11.素直になりたくて
教師が採点をし、そこへ生徒たちの投票した点数を足していく。
本来ならば、後日に結果発表だったのだが……渦目か天照のどちらかが細工したようだ。体育教師は生徒たちに自習を言い渡して、その場で採点と集計をはじめた。体育の時間は二時間続いていたので、元々、少し時間が余っていたのも幸いする。
ボールを持ち出して、球技をはじめる生徒もいれば、体育館の隅で雑談する生徒もいた。
「湯築さんたち、すごかったねぇ」
「麻生さんも一人なのにすごかったわぁ。どこかで習っとるんかな?」
「あそこだけ次元が違っとったよなぁ……これ体育の時間よねぇ?」
「昨日見たら消えとったけど、この前、湯築さんに似た人が踊ってる動画見たんよ」
「あ、それ、あたしも見たー。削除されとったし、本人に聞いたら全否定されたわ」
体育の授業に不相応なダンスを披露したせいか、クラスメイトの会話がちょいちょい恥ずかしい。シロに動画を削除してもらっておいて、本当によかった。着物姿だったせいか、本人かどうか完全に特定し難かったのも救いだ。たぶん、誤魔化せているはず。たぶん。
「ふふ。若女将、今日のダンスが一番素晴らしかったですわ! 特別に、九十二点を差し上げましょう!」
演技の終わった九十九に、天照はそう言いながら胸を張る。
「すごく褒めていただいている割には、満点じゃないんですね」
「所詮は素人です。プロにはかないませんからね。自惚れないでくださいませ」
「はあ……例えば、天宇受売命様なら満点ですか?」
「もちろ……な、なぜ、今その話になるのですか! 宇受売だって満点は難しくてよ!」
天照はあからさまに取り乱し、口調を濁らせる。その仕草が、見た目と同じく少女らしくて、愛らしいと思えてしまう。
「天照様は本当に素直じゃありんせんなぁ」
コロコロと笑声を転がした渦目が近づいてきた。ダンススクールの先生らしく、各グループを回ってコメントをしているようだ。
渦目の姿を見て、天照が白い頬を真っ赤に染めて、目尻をキッと吊りあげる。
この振れ幅の大きさ、なんとかならないものか。
「どうでしたか? わたくしのプロデュースしたダンスは! この日のために、宅配便のたびに鍛えていましたのよ」
「ええ、楽しませてもらいんした」
渦目はニコリと笑って、天照を見下ろしている。
その表情がとても嬉しそうに思えて、九十九はふと気になってしまう。天照はとても面倒くさいことを言っている。意地を張って、ワガママを言っている。
それなのに、渦目はとても優しく笑っているのだ。
「わたくしが勝ったら、今度こそは言うことを聞いていただきますからね! 八百万の神に対して、新しい宇受売のイメージについてプレゼンを考えていますの。清楚でおしとやかな淑女系ダンサーなど、イケておりますわ」
「それも面白そうでいんすが、イメチェンするには千年の単位で遅かったでありんす」
「そんなことありません! 今からでも! 遅くはないです!」
必死に食い下がる天照を軽く受け流しながら、渦目は本当に楽しそうに笑っていた。心なしか、天照のほうも生き生きとしているような気がした。
あの二人が仲直りできればいい。そう考えていた九十九の気持ちは、おこがましいのではないかと思えた。
だって、そこにいる二人の女神は、とても仲がよさそう見えるのだから。
「ゆず……」
そうしていると、おもむろに、京が近づいてきた。
やり場がなさそうに目線をうろつかせている。少しずつ前に進んでいるが、足運びは迷いがあるようだった。なにかを言いたそうに口をモゴモゴしているが、聞きとれない。
「京、すごかったね! びっくりしちゃった。渦目さんと、たくさん練習したんでしょう?」
京が口を開く前に、九十九は明るく声を発した。
もっと、他に言うべきことがあったかもしれないが、今はこれしかなかった。単純に努力をした京に称賛を送りたい。そう思ったのだ。
「ゆず、うち――」
「集計ができましたー! 発表するので、集合してください!」
ちょうど、体育教師が得点の集計を終えて声をあげていた。京は開きかけた口を閉じて、黙って踵を返してしまう。九十九や他の生徒たちも、一斉に集まっていく。
「では、上位三グループの発表です。まずは、高橋さんと斎藤さんのグループ! とても、可愛らしい寸劇が入っていて、工夫を凝らしていたと思います。九点!」
九十九はさり気なく、京の隣に座る。
京は少し表情を歪めたが、九十九を無視して前を見た。
「ねえ、京」
「…………」
ひそひそと、京に話しかける。
京は聞いていないふりをしているが、九十九は構わず続けた。
「わたし、自分の票は京に入れたよ」
「え?」
ようやく、京が意外そうな表情で九十九をふり返った。顔には、「なんで?」と書いている。
