10.神気の無駄遣いです……!
試験の日は訪れた。
生徒がそれぞれに練習を重ね、その成果を評価する日だ。
もっとも、九十九たち以外の生徒にとって、さほど大きな意味を持たない、小さな試験でしかないのだが。
「それでは、体育の授業をはじめますよ! 今日は、特別にダンススクールの先生にも来てもらいました!」
「渦目福江です、お願いしんす」
パンパンッと両手を叩いて、授業の開始を宣言したのは体育教師――隣には、なぜか天宇受売命の姿があった。
「ちょ、あ、天宇受売命様! なんで?」
「嗚呼、どうせなら直接見学しようと思いんしてなぁ。ちょこっと細工しんした……今日はゲストの渦目福江でありんす。さあさ、列にお戻りになってくださんし」
九十九が小声で問うと、天宇受売命――渦目はニコッと笑ってウインクしてみせた。おそらく、神気を使用して自分がゲストとして体育の授業に参加できるよう、細工したのだろう。証拠に、誰も渦目を不審に思っていない。
「つくもおねえちゃーん! がんばってー!」
九十九が出席番号順の列に戻ると、今度はうしろから黄色い声援。
ギョッとしてふり返ると、小学生くらいの幼い少女が元気いっぱいに声を張りあげ、両手をふっていた。長い黒髪をツインテールにして、暖かそうなモコモコの赤いポンチョを着ている。手をふるたびに、リンッと鈴が鳴るのも可愛らしい――どう見ても、天照だけど。
膝に白い猫が乗っているが、きっと、あれは様子を見に来たシロの使い魔だろう。
「あ、あまて……!?」
「つくもおねえちゃん、おうえんしてるよー!」
普段からは想像もできないような裏声で、天照は九十九の名を呼んでいた。どうやら、渦目と同じく神気で細工をして、九十九を応援しに来たらしい。
無邪気に手などふって笑っているが、九十九には天照の真意が透けて見えていた。たぶん、あの可愛らしい顔で「負けたら許しませんわよ」と思っているに違いない。そういう笑顔だ。なぜか、気迫を感じる。
神気の無駄遣い……! 両女神に、そう突っ込んでやりたかった。
「それじゃあ、みんな班別に並んでください。順番に」
体育教師の声を合図に、生徒たちがダラダラと移動をはじめる。
事前に引いたクジによって、九十九の順番は一番最後と決まっていた。京は最後から二番目。二組が連続している。
テストの点数は体育教師の採点とクラスメイトの投票によって決まることになっていた。自分に投票することは禁止されている。
教師の採点によって十点が付与され、更に、自分を除く女子のクラスメイト十四点分で競うことになっていた。
「ゆず、忘れとらんよね?」
班別に並んだ際、隣になった京が九十九のほうを睨んできた。
九十九は怖気ずくことなく、まっすぐに京へ視線を返す。
「うん、わかってるよ。わたしだって、やれるだけ練習したから、本気でいくけどいい?」
「期待しとこうわい」
小夜子だけが雰囲気に呑まれて小さくなっていた。
――うち、学校で適当に遊べる都合のいい友達ポジなんやろ?
