8.あ、別人扱いなんですね?
わたし、たぶん酒癖悪いタイプだわ。間違いなく。
座敷で目を覚ました九十九は、冷静に自分のことを分析していた。
「うっ……」
頭がガンガンするし、気分が悪い。
吐くほどでもないが、胃から上がムカムカする。これが胸焼けと言うものか、と初めて理解した気がした。
昨日はお客様として訪れた貧乏神のためにバーベキューを開催した。九十九の狙い通りに愛比売命も乱入して、――ここまでは覚えているが、その先はよくわからない。どのようにして、自分の部屋に戻って布団を敷いて寝たのだろう。
全く思い出せない。
全く思い出せないが、最後に見た記憶を辿って何故だか顔が赤くなっていくのを感じた。
部屋まで九十九を運んでくれたのは、たぶん、シロだ。
倒れる九十九を抱き留めてくれたことを、薄っすら覚えている。その後、お姫様抱っこで揺られて歩いたような、それは夢だったような……とにかく、あやふやだ。
「わたし、なんかしてないよね?」
急に不安になってきた。
あまり覚えていないとはいえ、身体が温かくなって地面の石に額をこすりつけていたような……着物を着ていたのに、恥ずかしい。
「シロ様、なんて言うかな。いやいや、それよりお客様の前で、あんな……」
おぼろげな記憶にあるのは、シロがいつも纏っている匂いだけ。
油揚げのほんのり甘いけれど香ばしい匂い、それから、結界に咲くコスモスの匂いだ。
甘いが、とても淡くてあいまいな匂い。まるで、シロの存在そのもののようだった。
「失礼します」
九十九が一人で慌てふためいていると、襖の向こうから声が聞こえてきた。
「ふぁ、ふぁい!? どうぞ!?」
とっさに返答してしまったが、相手が誰かも確認していない。おまけに、九十九はパジャマを着ているではないか。
余計に混乱してしまい、布団に潜り込むという選択をしてしまった。
「まだ調子が悪いのですか、若女将?」
凛とした声に聞き覚えがあった。
九十九はおずおずと布団から頭を出し、相手の姿を確認する。
「ツバキさん?」
「愛比売命です!」
愛比売命は恥ずかしそうに顔を赤くしながら、そう叫んだ。
真紅の髪に、椿柄の着物。和装に身を包んでいても隠し切れない豊満な胸に、したたかな色を宿す瞳は美しい姫のようであった。
そう言えば、愛比売命の宿泊は今日までか。
椿神社へ帰る前に、寝込んでいた九十九の部屋へ立ち寄ったというところか。体調不良といっても、二日酔いなのが申し訳ない。
「とても……」
愛比売命はいじらしく視線をそらしながら、しかし、はっきりと口にする。
「楽しかったです。それに、美味しかった」
恥ずかしがっているが、その声が満足しているのだとすぐにわかった。
九十九が笑うと、愛比売命も笑顔になる。
「貴女が盛ったお肉、とても美味しかったです。椿祭りが終わった頃に、また来ますから今度は若女将とも一緒に食べたい……と、ツバキが言っておりました」
あ、そこは他人の体なんですね。
思わず突っ込みたくなる気持ちを抑えて、九十九はコクリと頷いた。
「勿論です、喜んで! 今度はフォトジェニックなご飯をいっぱい用意して、みんなでパーティーしましょう」
「それは楽しみです。ツバキも連れて行きますね」
「是非、お越しください! いつでもお待ちしております。そして、お客様がゆっくりくつろげるよう、最大のお手伝いをさせて頂きますね」
九十九はパジャマのままだが、その場で正座して丁寧なお辞儀をする。
どんな姿であっても、身体に染みついた若女将の所作は消えなかった。自分でも驚くほど自然な流れである。
「流石は湯築屋の若女将です。商売の女神として貴女と、この宿に加護を授けましょう」
「お客様のご来店で充分です、愛比売命様」
愛比売命は凛とした笑みを見せて九十九の額に自分の指を当てた。
なにをするつもりだろう。
九十九が思った瞬間に、愛比売命の指先が金色に光った。
「何処までも気に入りましたよ。吾が加護を与えるまでもないでしょう」
ふわりと風のようなものが薙いだ次の瞬間、九十九は異変に気づく。
自分の服がだらしないパジャマから、カッチリと紅葉柄の着物になっていた。髪も一瞬で結い上げられ、折り鶴のかんざしが揺れている。
シロがたまに同じことをしてくれるが、まさかお客様からとは。しかも、着物は新品で九十九の所持品ではない。
「加護は敢えて付与しておりません。その着物を着て、また接客してください。約束ですよ」
「……はい! 精一杯!」
愛比売命は満足げに笑って、立ち上がった。
「あの稲荷には勿体ない。吾の巫女になりませんか?」
「それはお断りします。愛比売命様も本気じゃないでしょう?」
「まあ、少しは本気だったのに。いいでしょう……では、また来ることを約束します」
凛と笑う彼女は昨夜のイマドキJKツバキさんとは違うように思われる。
けれども、どちらも同じように美しくて自然に笑うと思った。
彼女はただのパリゴなどではない。間違いなく土地に恵みを与え、人に加護を与える女神なのだと改めて思う。
威厳などなくとも変わらない事実である。




