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10.大きな紅葉の上で

 

 

 

 ――シロ様は、ずっとここに住んでいるの? いつから?

 ――さみしくないの?


 ずっと昔。

 本当に幼かった時分の九十九は、こんなことを聞いたことがある。

 まだ小さな九十九を膝の上に抱えて、シロは湯築屋を眺めていた。大きな樹の上で。たぶん、鮮やかな紅葉の葉が舞っていた。


「シロ様、探しました……!」


 息を切らせて走ってきた九十九を、シロが意外そうな顔で見下ろす。

 咲き誇る花にも勝る紅葉の間から見え隠れする藤色の着流し。紅に対して真っ白な髪が映え、くっきりとしたコントラストで(あや)めていた。

 素直に美しいと見惚れてしまいそうになるが、頭を横に振って切り替える。


「探さずとも、呼べば出向く」


 息を切らす九十九に、シロは思いのほか冷めた視線を向けていた。

 一瞬、咎められていると思ったが、具合が違うようだ。


「九十九が儂を探すなど、(いた)く珍しいではないか」


 九十九がシロを自分から探すことは珍しい。

 どうやら、シロは怒っているのではなく困惑しているのだと気づいた。


「だって、シロ様はいつもお傍にいてくださいますから。探す必要がないんです」

「そうだったか?」

「ええ、記憶にありませんか?」

「……確かに、そうかもしれぬ」


 言われて初めて理由に気づいたようだ。

 結界の外にいるとき以外、シロは九十九と四六時中一緒にいる。当たり前のこと過ぎて忘れていたようだ。九十九もシロの居場所を探しているときに、初めて気づいた。


「シロ様、そっちへ行ってもいいですか?」


 九十九はそう言うが早く、(たすき)で着物の袖をまくり上げた。

 木登りなんて何年もやっていないが、きっと大丈夫だろう。


「客から授かった着物を汚す気か?」

「ふぇ」


 勢いよく樹に飛びついたところで、背中が引っ張られる気がして身体がフワリと浮いた。慌てて背後を振り返ると、大きな紅葉の枝がグニャリと曲がり、腕のように九十九の着物を掴んでいるではないか。

 九十九の身体は真上に引っ張り上げられて、宙吊りになっていた。


「……仰る通りです。すみません……」


 せっかく愛比売命(えひめのみこと)から貰った着物を台無しにするわけにもいかない。

 シロに窘められるなんて珍しい。それくらい、九十九は気持ちが()いていたのだと思う。


「それで、なんの用だ。そなたが儂を探すなど余程のことがあったか……まさか、貧乏神が此処に住み着くなどとほざいたか?」

「違いますよ」


 紅葉の枝が、シロの隣に九十九をチョンと乗せてくれる。

 見回すと、思いのほか近くに湯築屋の建物が見えた。幼い頃に見た景色よりも小さく思える。

 昔は湯築屋の建物や庭はとても広くて楽しかったけれど、今では狭い箱庭のようにしか見えない。


「シロ様に会いたかったんです」

「?」


 普段の九十九は絶対にこんなことを言わない。シロは訝しむような眼で九十九を眺めるばかりで、次の言葉を継げないようだ。

 九十九は深呼吸しようとしたが、上手く呼吸ができない。こんなことは初めてで混乱しそうだったが、今伝えたいことをそのまま伝えてしまいたかった。そうしないと、たぶんずっと後悔する。

 シロにはいつでも会えるけれど、今伝えたい。


「わたし、シロ様に寂しい思いはさせません」


 昔、ちょうどこの場所で九十九は、シロに寂しくないかと問いを投げかけたことがある。

 そのときのシロの答えは覚えていないけれど、九十九は九十九なりの答えを出した気がする。


「わたし、シロ様のこと全然理解してない駄目な巫女ですけど……努力はします。とりあえず、お野菜をいっぱい食べようと思うのと、良質たんぱく質も大事なのでお豆腐、あと必須アミノ酸も必要だからお魚と……」

「さっきから、なんの話をしておる?」

「健康グッズも使ってみます!」

「……要するに、長生きしてくれると言いたいのか?」


 話が上手く纏まっていなかったらしい。

 シロが要約してくれた内容に対して、九十九はコクコクと首を縦に振った。その様がおかしかったのか、シロは初めて「ぷっ」と吹き出すように笑う。


「人は変わると言うが、九十九はいくつになっても変わらぬな」

「へ?」


 なんのことだろう。

 九十九は両目をパチクリ見開いて、シロの顔を見つめた。そんな九十九に応えるように、シロは神秘的な琥珀色の瞳を細める。

 自然な動作で指が髪に触れ、優しくなでた。悪い気はしない。むしろ、くすぐったくて心地良いと感じる。


「いつかここで、九十九は儂に寂しくないか問うたことがあった」

「……なんとなく、覚えてます」


 シロも九十九と同じことを思い出していたのか。

 そう考えると、嬉しいような、恥ずかしいような。


「儂はずっと此処に住んでおるし、もう慣れたから寂しくない。お前たち湯築の人間がいてくれるから充分だと答えたか」

「そうでしたっけ?」

「そのときも、九十九は同じように『健康して長生きするから、ずっと九十九をお嫁にしてください』と言っておっただろう? 覚えておらぬか?」

「そう、でしたっけ? わたし、そんなこと言いましたか?」

「もう少し子供らしい言い回しだったと思うが、ほとんど違わぬと思う」


 覚えていない。

 覚えていないが、言われてみればそんなことを言ったような気もしてきた。記憶が鮮明に蘇ってきたのか、今の話からそれらしい場面を頭の中で想像しているだけなのか定かではないが、ぼんやりと浮かんでくる。


