十九は悶々としながら、自宅である旅館の敷居を跨ぐ。
暖簾を潜れば、そこは外界から切り離された結界の中。昼夜問わない黄昏色の空に、ボウッと浮かび上がる近代和風建築が九十九を見下ろしていた。
因みに、この結界は入る者を選別する。
湯築屋の関係者や客である神霊以外は結界に立ち入ることが出来ない。引き籠り、もとい、天照大神がいつも注文する荷物を届ける宅配業者などには、普通の寂れた古宿にしか見えていないだろう。九十九の友人などを呼んでも同じこと。
つまるところ、結界を作ったのはシロなので、シロが招くべきではないと判断した来訪者は、この宿を訪れることが出来ないのだ。
「ただいまぁ」
ややトーンを落とした声で、九十九は従業員用の勝手口から旅館へ入る。
「おかえりなさいませ、若女将。女将からメールが届いてますよっ!」
子狐のコマが元気よく九十九を迎えてお辞儀をする。
九十九は「はいはーい」と軽く返事をしながら、ローファーを脱ぎ揃えた。ポニーテールの赤いリボンを解きながら、業務用のパソコンのある経理室へと歩いていく。
女将――九十九の母親である湯築登季子からの連絡は、たいてい仕事用のメールで届くのだ。
帰りに買った、餡子たっぷりのひぎり焼きを頬張りながら、結い跡のついた髪をポリポリ掻いた。所謂、大判焼きや今川焼きのようなものであるが、生地に食べ応えがってどら焼きのような食感をしている。
「お母さん、今どこなんだろ」
ハァっと一息ついて、パソコンのメールを開く。LINEやSkypeでも連絡は取れるが、登季子は仕事についての連絡はメールで行うのが常だ。
「……ギリシャ? かな?」
メールに添付された写真を見て、苦笑い。
これは仕事のメールだ。仕事なのだ。と、わかっていても、流石にパルテノン神殿を背景に酒瓶を掲げる女将の姿を見ると顔を引きつらせずにはいられなかった。
胸元が大きく開いた真紅のワンピースを着て、若々しくウィンクまでしている。これがまた歳の割に似合っているから腹立たしい。
隣に写っているのは、厳つい表情をした壮年の男性だ。腕を組んでカメラに視線を送る様は威風堂々としていて近づき難い印象があるが、着ているのは日本のアニメキャラがプリントされたTシャツだ。
なんともアンバランスで痛々しい……いや、独特な絵面だが、メールの添付ファイルに写っているということは、仕事相手には違いないだろう。
「ほう。登季子は、また興味深いものに手を付けたな……やれやれ」
いつの間にか、気配もなくシロが九十九の背後に現れていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと! いきなり後ろに立たないでもらえませんか!?」
「何故だ? いつものことではないか」
「いつも嫌がってるんですけど!」
「そうなのか? 何故だ?」
「だ、だって、ビックリするし……その、今、学校から帰ってきたばっかりで、髪だってボサボサで……」
「客の前でもないのに、髪など気にしているのか。妙なことを言うな」
「そ、そういうことじゃなくって!」
「どういうことなのだ?」
シロは至極当たり前のように言いながら、何故、九十九が怒っているのか思案して首を傾げる。
しかし、やはり彼には理解出来ないらしい。やがて、興味を失ったようにパソコンの写真に視線を戻す。
「ギリシャ神話の天空神とは、大きな相手に手を出したものだ」
シロは九十九が机に置いていた紙袋から、ひぎり焼きを取り出す。
手元でパチンと指を鳴らすと、青白い狐火が灯る。その熱で、ひぎり焼きを温めると、満足げに頬張った。ひぎり焼きを温めるために神気使わないでください、駄目神様。
因みに、レンジでチンすると、餡子がトロトロになって、とても美味しい。
「それ、わたしがおやつに買ってきたんですけど」
「うむ。美味い」
「もう……」
気を取り直して。
「それはさておき。ギリシャ神話……もしかして、ゼウス神ですか?」
「おそらく」
ギリシャ神話の主神、全知全能の天空神ゼウス。
オリュンポス十二神をはじめとする神々の王であり、天空の支配者である。日本でも十二分に知名度のある有名な神様だ。
「登季子が判断したのだ。悪いことはなかろうよ」
九十九が自然と身構えているのを感じとって、シロがポンと肩に手を置いた。手が妙に大きくて温かく感じたのが、なんとも癪だ。
女将である九十九の母・登季子の仕事は「営業」だ。
人間にして強い神気を操作出来る登季子は、世界各地を巡って神々に湯築屋の営業を行っているのだ。ここ十数年で海外の乗客が増えたのは、まさに女将のお陰である。