普通、自分が競っている相手には票を入れない。生徒の得点は自分を除いて十四点を全員で奪いあう制度になっている。敵に塩を送るほどの余裕はないはずだ。
「やっぱり、京が一番上手だと思ったから。見直しちゃった」
億劫もなく言うと、京は体育座りのまま視線を下げた。
「一位と二位は、非常に接戦でした。先生は、二班ともに十点をつけています」
体育教師の解説が聞こえているような。聞こえていないような。
結果など、どうでもいいように思われた。
「ありがとう、京。本気でやれて、楽しかったよ」
京は俯いたままだった。表情は見えず、どんな感情を秘めているのかわからない。
「一位は、麻生京さんです! 十八点を獲得しました!」
結果発表を聞いた瞬間、後ろのほうで奇声があがる。たぶん、負けて悔しがる天照の悲鳴だろう。ご丁寧に、膝を床につく音まで響き渡っている。
「おめでとう、京」
京が顔をあげた。
ずっと泣いていたのだろうか。目からこぼれた大粒の涙が頬を伝っていた。
「ゆず……ごめん……」
京がやっとのことで言葉を紡ぐと、更に頬を涙が濡らしていく。
勝って嬉しい――いや、そうではない。京が嬉しくて泣いているのではないと、すぐにわかった。
「うち、ワガママ言ってしもうた……ゆず、ごめん……」
普段、ボーイッシュな京が急に泣きはじめて、クラスメイトたちが動揺している。しかし、九十九は気にせず京の頭に軽く手を置いた。すると、京はいっそう表情を崩しながら、九十九の肩に顔を埋める。
顔の見えなくなった京の頭をなでた。
「わたしも、ごめん。なんでも聞くから……京が寂しいって、気づかなくてごめん」
「そうよ。うち、いっつも……ゆずは忙しいからって、あんまり、誘えんくって……本当は、もっと、いろんなとこ、行きたいし……! 学校以外でも、遊んで!」
京は京なりに、九十九に遠慮していたのだろう。
学校では普通の友達でいられるが、休日、一日かけて遊びに行ったりすることはない。仲のいい同級生たちはお泊りだとか、旅行だとか、楽しい話をしているけれど、九十九は旅館があるため誘うことができなかった。学校帰りの寄り道程度はしても、夜までカラオケをしたり、マックで長話をしたり、そんな日常もない。
九十九にとって、長くつきあっている一番の友達は京だ。
しかし、それは京にとっても同じなのだ。
同じなのに、九十九の都合で周りの女子高生たちが送っている、当たり前の日常を送れない。もちろん、それは彼女のワガママだろう。九十九には仕事があるのだから、仕方がない。大人になって、そう割り切らなければならないのだと思う。
理屈は京だって痛いほどわかっている。わかっているからこそ、今まで我慢し続けてきたのだ。
それが今回爆発した。
理不尽な矛先を向けられて九十九は戸惑ったが……これでよかった気がしている。
「木屋町のパンケーキ屋さん、一緒に、行って!」
「うん、わかった。楽しみにしてるよ」
「ゆずの、旅館に、泊まりたいんやけど……!」
「うーん……交渉してみるけど、驚かないでよ?」
「噂の彼氏さん、紹介、して!」
「彼氏じゃないし!? しょ、紹介は、ちょっと……」
京は取り留めもなく、溜め込んでいたワガママを吐き出していく。それらを受け止めながら、九十九は「うんうん」と一つずつうなずいていった。
お客様が少なく、従業員に任せてしまってもいいような日でも、九十九は仕事をしていた。少し見極めて、プライベートに割いてもいいのかなぁと思いはじめる。周りは休んでもいいと言ってくれていたが、なかなか素直に休んだことは少ない。
なによりも、今、とても京と遊びたい。話したい。一緒にいたいと思っている。
「素直になりんしたね。誰か様のように、少しくらい我儘を申しても、いいのでありんすよ」
いつの間にか、渦目が二人のそばに腰を下ろしていた。
渦目は優しい三日月のように目を細めて、九十九に笑いかけてくれる。
渦目が京を選んだ理由とは――九十九のため?
京のくすぶっている思いを見抜き、吐露させてくれたのではないか。そして、九十九の在り方について問うてくれたのではないか。
そんな気がした。
天照と天宇受売命の問題を解決しようなどと、自分はおこがましいことを考えていただけではない。逆に九十九が見えていなかった問題を明らかにしてくれた。
普段はおもてなしをする側だが、仮にも彼女たちは神様だ。
土地や人に恵みを与え、見守る神の一柱なのだと思い知らされる。
天宇受売命は舞踊や芸能の女神だが、「おかめ」や「おたふく」とも呼ばれ親しまれている。そして、彼女は人々に幸福をもたらす「福の神」でもあった。
「ありがとうございます」
「なんにも。わっちは、手出ししておりんせん」
女神の笑顔はとても優しくて、眩しくて……暖かかった。




