7.神様は面倒くさい
「なるほど、それは大変簡潔でわかりやすいルールでありんす」
夕食の膳を下げる際、シロが提案した、アイドルなどと大事にはせず、試験の成績で競うというルールを天宇受売命に話すと、天照とは違って両手をポンと叩いて了承してくれた。
ちなみに、天照が勝手に公開していた九十九と小夜子の動画は、すべてシロの目の前で削除させている。天照は口惜しそうにしていたが、九十九が勝つという確信があるらしい。余裕の表情は変わっていなかった。
「今回も楽しませていただきんす」
そう言って、天宇受売命は笑っているが、
「どうして、京なんですか?」
思わず、九十九は疑問を口にした。
京は昔から音痴で、リズム感もない。運動は得意だが、ダンスの類は幼稚園のころから苦手であった。今回は意地を張って練習しているが、どう考えても天宇受売命の加護を受けるほどの腕ではない。目標も、おそらくは九十九に勝てればいいという小さなものだろう。
かつて、天宇受売命は天照との勝負で出雲阿国をプロデュースしたというが、どう考えても、その器にはなれない。それは天宇受売命が一番わかっているだろう。
「面白そうだと思いんして」
「天宇受売命様のことです。京をもてあそぶおつもりはないと信じています……けど……」
「おや、信じてくださるのはありがたいんす。しかし、何故?」
なぜ。
天宇受売命は湯築屋の常連かもしれないが、九十九とは今回の宿泊で初めて会う。信頼する相手かどうか、本当に見極めているのか。そう、問われているのだと気づいた。
「天宇受売命様は湯築屋のお客様です」
九十九は言葉を一つひとつ繋げていった。
「そして、この国の神様です。わたしたちに恵みを与えてくださる、大事な存在です」
「それでも、人というものは与えられた恩恵を、わっちらの名を忘れていくものでありんす。近年の堕神の増加を考えても顕著。仏と違って、神は祟るものでありんしょう? 神が人に害を与えないものだと、無条件に信じるのは感心しんせん」
いつかシロも言っていた。人に優しい神ばかりではないと。
九十九は堕神に襲われたこともある。神々が人に恵みを与えるばかりの存在ではないことも知っていた。
「それでも、わたしはお客様を信じます」
シロの結界は湯築屋や人に害為す者を通さない。結界をくぐる者は、等しくシロが迎え入れたお客様だ。
だが、信じられるのは、それだけではない。
「信じる……違います。信じたいんです」
言うと、天宇受売命は興味深そうに笑みを浮かべる。
「わたし、小さいころから周りに神様がいました。すぐそばにはシロ様がいて、たくさんのお客様が訪れて。一筋縄ではいかないお客様も多かったけれど、とてもよくしてもらいました。お客様をおもてなしするのは、わたしにとっては恩返しなんです」
「……神だって、人を裏切りんす」
「天宇受売命様は大丈夫です」
根拠はない。けれども、九十九ははっきりと言って笑った。
天宇受売命は両目を見開いて、九十九を凝視している。
「戯れに試しただけだと、見抜かれていんしたね」
九十九は返答せず、満面の笑みのまま。
天宇受売命はあきらめたように息をついて笑う。
「巻き込んでしまいんして、ごめんなさんし。本来であれば、わっちと天照様の問題でありんす」
天宇受売命はそう言いながら、豊満な胸の下で腕を組みかえる。
「天照様は意地になっているだけでありんす」
「そこなんですけど……天照様は天宇受売命の舞踊がお好きなんですよね? どうして、あんな風に天宇受売命様に当たるんですか?」
天宇受売命に対する天照の反応を見て常々疑問だった。
「曰く、わっちが露出しすぎなのだとか」
「ろしゅ、つ?」
意外な返答に、九十九は目が点になってしまった。
天宇受売命は、はあっと嘆息する。
「あるころを境に、天照様は裸で踊るなど品がないと激怒しんしてなぁ」
天岩戸に引き籠った天照を誘い出すために、天宇受売命が踊ったことは有名な日本神話の一幕だ。
その際、天宇受売命は集まった八百万の神々を楽しそうに笑わせるために、衣服を脱ぎ捨てて扇情的に踊ったという。服を脱いで踊った天宇受売命の姿を見て神々は笑い、その声を聞いた天照が戸を開けたところで、天手力男神が外へ引っ張り出した。
「わっちにとっては、脱ぐことなどどうでもよいのでありんすし、神々にも気にする者はいんせんけれど……天照様が言うには、わっちの肌を他人様に見られるのが嫌なのだとか?」
「は。はあ……?」
天照は浴室でも、あまり肌を隠さないほうだ。九十九が入浴していると、よく一緒に入りたがるので知っている。九十九にタオルで隠せと言われたこともなく……お風呂場は関係ないとか?
いや、むしろ、
「わっちの喋り方も遊女の言葉だから改めろと言われたこともありんして。曰く、安い女のように見られるのが嫌なのだとか? ちょっと理解できんせん。わっちの言葉を真似たのは、人のほうでありんすのに」
聞いていくと、なんとなく理解してきた気がする。
「要するに天照様、こじらせてるんですね……」
「こじらせている?」
天宇受売命は不思議そうに九十九の言葉を繰り返した。
おそらく、天照は天宇受売命を嫌ってなどいない。
逆に、好きすぎるのだ。
推している女神が易々と肌を見せたり、廓言葉を使ったりするのが嫌だったのだろう。時々、天照が好きなアイドルグループのメンバーがドラマで脱いだり、キスシーンを演じたりしていると、怒るような言動が見られる。
ただの喧嘩ならともかく……これは、根深い。
「まあ、今回もまたねじ伏せて差し上げればよろしいんす」
天照の感情をイマイチ理解していない天宇受売命は楽しげに笑っていた。天照に嫌われているわけではないということは理解しているようだ。しかし、天照の言葉に従う道理がないのも確かであり。
「ほら、ろくでもないと言ったであろう?」
夕餉の膳を持って部屋を出た九十九の隣に、いつの間にかシロが現れていた。
いつもながら、唐突に現れないでほしい。
「シロ様は知ってたんですか?」
「天照が意地を張っておるのと、天宇受売命が無頓着すぎてな……天宇受売命が宿泊するたびに、騒がしくてかなわぬよ」
「知ってるなら、最初から言ってくれればよかったのに……仲直りさせようとか、思わないんですか?」
「何故?」
シロは不思議そうに問い返した。仲直りさせようという発想がなかったらしい。
「あれが原因で天照が岩戸隠れでもすれば話は別だが、まだなにも起きておらぬからな」
「……これだから、神様って」
九十九は脱力した。
仲直りするかどうかは別として、二人にはゆっくりと話しあう時間が必要なのではないか。
そう思われた。




