9.神様って、面倒くさい
やるからには、ベストを尽くす。
九十九と小夜子の練習時間は旅館の仕事が落ち着いた、夕食後の時間帯だ。片づけが一通り終わると、まかないを食べずに練習に打ち込む。
「そこは、もっとキレが欲しいですわ。二人で動きを揃えてくださいませ」
天照が声をあげてビシッと指摘する。大変気合の入った一喝であったが、本人はこたつでみかんの皮を剥いており、絵面として大変のんきなものであった。
部屋の壁はアイドルのポスターで埋め尽くされている。普段は部屋の目立つ位置に設置されているスクリーンとプロジェクターは、ダンスのスペースを確保するため、端に寄せられていた。ホームセンターで買えるカラーボックスには、ぎっしりとDVDが詰め込まれており、保存用と観賞用に分けられている。
パソコンは最新のデスクトップと、こたつ用のタブレット端末が完備。動画サイトで課題曲の「おどってみた動画」を再生、比較しながら振り付け、構成から再考している最中だ。
京の新しい振り付けは複雑で、上手く踊れば見栄えのするものだった。
「高校生の体育の授業ということを加味すると、これは非常に危険ですわ。技術では勝っていても、努力した痕跡が見えるという一点において加点される可能性があります。完全にマスターしていなくとも、そのダンスを考えて挑戦したという精神論を評価する。この国の人々が大好きな加点方式でしょうね」
などと分析した上で、天照は九十九たちにダンスの再構成を要求したのだ。
「大丈夫ですわ。若女将たちなら、もう少し上のランクの振り付けでも問題ないでしょう。あとは、わたくしが九十点を出せる程度の出来に仕上げれば完璧です。勝利は揺るぎませんわ」
「天照様、評価してくださるのは嬉しいんですが……」
新しい振り付けになり、激しいダンスを踊ったあとに、九十九は苦笑いした。
隣で小夜子が肩で息をくり返している。目が死にそうなくらい虚ろで、表情だけで「もう無理」と訴えていた。仕事終わりに連続で踊れば当然か。
加えて、小夜子は元々インドア派であり、運動に慣れていない。ダンスは練習すれば踊れるので、たぶん、他のスポーツも真剣にやれば、それなりに開花するとは思うが、運動不足ばかりはどうにもならない壁だった。
「若女将っ、小夜子さんっ。幸一様からの差し入れをお持ちしましたー!」
小夜子が目を回して力尽きたところで、部屋の外からコマの声が聞こえた。
九十九が扉を開けてあげると、トコトコッと足音を立てて二本の足で歩く子狐が入ってくる。頭に乗せたお盆には、くし切りにされた柑橘の皿が三つ。
「紅マドンナ! 美味しそう!」
「はいっ。幸一様がご褒美に、と! もちろん、天照様の分もあります」
コマは天照の前に、ガラスの器に盛られた紅マドンナを差し出した。
「柑橘のブランドを一目で言い当てるなんて、若女将は大した能力をお持ちですのね」
くし切りになった状態の紅マドンナをまじまじと眺めて、天照は感嘆の言葉を口にした。
「え、そんな大げさな。ブランドみかんの識別と、きれいな皮むきは県民の基礎教養ですよ」
九十九は当たり前のように言いながら、コマから紅マドンナを受け取る。
紅マドンナの特徴は、薄い皮とゼリーのようにプルッとしたジューシーな果肉だ。くし切りにすると、それが顕著でわかりやすい。更に、だいたいの旬と、上客である天照にも出すという場面も照らし合わせると、自ずと選択肢は決まってくる。
同意を求めるように、小夜子に視線を送ると、
「……私、全然みかんの見分けつかないよ?」
「え?」
そういう県民もいる、かもしれない……。
ちなみに、紅マドンナには厳しい審査があり、大きさ、傷、糖度などの基準をクリアしていなければならない。故に、値段も高く「高級みかん」として認識され、贈与用として重宝されていた。
紅マドンナの基準に満たないものは「愛果28号」として比較的安価で売られており、家庭に出回るのは、こちらだろう。紅マドンナには一歩及ばないが、値段の関係で愛果を購入する県民は多い。
「うん、美味しい!」
果実を口に含むと、プルプルトロトロの食感と口の中いっぱいに溢れ出すジューシーな果汁。濃厚な甘みが押し寄せてきた。内皮も薄く、手で剥いたり、あとで吐き出す必要がないため非常に食べやすい。種がないのも特徴の一つであった。
まさに、木に生るゼリー。
水分量の多さと甘さが、疲れた身体にしみる。運動前なので、まかないを食べていなかったせいか、余計にそう感じた。
「小夜子ちゃん、終わったら温泉に入ろうっか」
「う、うん……」
「お風呂あがりの牛乳が今から楽しみー!」
九十九はすっかり元気が出て、伸びをする。ジャージの裾からおへそが見えるが、ここには女子しかいないから大丈夫だろう。
「さて、補給が終わったら練習あるのみですわよ! あなた方には、わたくしのすべてがかかっているのですから!」
日本神話の太陽神の「すべて」を賭けられるなど、大げさな。
「わかりました……でも、天照様。天宇受売命様とは、一度お話しになりましたか?」
問うと、天照は頑なに口をへの字に曲げたまま、「ふん!」と鼻息を鳴らした。
これは、あまり腰を据えて話しあったことがないのだろう。
「宇受売が悪いのですわ。わたくしは、せっかく彼女を思って忠告しているのに……」
「そうは言っても、天宇受売命様はあれでいいって言ってますし」
「お黙りください」
天照は少女の容姿でこたつを深々と被り、紅マドンナを指で突いた。
「須佐乃男なんて、悪ふざけが過ぎるから宇受売に会うたび、岩戸神楽の舞を見せろと言うのですよ……あろうことか、宇受売は二つ返事で承諾しますし……!」
「まあ、本人がそれでいいなら、いいんじゃないですかね……?」
「よくありません! みなさま、宇受売の舞をなんだとお思いですか!? 軽々と披露して笑っていいものではありませんよ! よいですか。あれは神事なのです! 神事! 神楽の起源とも言われているのですからね!」
天照は早口で捲し立てながら、こたつをバンバンッと叩いている。その鬼気迫る形相に驚いてか、コマが九十九の足元で毛を逆立てて怯えていた。
天宇受売命が言っていた通りのようだ。天照はこじらせている。天宇受売命のことが嫌いなのではなく、どうしようもなく好きなのだ。そして、意地になっている。
「宇受売は……もっと自分の価値を自覚すべきなのです……!」
言い出したら止まらない。
天照は少女の容姿に似つかわしい震えた声で、頬を赤らめて興奮しながら、九十九たちに「もう一度、最初から練習です!」と叫ぶ。
紅マドンナを口に入れて、顔が若干綻ぶ瞬間以外は、終始態度は一貫していた。




