7.フォトジェ肉に盛れました?
なんか、頭がふわふわする。
夢の中にいるような、水中に浮かんでいるような、そんな感じだ。
気持ちがいい、のかな?
九十九は自分の状況を言葉で表せないまま、テーブルの下で丸くなった。冷たい地面の石の感触が、ほてった身体に気持ちがいい。おでこに小石がグリグリ当たるのが堪らなかった。
昔の人は、お酒を飲んで神様を引き寄せていたと聞く。
飲酒していつもの自分ではない状態を作り、神と繋がったという感覚を得ていたようだ。その解釈は間違っているが、見当違いでもないとシロが言っていたのを思い出す。
神様はみんなお酒が好きだ。
そして、酒を酌み交わす相手に好意を持つ。神は人と酒を酌み交わすことで交流を持っていたそうだ。そうして繋がりを持つ。
今なら、シロ様と繋がりを持てるかな?
「我が巫女はいつから犬になったのだ?」
「はへ?」
テーブルの外から九十九の着物が掴まれた。
だいぶ強引に帯を引っ張られ、身体が宙に浮いた気がする。いや、浮いた。
「そのようなところで……そのまま寝入って風邪でも引くつもりか? 客に鼻水と咳を振り撒かれると困る」
「シロ様……?」
シロのことを考えていたら、シロがやってきた。
タイミングの良さに、九十九はヒュッと声が引っ込んでしまう。それなのに、心はどこか嬉しげに昂っている気がした。
「見苦しい姿を晒すな。稲荷の巫女であろう」
「……はい」
怒られているのかな?
なんだか、いつもと逆のような気がして恥ずかしい。普段は駄々を捏ねるシロを制するのが九十九の役目なのに。
自然と腕の中に収められてしまい、肌と肌が密接する。
確かな温かさと鼓動がそこにあって、身体が縮こまってしまいそうだ。
「あらぁ……これは良い副産物を得られましたわ。是非、そのまま続けて」
天照が意味深に笑いながら両手を合わせている。九十九とシロのことを指しているのだと気づくと、急に恥ずかしくなった。
「シ、シロ様……お客様の前でやめてくださいっ!」
「なんだ。元はと言えば、九十九が酔って犬のように穴を掘りはじめたからではないか」
「あ、穴なんて掘ってません! 犬でもありません!」
いつの間にか、酔いが覚めている気がした。
そういえば、シロに舐められると傷が治ったりするが……もしかして、なにかしてくれたのだろうか? なんて、期待しすぎかな?
「で、稲荷神。そちらの女人は誰かしら?」
話を切り替えるように、天照が庭の端を指さした。
そこには紅葉の木に隠れるようにこちらを見る人影があった。
「嗚呼、それは――」
「ちーっす! ツバキっす!」
シロが説明しようとすると、紅い髪の少女が木の陰から飛び出した。
愛媛県内の高校ではあまり採用されていないセーラー服姿の女子高生。ブラウスの裾が短くて、おへそが見えそうで見えないギリギリのラインだった。スカートも非常に短くて、長くて細い足を際立たせている。
女子高生……っぽい姿ではあるが、どこかズレている気がするのは何故だろう。
「マジ卍で楽しそうなBBQやってるんで、お邪魔させてもらいまーっす! よろしく☆」
「は、はあ……」
違う人種の人が来たのかな。
テンションの高さについていけない九十九であった。
「あら、愛比売命さんではありませんか。よろしくてよ、一緒に飲みましょう」
「誰かと思えば、さっきの商売女神サンじゃねぇか。どうした? 飲むか?」
「椿さんって、ネーミングがあからさまですよね……お客様、こちらの席へどうぞ」
どうやら、九十九はまだ酔っているらしい。九十九以外は、あれを愛比売命の変装であると見抜いているようだ。神気がほとんど使えない小夜子ですら気づいているとは。
「うっ……せっかく変装したのに……」
「だから、無駄だと言ったろう。儂は恥をかくから辞めろと忠告したぞ」
シロに窘められて、愛比売命はガックリ肩を落としている。
「だって、吾の威厳がぁ! 貧乏神なんかと飲んでるって知れたら、品格に傷がついちゃうしぃ……バイブス下がるっていうか……」
「それでも一緒に飲みたくなるほど楽しそうに見えたということですわね。良いことです。狙い通りでしたね、若女将」
そっぽを向く愛比売命に向けて天照が笑う。
愛比売命――ツバキが祭りや宴が大好きで、見ると混ざりに行ってしまうのは神々界隈では有名だった。本人は隠しているつもりだが、だいたいみんな知っている。
実際、九十九も冬の椿祭りに赴いた際、一般市民に紛れて屋台を食べ歩く愛比売命を目撃したことがあった。本人は隠しているつもりだし、普通の女子高生を装っていたがバレバレである。