他にも、インドのヴィシュヌ神やエジプトのラー神、南米のケツァルコアトル神まで呼び寄せた実績がある。だいたい満足してお帰り頂いたし、常連客となった神様も多い。
女将が自ら旅館を留守にして営業と聞くと妙な話だ。
しかし、現時点の湯築屋に登季子以上の強い神気の使い手はいない。相手は普通の人間などではないのだ。シロが離れるわけにもいかないので、営業をするなら当然、相応の人物である必要がある。
幼い頃は、「おかあさんは、つよい巫女なのに、どうしてシロ様とケッコンしなかったの?」と、無邪気に聞いたこともあったくらいだ。
「登季子は良い巫女だよ。神気の扱いもさることながら、社交的で活動家だ。旅館が賑わったのも、登季子の手腕が大きかろう……別段、経営に困るわけでもないが、客層が広がるのは良いことだ。神を相手にした旅館とて、グローバルな現代社会に対応せねばな」
シロは腕組みをしながら、しみじみと登季子を絶賛する。
確かに、その通りであり、九十九も同意した。
「なんだ、九十九。不満そうではないか?」
「へ? はい? 不満、ですか?」
全く無自覚だったことを指摘されて、九十九は本気で間の抜けた顔をしてしまった。
「そういえば、この間も……何故、儂が登季子と結婚出来なかったのか聞いていたな?」
「こ、この間って……五歳のときの話じゃないですか!?」
「十二年前など、この間の話ではないか」
「シロ様尺度で定義しないでもらえます!?」
神様にとっては、十数年前など「この間」であろう。だが、そういう感覚をごく一般的な寿命の人間相手に持ち出さないで頂きたい。
「とにかく! 女将が営業結果を寄越したってことは、お客様がお越しになるってことだから……シロ様もお客様をお迎えする準備をしてください!」
「うむ、心得ているぞ。今回は上客の予感がするからな……酒は趣向を凝らしてみるとしよう」
「お酒選びとか、どうでもいいんですけど!?」
「どうでもいい、だと? どうでもよくはないぞ、九十九。酒は神事には欠かせぬと、昔から相場が決まっておるのだ。神を呼ぶときは酒を用意せよ!」
「いや、シロ様いつもお客様と一緒に飲んでるだけですよね」
「だって、掃除は掃除機が苦手で好かぬし、料理は料理人に任せて手出しは不要。一緒に酒を飲んで楽しく接客するのが儂の仕事であろう」
「配膳とか、客室の整理整頓とか、お風呂掃除とか、経理とか、その他諸々お仕事は山ほどありますけど!?」
そそくさと逃げようとするシロの尻尾を、ガッチリとホールドする。
白くて長い尾がモフモフと腕の中で暴れ、シロの頭の上で耳がビクビクと動いていた。
「若女将っ! 若女将ぃっ!」
離せ、離せ!
いいえ、離しません!
そんな叫び声をあげながら揉み合う二人を制止するように、子狐のコマが入室する。
「若女将っ、大変ですー! 女将が……お帰りです!」
コマの言葉に、九十九は顔を引きつらせた。
女将である登季子からメールが届いたのは、今日だ。それも、ギリシャからのメールである。物理的に考えて、今日中に帰国するのは無理のはずだが――。
「お母さん……またメールの送信忘れてたのね」
つまり、帰りの飛行機か乗り継ぎの空港からメールを送ったということで……しかも、早めに帰ってくる旨を書き忘れている。登季子のメールでは、よくある事故であった。
いや、そうそう頻繁にあっても困るのだが!
「大変!」
九十九はハッと我に返って、掴んでいたシロの身体を放り投げる。シロがバランスを崩して床に倒れていくが、まあ気にしない。
「コマ、急いでお部屋の準備をして」
「はいっ! 若女将!」
九十九の声一つで、コマもテキパキとした動作で廊下を走っていく。
女将・登季子が帰ってくる。
それは、営業で獲得したお客様がいらっしゃるということだ。
「やれやれ……仕方あるまいよ。手伝うか」
床に尻もちをつきながら、シロが息をつく。
その瞬間、ボサボサに結い跡のついていた九十九の髪と地味なブレザーの裾がフワリと浮き上がる。一般的な女子高生の身体は眩いばかりの神気に包まれて、――いつの間にか、九十九は薄紅色の美しい着物を羽織っていた。髪も整い、耳元で折り鶴のかんざしが揺れる。
「どうだ、九十九。儂も手伝っ――」
「そんな感じで、客室のお花も作っておいてくださいね!」
胸を反らせて威張るシロの横をすり抜けて、九十九は廊下を急ぐ。シロが物欲しげになにか叫んでいるが、聞こえない聞こえない。




