9.わかりあえること
愛比売命をお見送りすると、ひと段落した。
愛比売命がくれた紅葉の着物を着ていると気持ちが引き締まる。やはり、新しい着物というのは気分が良いものだ。
自然と笑みがこぼれてきた。
もしかして、ニヤニヤしすぎていただろうか?
「九十九ちゃん、お疲れ様」
玄関を片付けながら、小夜子が九十九に声をかける。
「ありがとう、小夜子ちゃん。今回は迷惑かけちゃったね」
「ううん、大丈夫だよ。とっても楽しかったし! 九十九ちゃんにも見せてあげたかったなぁ……ツバキさんのトリプルアクセル」
「え、あのあとなにが……?」
「すっごかったよ! 説明が難しいけど、もう少しでモンスターボックス世界記録行けると思う」
「ねえ、スケート? 跳び箱? なんの話?」
これ、今なんの話してるんだろう?
そもそも、跳び箱やスケート靴なんて元からなかったはずだけど!?
「九十九ちゃん、人生損したよね」
「そこまで!?」
大人しい性質の小夜子がこんなにニコニコしているので、きっとすごいことが起こったのだろう。けれども、残念ながら九十九は記憶がない上に、そのときには既に布団の中だったと思われる。
「シロ様も、楽しそうだった?」
つい自然な流れで聞いてしまう。
小夜子は問いに対して不思議そうに瞬きしたが、やがてニコリと笑ってくれた。
「シロ様は九十九ちゃんをお部屋に連れて行ってから、帰ってきてないよ。ずっと一緒にいてくれたんじゃないかな?」
「え」
そんなに楽しげなことがあったなら、シロもその場に居たかっただろうに。
意外だと思いつつ、なんとなく、「そっか」と受け入れる自分もあったのが不思議だ。
「九十九ちゃん、大事にされてるんだね」
「それは、そうかもしれない、けど……」
シロは九十九を大事にしてくれている。
最近は九十九が逃げてしまっているけれど、スキンシップが過剰で寂しがり屋だ。なにかあったら必ず助けてくれるし、我儘を言えば見守ってくれる。
きっと、甘やかされているんだ。
「でも、わたしは……シロ様のこと全然わかってないし……」
「充分、仲良さそうだよ? 九十九ちゃん、この前も言おうと思ったんだけど」
口籠る九十九を小夜子が心配そうに覗き込んだ。
「私も九十九ちゃんのこと全部知らないよ。九十九ちゃんの若女将としての仕事とか考え方とか、すごいと思うけど全部は理解してないと思う。クラスでの話しかけ方も、未だによくわからないし……たぶん、九十九ちゃんもわたしのこと知らないし、同じような考え方にはならない。そうじゃない?」
小夜子はそう続けながら、背中の後ろで手を組んでみせる。
仲居用に用意した小豆色の着物が揺れて、本当に可憐だなぁと素直に見惚れてしまう。
「それでも、私は九十九ちゃんのこと友達だと思ってるよ。九十九ちゃんは、違う?」
そう問われて、九十九は慌てて首を横に振った。
「ううん。わたし、小夜子ちゃんのこと友達だと思ってるよ! そんなことない!」
即座に否定すると、小夜子は待っていたとばかりに頷いてくれた。
「そういうことだよ。人と神様なんて関係ないって、私は思うし。人と人だって、わかり合えてないこと多いじゃない? だから、喧嘩したり、仲直りしたりするわけで……私と蝶姫も、そんな感じだよ。特に蝶姫は素直じゃないから大変」
「そう、なの?」
「そうよ。愛比売命様だってあんなに楽しそうに遊んでいたけれど、最初から最後まで貧乏神様のことは嫌いだった。たぶん、一生わかり合えないと思うよ。それでも、また同じ席に着いたら楽しくお酒を飲むんだと思う」
平然と笑う小夜子のことを、九十九はぼんやり見つめてしまった。
とても大切なことを言っている気がするのに、頭に入ってこない。けれども、内容はすんなりと胸の奥へと染みていく。
わかり合う必要はない。
とても簡単なのに、とても難しい言葉のように思えてしまう。
それなのに、胸が落ち着く。
「そんな気負わなくて良いんじゃないかな。九十九ちゃんは、すごく一生懸命で真面目だから」
真面目なんかじゃない。
だって、シロは九十九をとても甘やかしている。それなのに、なにも応えることができないし、そうしようともしていない。
ただ、シロのことを知りたいなんて不満ばかり思っている。
それなのに、
小夜子に言われて、今はとてもシロに会いたいと思っている。
話すことなんてなにもないのに、無性にシロと会いたかった。
「小夜子ちゃん……あ、ありがとう……」
いつもより歯切れが悪くなってしまいながら、九十九は小夜子に笑いかけた。
小夜子はうんうんと頷きながら、「早く行ってきて」と言ってくれる。気持ちが全て筒抜けなのか、小夜子は自分が思っている以上に九十九のことを理解しているのか。あるいは、両方か。
居ても立っても居られず、九十九は旅館の中へと急いだ。
最初はパタパタと、次第に慌ただしく歩幅が広がっていく。着物のせいで速くは走れないが、裾を指で少し持ち上げるとマシになる。
「わ、若女将っ!? どこへ……」
「ちょっと言いたいことがあるから!」
すれ違ったコマが九十九の剣幕に驚いている。
後ろに過ぎ去った「誰にですかっ!?」という声を無視するのは心苦しかった。あとで弁明しておかなくては。
湯築屋の中は思いのほか広い。
三階建ての近代和風建築の本館に加えて、長い渡り廊下の先には母屋がある。庭はもっと広大で、松山城の城山広場くらいはあるのではないかと思われた。サッカーも野球も遊びたい放題だ。
シロは気まぐれでどこにでも行く。
しかし、気がつけばそこにいる。
わざわざ探すことなど滅多にないため、九十九は途方に暮れてしまった。
「ああ、もう。こういうときに限って!」
いざと言うときに、どこを探せばいいのかわからない。
本当に九十九はシロのことを知らない。理解していない。それでも、懸命にシロの姿を探した。
いつものように客室でテレビを見ているのかな?
油揚げをつまみ食いするために厨房に寄っていないかな?
お庭で昼寝でもしてるかな?
押し入れの中かな?
池で泳いでない?
「はあ……はあ……」
それは広い湯築屋の庭の中でも、一番高い場所だった。
季節によって木の種類は変わるが、そこにはいつも大きな樹がそびえている。
湯築屋の中がよく見える樹の上に、探していたものはあった。