にぎやかなものを見ると混ざりたくてしょうがない。
彼女の言葉を借りるなら、生粋の「パーリーピーポー」いや、「パーリーゴッドネス」である。
それに愛媛県の神様は祭り好きが多い。というか、祭りになると豹変する神様が結構な数で存在するので、慣れていた。
それは県民が好む祭りの特性にも反映されている。神輿と神輿をぶつけあう「喧嘩神輿」やら、神輿を神社の階段から落下させて破壊させる祭りやら、大きな太鼓台を担ぎ上げる祭りやら、穏やかな県民性に反した過激な祭りが多かった。
庭でバーベキューを開いた理由は貧乏神を屋外に出すためだけではない。
このような宴を好む愛比売命を誘い出すためでもあった。
彼女は建前を気にして旅館に宿泊しても羽を伸ばすことはない。彼女が伸び伸びと騒げる環境を提供して、楽しく過ごしていただくためでもあった。
「大丈夫ですよ、愛比売命。誰もあなたが似合わない――いえ、可愛らしい女子高生に扮して遊んでいるなどと吹聴しません。ここの従業員は優秀ですから」
吹聴したところで、みんな「知ってたよ」と答えそうなのはおくとして。
天照の笑みに愛比売命は脱力したように肩を落とすが、次の瞬間には開き直った様子で首を横に振っていた。
「嗚呼っ、もう! こうなったら、バイブス上げていくしかないっしょ。吾にも、ご飯ちょうだいっ!」
自棄になった。そう言いたげに、愛比売命は近場にあった紙皿を引っ掴んみ、九十九に向かって突き付けた。
「はい。愛比売命様……いいえ、ツバキさん。お魚が良いですか? お肉も焼けていますよ?」
「もち、肉よ。フォトジェ肉な感じでよろしく!」
「かしこまりました」
九十九は注文通り、更に肉を盛っていく。
内心では「フォトジェ肉って、なに?」と思ったが、そこはフィーリングでカバーする。要するに、インスタ映えするようにガンガン山のように盛れということで良いのだろう。たぶん。
九十九が「フォトジェ肉……フォトジェ肉……? フォトジェ肉、かな?」と疑心暗鬼になりながら無心で肉を盛っていると、愛比売命が視線を皿から外していた。
視線の先には貧乏神。
気づいた貧乏神はヘラリと笑ってみせる。
「神社の神様も大変だねぇ」
軽薄で掴みどころのない態度であった。
だが、風呂上りに遭遇したときと意味合いが違うように感じる。
「イキってんじゃねーよ。貧乏感染さないでよね。宴の席では二回も言いたくないから、これっきりにしといてあげるけど」
つまり、貧乏をうつされると困るが、ここでは口煩く言わないという意味だと解釈できる。
愛比売命はわかりにくいような、丸わかりのような。しかし、素直ではない人はたくさんいる。神である彼女もまた似たようなものなのだろうか。
神様は人には理解できない思考や感性を持っている。
だが、人と通じる部分も大いにあるのだ。
だからこそ、この湯築屋が成り立つ。
そう思えた。
「わーお! これエモい。熱い、熱いよ。激熱だよ! 若女将には、熱盛スタンプあげちゃうね」
「は、はい。ありがとうございます」
九十九が盛った山のような焼肉を見て、愛比売命は親指を突き立てて九十九に見せてきた。そこには、どこから取り出したのか「熱盛!」という赤いシールが貼られている。
「あ、失礼しました。熱盛と出てしまいました☆」
「は、はあ……」
「そこは気合入れて、熱盛ぃぃいい! って叫ぶところっしょ?」
「あ、あつもりー!」
「そうそう……そうだ、これインスタにUPするね」
仕込みが細かい。
それにしても、JKモードの愛比売命のテンションにはどうにもついていけない。
九十九だって現役女子高生なのに。JKなのに。アオハル真っ只中なのに。
田舎だからか。田舎だからなのかな? 都会の「イマドキJK」という人種は、みんなこういうものなのだろうか。だとすると、結構怖い。
「ふぇ?」
JKツバキさんモードに辟易している九十九の視界が歪む。
足元がフワッと浮き上がる感覚がして、気がついたら身体が後ろへ傾いていた。
「危ない」
酔いは覚めたと思っていたが、そうでもなかったらしい。
ぶり返すような酔いの感覚に、九十九は抗うことができなかった。とてつもなく眠い。身体がフワリと浮くような感覚があるが、同時にすごく重くもあった。
「まったく、無茶をするな」
温かく包み込む感触と困ったような声。
覗き込むように見下ろす琥珀色の瞳と、肩からこぼれる白銀の髪束が九十九の頬に落ちた。
シロの顔を見て、九十九は安心したように瞼を閉じる。




