4.神様は寂しがり?
行燈の灯りが揺れゆれる。
風もなく、静かで穏やか。
窓から見える空は透き通る藍の黄昏。金星と細い月のみが見下ろす庭には、桜の花が甘い香りを漂わせながら咲いている。
煙管から口を離し、紫煙の一息。
人ならざる琥珀の瞳。
藤色の着流しから覗く肢体は滑らかで美しく、男とも女とも。どちらとも言えるし、どちらとも言えぬ。ただ体格から、男のようだと感じ取れる程度。
絹束のような白髪を指で弾くと、しなやかに。
窓枠に腰掛けた稲荷神白夜命は、この世のなにより美しく思われた。
狐の耳や尾まで毛並みが滑らかで、神々しい。
薄暗い中であっても、確かな神気を纏い、そこに御座す。
幼いときより過ごし、見慣れた夫婦の間柄であっても、声を忘れてしまうほどに――今が夜で、九十九の就寝時間でなければ。
「また忍び込みましたねッッ!?」
それは、人の世に降りた神を崇める声ではない。
奇襲を仕掛ける不審者を迎撃する猛者の声だ。
「な!? 儂は、ただ今宵は冷えるからと――」
「問答無用! 結界内は冷暖房完備状態だって、前に自分で言ってましたよね!」
「儂の心が寒い!」
「お黙りください」
寝起きとは思えないくらいキビキビとした動作で、九十九は布団を跳ね飛ばす。
そして、そば殻の詰まった枕を掴んで、思いっきり振りかぶる。
投球(枕)は、まっすぐに。
驚くシロの顔を覆うように。
「ぐぁっ!?」
枕投げなど、修学旅行以外で披露することも少ないだろう。
しかし、至極爽快である。枕を顔に受けてシロはバランスを崩し、開けっ放しの窓の外へ落ちていく。
少々落下しても平気だろう。なんといっても、シロは稲荷神。神様なのだ。むしろ、少しくらい痛い目を見て欲しい。
「まったく……」
安眠を邪魔されて、九十九は不機嫌に布団を被り直す。
昼間は学校、夜は旅館の若女将。
二足の草鞋を履くのも疲れるというのに、加えて駄目神様の世話まで。しかも、あれが自分の夫である。先が思いやられた。
「あー……もう……」
布団を頭まで被りながら、九十九は目を閉じた。
という、昨夜の話を教師や学友にするわけにもいかず。
九十九は目の下に隈を作ったまま、大あくびを噛みしめていた。
「ゆず、酷い顔してんなぁ」
覗き込むように学友――京の顔があった。
前の席から、椅子へ後ろ向きに座る格好だ。
ボーイッシュに短く髪を切り揃えており、性別不詳の男前顔をしているが、これでも女子学生である。だいぶ「はしたない」のではないか。
「さては、エッチなゲームを夜通しプレイしていたな?」
「……してないから。そんな生態してませーん」
「じゃあ、夜通しエッチなことを――」
「し、ししてません!? してないから!?」
「反応が良すぎるんよ」
九十九の反応が露骨だったせいか、京は声を上げて笑った。
あまりに楽しそうなので、九十九はプクゥッと頬を膨らませる。
「旅館のバイト、そんなにキツいん?」
「それも、なくはないけど……」
「じゃあ、例の彼氏?」
「か、かれ!? い、いやいやいや、い、居候よ。居候!」
「え、ちょい待ち。同棲?」
「誤解よ!?」
彼氏を居候に変換しながら、九十九は首を横に振った。
否、実際は「夫」なので彼氏の方が近くはあるが――流石に、高校生で結婚しているとは言えない。
湯築家の婚姻事情は特殊すぎる。
昔であればともかく、今では神様と結婚などという風習は日本全国でも、そう多くはないはずだ。法律の枠にもおさまらないので、実は物心ついた頃には契りが結ばれてしまっている。婚姻の儀式のことも、よく覚えていない。
「シロさま……ああ、いや、シロウさんは、その、小さい頃から家にいるから恋愛対象じゃないっていうか? そういうのと、ちょっと違うというか?」
「ふぅん。いつもの話しぶりから、てっきり年上だと思ってたんだけど、小さい頃からって幼馴染なん? まさか、同級生におるん?」
「いや、年上よ。年上! すっごい年上! 学校にもいないから!」
「なんか、君はよくわからんというか、詮索するのもメンドイな」
薄々思っていたが、確かに一般家庭と比べると湯築家は面倒くさい気がする。
九十九にとっては当たり前の日常ではあるが、時々、特殊であると認めざるを得ない瞬間があるのも事実だ。
「言っとくけど、メンドイのは家族の話じゃなくて、ゆず自身もだかんね」
「はひ?」
期せずして、「メンドイ女」と言われてしまい、九十九は首を傾げた。
その様子を見て、京はハァッと息をつく。
「自覚ないところが、メンドイ」
「うう。そんなにメンドイですかねぇ?」
メンドイ女って、所謂、「メンヘラ」とか「ヤンデレ」とか、そういう属性のことかな?
九十九には自覚はないが、他人の目からは、そのように映っているのかもしれない。流石にそれは厳しい評価だし、自分に落ち度があるように思えた。
同時に、ふと。
シロは九十九のような「メンドイ女」のことを、どう思っているのだろう。
「ああ、ほれ。そこがメンドイんよ」
「は、はひ?」
逆向きに座った椅子をガタガタ揺らしながら、京がニタリ。
とても意地の悪い顔だが、意味がわからない。
九十九が両目をパチクリしていると、授業のチャイムが鳴った。