5.神様だってお夜食が欲しいんです!
京と天宇受売命の話は気になるが、九十九には本日の接客が待っている。休まず、きっちりとこなさなければならない。
お客様のわがままな要望に応えるのも、若女将の務めだ。
「若女将。わたくし、お夜食を頂きたいのですけれど?」
本日の業務も大方終了して、そろそろ学校の宿題でも片づけようかという頃合い。
自分の部屋に戻ろうとする九十九の前に、ニッコリ笑顔の天照が現れた。お客様たちは、いつもどこから現れるのやら。神気を駆使してこつ然と姿を消したり、唐突に現れたりするのが常だった。
もう慣れたような、未だに慣れないような。
「サラッと食べられるものがいいです。あ、神は太りませんのでカロリーは気にしないでくださいませ」
「便利ですよね、その体質」
神様には、本来、食事は必要ない。
しかし、美食を味わう習慣はある。天照は今、「夜食が食べたい気分」なのだろう。それも、人間のように腹に入ればなんでもいいわけではなく、それなりに満足するものを提供する必要があった。
料理長の幸一になにか頼むか……思案していたところに、ちょうど九十九のお腹がグゥッと鳴りはじめた。
「あらあら。ご一緒しますか?」
「…………簡単なものでいいですか?」
「もちろん」
九十九は、はあっと息をついて、旅館の厨房ではなくキッチンへ向かう。まかない飯などは厨房で作られるが、基本的に九十九と幸一のご飯は、母屋のキッチンで作っていた。営業から帰ってきた登季子が稀に料理を作るときも、キッチンだ。
自分の分も欲しいため、幸一を起こさず自作しようと思う。
「わたし、大したものは作れませんよ?」
「気にしませんわ」
「儂も気にせぬ」
いつの間にやら、シロまでひょこっと顔を出していた。
本当に彼らは、こつ然と姿を現す。
「いや、九十九が太ってしまうのは気になるところではあるな」
「余計なこと言わないでもらえます!?」
気にしているのに!
しかし、お夜食はお客様の要望だ……少し、味見するのは仕方のないこと。
実は時折、テスト期間中などは、おにぎりを作ることもあった。
「えーっと」
冷蔵庫にはアジの干物とキュウリ、大葉が確認できた。九十九は適当にそれらをテーブルの上へと移動させる。
あとは食品庫から麦味噌と醤油、キッチンの収納スペースからすり鉢を取り出した。
「九十九、松山あげも入れよ」
「はいはいっと」
「返事が雑だぞ」
「はいはーい」
九十九は軽く返事をしながらアジの干物をグリルにかけた。その間に、鍋では湯が沸き、顆粒のかつお出汁を溶かす。本当は幸一のようにていねいな出汁とりをしたいところだが、あくまで夜食だ。手早く作るのも大事だった。
キュウリの輪切りを塩揉みし、大葉を刻む。プロのようにリズムよく刻むことは難しいが、トントンっという音が連続してキッチンに響いた。その音を聞きながら、天照とシロが頬杖をついて食卓についている。
「なにを作ってくださるのかしら?」
「九十九の料理は久しいからな。楽しみだ」
アジが焼けたら身をほぐして、すり鉢へ。本当は鯛がいいのだが、あいにく、冷蔵庫にはなかった。旅館の厨房にはあると思うが、明日の献立に関わるので手はつけられない。
ほぐしたアジの身と、麦味噌をすり鉢の中で潰しながら混ぜ合わせる。そこへ、作った出汁を投入して、よく延ばしていく。
あつあつのご飯に塩揉みしたキュウリ、刻んだ大葉を盛り、アジと麦が溶け込んだ出汁をゆっくりとかける。
「天照様、お待たせしました」
九十九は食卓で待つ天照の前に、夜食を提供した。
「これは……猫まんま? みそ汁の中に、ご飯が沈んでいるように見えますけれど……でも、お魚と味噌のいい香りがしますわ。それに、サラッと食べられそう。まさにお夜食ですわね」
「これは、伊予さつまという郷土料理です。サッと作ったので、出汁が熱いんですが、冷やした出汁を熱いご飯にかけても美味しいんですよ」
「なるほど。宿で提供されるお膳とは、ひと味違うのですね」
天照が期待を込めた眼差しで、伊予さつまを見ている。そして、両手で腕を持ちあげ、まずは出汁を一口。
「ただの味噌汁のようなものかと思えば……出汁に、焼いたお魚と味噌の味がギュッと濃縮されて、いい味です。間違いなく、ご飯に合います。そして、夜食に相応しいサラリとした食べ心地!」
そのまま箸を使って、流し込むように伊予さつまをかき込む日本神話の太陽神。満足そうな顔で、九十九を見あげている。
「松山あげが、入っておらぬ……」
一方のシロは、この世のどん底のような表情で、伊予さつまを見ている。そういえば、リクエストの松山あげを入れるのを忘れていた。もちろん、松山あげは出汁をよく吸ってジューシーな味わいとなるため、伊予さつまに入れても美味しい。
伊予さつまの起源は、宇和島藩主に嫁いだ薩摩藩主の娘が伝えたものだと言われている。しかし、実際にそのような史実はなく、どうしてそのように呼ばれるのかはっきりした理由はわからない。
ちなみに、伊予さつまの素はスーパーでも手軽に買うことができる。魚を焼いたりする必要がなく、素早く仕上がるのが魅力だ。
「さて、若女将」
わたしも食べようかな! と、九十九が手を合わせた瞬間、天照が不吉なほど優しい笑みを浮かべた。
子供らしい丸い顔が湛えているのは、魔性の蜜をまとった魔女の微笑み。並みの男であれば、なにを言われても「はい、わかりました!」と喜んで尻尾をふりそうな魅力を感じる。
「天宇受売命の件ですが――」
「嫌な予感がしますので、聞きません!」
「まだなにも注文していなくてよ」
「注文されなければ、聞き入れる必要もありませんし!」
酷い屁理屈を唱えながら、九十九は両手で耳を塞いだ。
天照は「まあ……」と困ったふりをしながら、九十九の手背に唇を寄せる。そんなことをされると、なんだかドキドキしてしまい、九十九はブルリと身体が震わせた。
「その辺りにせよ。これ以上は見過ごしてやらぬ」
「まあ、つれない態度。よいではありませんか。せっかく、あなたの巫女をアイドルとしてプロデュースさせていただくのですから」
ごくごく自然に、サラリと。
え? 今なんて?
「若女将を、アイドルとして……このわたくし天照大神がプロデュースいたしますわ」
天照は魔女のような魅力的な笑顔で、先ほどのセリフを言い換えてみせたのだった。




