12.若干の変化をしつつ、ゆったりと流れる日常
ちらり、ちらり。
雪が舞っている。
湯築屋の雪は結界の中に降る雪。触れても冷たくなく、儚く消えていく。白い庭を彩るように寒椿の花が咲いているのが美しい。
寒々とした、されど、決して寒くはない不思議な庭の風景を縁側で眺めているのは、結界の主にして湯築屋のオーナーである稲荷神白夜命。
藤色の着流しに濃紫の羽織を肩にかけ、煙管に口を寄せている。細い紫煙が揺らめいて、空気に溶けて消えていった。
「シロ様、こんなところにいたんですか?」
幻想の雪で白く染まった庭に、シロの姿は美しく思えた。うっかりと見惚れてしまいそうになりながらも、九十九は口をへの字に曲げて仁王立ちする。
「こんなところとは……これから、雪見酒でも飲もうと思っておったところだ」
「サボってないで、手伝ってくださいっていう意味ですよ。天宇受売命様はお帰りになりましたけれど、七福神の皆様方がお越しなんです」
「カレーでも出しておけばよかろう。連中の好物だろう?」
「……今、お父さんが寸胴で作ってるところです」
七福神は大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊という七柱の総称である。
なぜか、彼らはカレーライスと福神漬けが大好きなのだ。福神漬けの名前の由来となったとも言われているせいか、妙に愛着があるらしい。毎回、団体で宿泊しては、カレーライスをありったけ食べて帰っていく。
「儂のカレーには、松山あげを入れておくよう料理長には言っておけ」
「シロ様も、本当に松山あげお好きですよね」
「……松山あげの入ったカレーうどんも好きだ」
「……はあ」
九十九は息をつく。
すると、シロはコンコンと指で自分の隣を指した。隣に座れということだろう。そんな暇はないのだが……少しだけ、つきあうことにした。
「素直に座るなど、珍しいではないか」
「少し心にゆとりを持つことにしたんです」
天宇受売命の宿泊で、九十九は自分には余裕がないことに気づいた。京との関係もそうだが、もう少しだけ、ゆとりを持ってもいいのではないかと思うようになったのだ。
ダンスバトルのあと、京を湯築屋に泊めることはできなかった。やはり、只人である京を宿に招くことは、湯築屋の性質上はばかれるのだ。代わりに、従業員たちに許可をとって、九十九が京の家に泊まりに行った。
修学旅行以外での外泊など初めての体験で、思ったよりも新鮮だった。
他人の家にお邪魔するのも、友達と同じ布団で寝るのも、夜遅くまで他愛もない会話やゲームをしたりするのも……初めてで、そして、楽しかった。
京のほうも、今まで見たこともない顔で笑っていた。彼女があんな顔をするなんて、どうして知らなかったのだろう。
「シロ様」
「なんだ?」
静かに、けれども、はっきりと。
「わたし……大学、行かないつもりだったんです。このまま旅館を継ぐことになると思うし、他にやりたいことも特にないし――でも、やっぱり、大学行ってみようと思うんです。もっと、いろいろなこと知っておきたいんです。わたし、たぶん、なにも知らなくて……」
九十九は高校二年生だ。
来年は受験の年となる。もう進路を決めなければならなかった。いや、遅いくらいだ。
「受験しようと思います。もちろん、県内の大学です……いい、ですか?」
戸惑いながら問うと、シロは不思議そうな表情で九十九を覗き込む。いつもながら、顔が近くて、一瞬、ドキリとしてしまう。
「儂が九十九の希望を断ったことがあったか?」
そう言って、自然な動作で肩に手を回される。予期せず密接して、九十九は声が裏返りそうになってしまう。
「九十九の好きにするがいい。どうせ、変わらぬだろう?」
「ありがとうございます……!」
九十九はさり気なく、シロから身を剥がそうとする。だが、シロは腕に力を込めて、九十九を放してくれそうにない。
「シロ様、過剰なスキンシップはセクハラだって言ってますよね!?」
「すまぬ。九十九に触っていると、落ち着くのだ。もう少しだけ、赦してはくれぬか?」
シロは当たり前のようにサラリと言いながら、両手で九十九の肩を捕まえてしまう。逃れることができなくて、九十九は反射的に身構えた。
放してはくれないが、本気で抵抗すれば抜け出せることができる。そんな力加減だ。
着物の絹ごしに肌と肌の熱が伝わりあい、身体が温められていく。
結界の中が静かすぎるせいなのか、すぐそばに、シロの鼓動を感じた。
神様にも鼓動がある。身体のつくりは人と同じなのだと実感すると、途端に顔が熱くなってきた。
「九十九の神気は温かいからな。冬の寒さには、ちょうどいい」
「別に結界の中なんだから、寒くないじゃないですか!」
「雰囲気という奴だ」
腕の力が緩んだ隙を見て、九十九はサッとシロから離れる。シロは名残惜しいのか、面白くないと言いたげだった。
「九十九に触っていると、妙に安心するのだ。誰にも渡したくない」
「そ、それ、自分がなに言ってるか自覚して言ってます!? 恥ずかしくないんですか!?」
「なんの話をしているのだか……夫婦なのだから、素直に述べてもいいではないか」
「自覚してるような、無自覚なような、妙なズレなんとかしてくれません!?」
わかっているのか、いないのか。恥ずかしいセリフをサラサラと。
九十九は身体の奥から熱いものがわきあがるのを感じて、顔を両手で覆う。たぶん、めちゃくちゃ怒っているのだ。きっと、そうだ。身体が熱いのは、腹が立っているからに違いない。
「それでは、お客様のところへ行って参ります! シロ様も手伝ってくださいよ!」
「うむ。カレーに松山あげを入れてくれたか、確認しに行くとしよう」
「松山あげは、わたしが入れておきますから!」
心に少しはゆとりを。
しかし、あまり変わらぬ日常。
若干の変化をしつつ、ゆったりと流れるこの日常が堪らなく愛おしい。そんなことに気づくのは、たぶん、もう少しあとの話だろう。
4章の更新はここまでとなります。
5章は7月か8月頃を予定しておりますので、どうかお待ちいただければと思います!
書籍情報などは情報解禁になったら、公開していきますので、よろしくおねがいします!