「……恥ずかしい」

「恥ずかしいのか? 何故(なにゆえ)?」


 シロは心底不思議そうに九十九を覗き込む。


「わざわざ、そんなことを言いに来たのか? 一度言われれば充分だが」

「だから、恥ずかしいんですってば! 口にして言わないでもらえます!?」


 あれ何歳のことだっけ。五歳とか六歳じゃなかったかな?

 正直、そんな子供の頃のことなど正確に覚えていない。


「とにかく、その……ですね? わたし、随分と我儘なことを言ったと思うんですけど……諦めました」


 コホンと咳払いして話題を切り替える。


「わたしが欲張りでした。シロ様のことが知りたくて、焦ってあんなことを言ってしまってすみません。たぶん、シロ様に隠し事をされて面白くなかっただけなんです」

「……それは、儂が――」

「わたし、待ちます。シロ様が話してくれるまで待ちますから。できるだけ長生きしながら待ってます。きっと、大人になったら今わからないことも、わかるようになると思うんです。だから、待ちます」


 わかり合う必要なんてない。

 でも、わかり合えるなら、わかり合いたい。


 一緒に居れば、いつか話してくれるかもしれないし、今わからないことが理解できるかもしれない。価値観だって変わっている。もしかすると、今ほど気にならなくなるかもしれない。

 これが九十九の出した答えだった。九十九なりに考えて、そして待とうと思った。

 九十九は我儘だから。

 知りたいことを知らないままになんてしておけない。


「わたしも良い巫女に……妻になろうと思いますので、それまで待ってもらってもいいですか?」


 言っている途中で恥ずかしくなりながら、言葉を萎めていく。

 お客様たちから若女将として認めてもらっているけれど、巫女としても、妻としてもまだまだ未熟だ。きっと、シロに迷惑をかけている。甘やかされてばかりで、少しも応えることができていない。

 虫のいいことを言っているのは、わかっている。


「儂はそなたが生まれたときより、ずっと待っておる。待つのは慣れた……だが、九十九がそのような要望を口にするのであれば、儂の方からも頼まねばなるまい」


 シロの手が九十九の肩に伸びる。

 グッと身体を引き寄せられて思わず身が強張った。湿っぽい吐息が九十九の鼓膜を揺らす。


「……今すぐ話せぬことを赦してくれるか?」


 いつ話すとも約束はしてくれない。

 けれど、九十九にはシロが嘘をつく気がないことがちゃんとわかった。

 きっと、話してくれる。


 本当は今すぐ聞きたい。

 シロ様はどうして、結界の中にいるの?

 五色浜で助けてくれたのは、本当にシロ様じゃなかったの?

 シロ様はどんな人を愛してくれたの?


 わたしのことは、――。


「どうした。いつになく顔が赤いではないか?」


 変なことを考えていたからか、久々に密接したからか、九十九は自分でも顔が赤いことを感じ取った。

 火照る頬に冷たい手を当てようとするが、シロが九十九の手首を掴んでしまう。

 その顔がニヤリとしていて嫌味に見えたが、背後で大きな尻尾がモッフモフと揺れているの感じて冷静になった。これはシロが嬉しいときの表現だ。


「昔のように、膝の上に乗るか?」

「け、結構ですっ。わたし、重くなりましたので!」

「遠慮するな。儂がちゃんと捕まえておく」

「もう子供じゃありませんからっ」


 あ、コイツ調子に乗っているな。

 ここ最近、シロとどうやって接すればいいのかわからなくっていたが、何故だかスウッと以前の感覚を取り戻していく。まるで、記憶喪失から復活したような気分だ。


「照れずとも良い」

「…………」


 蜜みたいに甘い声で囁きながら、シロの尻尾が太い枝にブンブン打ち付けられている。

 お楽しみのところ申し訳ないが、九十九の身体は条件反射のように動いていた。


「いい加減にしなさーいっ!」


 抱きついてくるシロの身体をタイミングよく押して重心をずらした。

 すると、面白いほど呆気なくシロの身体はスルリと傾き、慣性の法則に従ってスッテーンと樹の下へと落ちて行ってしまう。


「はあ、すっきりした」


 九十九は満面の笑みを浮かべて、悔しそうに腰を押さえているシロを見下ろすのだった。

 

 

 

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