京の言葉が頭を離れない。
九十九は京を都合のいい友達だとは思ったことなど一度もない。
けれども、京はそう感じていたのだ。
神気もなく、神職とも関係のない京に、湯築屋のことを話すのは好ましくない。結界の内側へ連れて行こうとしても、シロが拒むだろう。
温泉旅館などに来てはいるが、神とは神聖なものだ。只人が軽々しく触れても良い存在ではない。見えないからこそ、人は神に畏怖を抱き信仰する。何千年も守られてきた神秘の秘匿が破られれば、信仰の在り方は崩壊するかもしれない。
それでも、もっと京に話すことがあったのではないか。
九十九にはそんなつもりはなくても、無意識のうちに、都合よく考えてしまっていたのではないか。そんな気がして、今更、自己嫌悪する。
実際に、九十九は京から言われるまで、自分の行為に気がついていなかった。
何度も流れる同じ課題曲を聞き流しながら、九十九はそんなことを考えていた。
「じゃあ、次は……麻生京さん」
「はい」
名前を呼ばれて、京が立ちあがる。背筋がピンッと伸びており、視線が高い。立ち振る舞いがいつもより堂々としていると思った。これも渦目の指導だろう。
これまで楽しそうに体育館ステージを眺めていた渦目の視線が真剣になる。うしろをふり返ると、天照が猫を被るのをやめ、剥き出しの闘志をぶつけるかのようにステージを睨みつけていた。
天照様、振れ幅が大きすぎて怖いです。
京は静かに曲がはじまるのを待っていた。
静かすぎる。
が、音が響いた途端、止まっていた時間が動き出した。
「ねえ、すごいね……」
小夜子が思わず、ため息を漏らしている。
それくらい、京の動きは複雑で、しかし、精錬されていた。
振り付けに隙がない、という印象だ。リズムを刻んで待つ場面が少なく、常に動いている。
リズム感が全くないが、激しく複雑な動きをこなす運動神経のある京にとって、ピッタリの振りなのかもしれないと思った。振り付けをリズムではなく、一連の動きとして覚えてしまっているのだ。
京の仕上がりを見ていれば、渦目の指導は最適だったとわかる。
先週の体育の授業で見たときよりも、格段に動きが良くなっており、振り付けも増えていた。
「あ」
いつの間にか、終わっていた。
気がつけば、京のダンスが終わっている。クラスメイトの顔を見ると、皆、同じ気持ちのようだった。まったく時間を感じさせないパフォーマンスであり、「もう少し見たかった」という感想がわいてくる。
「次、湯築九十九さんと、朝倉小夜子さんお願いします」
「は、はい!」
京のダンスの余韻から醒めないうちに、名前を呼ばれる。
慌てるような形で、九十九と小夜子はステージへ登った。演技を終えた京とすれ違う形となり、一瞬目があったが、逸らされてしまう。
「…………」
集中しなければ。
ステージに位置取りをして深呼吸。音楽が鳴るまでの静寂で、頭を空っぽにしようと努めた。
興味深そうにこちらを見る渦目の顔も、妄執に取り憑かれた天照の顔も、複雑な表情の京の顔も目に入らない。頭の中では、なにも考えないようにした。
無心で、鳴りはじめた曲に合わせて身体を動かす。
床を踏み鳴らし、両手を前に。関節をいかに滑らかに、そして、キレのある動きになるか考えた。隣で踊っている小夜子の動きを視界に入れつつ、二人でタイミングをあわせていく。
いつの間にか、汗をかいており、指の先から水分が離れていく感覚がわかった。
なにも考えず、手足を動かし、リズムを刻む。
――うち、学校で適当に遊べる都合のいい友達ポジなんやろ?
考えないようにした。
見ないようにした。
それなのに、ステージの下からこちらを見あげる京に、釘付けになってしまった。
「…………」
それでも、なんとかダンスを終えて決めポーズをとる。
終わったころには、小夜子も九十九も肩で息をしていた。汗が四肢を滴って、どうしようもないくらい身体が熱い。こんな感覚は、連続で練習したときにも味わえなかった。
クラスメイトたちが立ちあがって、拍手している。スタンディングオーベーションというやつだ。初めての出来事に、九十九も小夜子も恐縮して、身体が小さくなっていった。
それでも気になるのは――京の視線で。
九十九は息を切らしたまま、京のそばへと歩いていく。
だが、その進路に割って入るように、渦目が現れる。
「とても素晴らしかったでありんす。少し、ハグさせておくんなまし!」
「は、はぐ……!?」
突然のことで、ぼうっとしていると渦目が容赦なく両手を広げ、九十九の身体をきつく抱きしめた。理解が追いつかないまま、九十九は頬を赤くしてしまう。
女の人(女神様!)から、ハグをされたことなどない。
「ふふ。いい勝負になりんした」
解放されて周りを見回すと、外人のような渦目のリアクションに「アハハ!」と笑いをあげているクラスメイト。あんぐりと口を開けたままの小夜子。歯ぎしりしながら九十九を睨みつけている天照。渦目を退治でもしようとしているのか、足元で猫パンチを繰り出すシロの使い魔の姿が見えた。
情報量が多すぎて、九十九の頭はパンクしそうだった。




