3. 神様にだって、信仰心はあるんですよ!
湯築屋には、様々なお客様が訪れる。
「若女将っ。そろそろ、鞍馬天狗様がお帰りの時間ですっ!」
「うん、わかってる。確か、お食事より先にご入浴されるのよね」
「はい、そうですっ! あと、天照様へお届け物の荷物が。ウチが持って行きましょうか?」
「あー、いいわ。わたしがやります。あの人、合格点出さないと開けてくれないから」
「……うう、助かります。ウチ、ずっと不合格なので。センスが古いとか、なんとか……では、ウチは鞍馬天狗様のお出迎えに」
子狐のコマと話し、それぞれ仕事を分担する。
トコトコと玄関へ向かうコマを見送って、九十九はお客様に届いた荷物の箱を手に取った。
「九十九よ、それは何処へ運ぶのだ?」
いつの間にか後ろに立っていたシロが、ヌッと覗き込んできた。
この駄目夫はたびたび気配を消して、九十九の後ろに立っている。割と迷惑である。
「天照様のお部屋です。すぐに終わりますので、コマを手伝ってください」
「よかろう。儂も同行する」
「……わたしの話、聞いてました?」
「着物姿の九十九は、やはり美しいな。流石は、我が妻」
言いながら、シロは九十九の頬に手を触れる。
今日の着物は派手すぎず地味すぎない鶯色だ。学校に行くときはポニーテールにしてあるが、着物に合わせて蝶のかんざしで髪も留めてある。
九十九の姿を堪能するように視線を這わせるシロ。九十九はムッとして、シロの手を払ってやった。
「……全然聞いてないってことが伝わりました」
「褒めるな」
「褒めてません」
気を取り直して。
箱はネット通販でお馴染みのTamazon。お届け先は、岩戸の間に連泊中の天照様だ。
天照大神。日本神話の代表的な神であり、太陽の化身である。
この人が天岩戸に引き籠ると、太陽の光は隠れてしまったという伝説は有名だ。
「しかし、天照殿は今回も長い連泊だな。所謂、引き籠りとはこのことよ」
「引き籠りって……ねえ、もしかして、泊めすぎると太陽隠れちゃうんじゃ……」
天照が岩戸に隠れている間は、太陽が出ない暗闇になってしまう。
九十九が心配していると、シロはハハッと笑った。
「安心せよ。ここは天岩戸ではない。何日引き籠っても、外出先扱いだろう」
「ああ、そうなんだ。そうよね……もう既に今回、六十連泊してるし。外泊と引き籠りの境がよくわからないけど……まあ、時々、コンサートとか外出してるし?」
因みに、最長記録は三十五年間の連泊らしい。外泊の域を超えている。
「引っ越して此処を岩戸にすると言い出したら、流石に儂が責任を持って追い出すがな……以前のように、本気の岩戸隠れをされてしまっては困る。あれはおぞましいものだった」
軽く流すような口調だったかと思うと、シロは急に真顔になってそんなことを言う。
天照の岩戸隠れはガチでヤバイやつのようだ。
改めて、凄い神様が宿泊しているのだと思い知る。
しかし、天照と張り合えるほどシロが古い神様なのだと判明したことの方が、九十九にとっては驚きだった。そういえば、云千年生きてるとか、いつも言っている。しかも、天照を追い出せるほどの力があるらしい。
お稲荷さんの信仰は比較的新しいもののはずだけど? 日本神話の太陽神に張り合えるとは思えないよ?
この駄目夫、実はすごいのかもしれないと思いつつ、口だけの可能性の方が高い。
「天照様、お荷物をお持ち致しました」
岩戸の間に辿りつき、九十九は中に声をかける。
すると、木製の引き戸が少しだけ音を立てて空いた。
「…………」
わずかに空いた隙間から、チラリと顔が見える。
確認して、九十九はスゥッと息を吸い、着物の袖をまくり上げた。
「Honey! My honey! さあ、勇気を出して♪ 飛び出そう♪ Let's go honey! 君と僕とで星空の彼方へ☆」
羞恥心をかなぐり捨てて、元気いっぱい歌って踊る。近年流行りの男性アイドルユニットの新曲である。動画を見ながら振りも完璧に覚えた。文化祭で披露しても良い出来だろう。
隣でシロが「なに!? 今日はランニングマンではないのか!?」と、困惑していた。一緒に踊る気満々だったようだが、流行は無慈悲に移るものなのだ。
「……86点。合格です」
九十九が渾身のダンスと歌を披露すると、中から鈴のように可愛らしい声が聞こえてきた。
86点か。90点越えを目指していたのに、残念だ。そんなことを思いながら、九十九は改めて正座してお部屋の戸を開けた。
岩戸隠れの伝説よろしく、天照の部屋を訪問する際は必ず、歌って踊らなければならない。しかも、天照の及第点に達しなければ、戸は閉ざされてしまう。
毎回、伝説再現しなければならないのもおかしな話だが、お客様は神様だ。仕方がない。
「天照様、お荷物が届いております」
「まあ、もう届いたのですか? 素晴らしい……やはり、通販は最高ですわね。人の文明は豊かになりました」
中から出てきたのは、珠のように可愛らしい少女であった。
見た目は十歳に満たない程度か。雛人形のような美しい着物を着ており、おっとりとした印象を受ける。クリッとした目が愛くるしい。
「今回は初回特典版ですの。ふふ……嗚呼、早く視聴しなければねぇ」
「アイドル、本当にお好きですね」
少女――天照は九十九からTamazonの箱を受け取ると、恍惚の表情を浮かべた。DVDが入っているだけにしては随分大きめのダンボールを抱きしめると、目をキラキラと輝かせる。
「だって、彼らは輝いています。それは、もう眩しいくらいに。嗚呼、なんて……なんて……尊゛い゛! 最゛高゛で゛す゛! まさに、神゛!」
発音が濁音になるくらい興奮しながら、天照はダンボールに頬ずりした。
日本最高の太陽神がアイドルユニットを神として崇めて尊んでいる。九十九は自然な気持ちで、「ああ、これが信仰心なんだなぁ」と、受け入れることにした。多少の違和感はあるが、些細なことだ。たぶん。
「ありがとうございます。明後日には、新しいアルバムも届きますので、どうぞよろしくお願いします」
「いえいえ、お安い御用です。お客様に満足して頂けて、わたしも嬉しいです」
「ふふ。輝かしいものであれば、なんでも好きですわよ。人の生命力。本当に甘くて美味しいです。それが対価を払えば、誰にでも供給されるアイドルという商品システムは、とても素晴らしい。発展した文明が生み出した功績でしょう」
大袈裟な。
目を輝かせて力説しているが、内容は「アイドル素晴らしい」である。九十九は苦笑いした。
「目の前にも、甘くて美味しいものはありますけれど」
「へ?」
少女の顔に甘い甘い微笑が浮かんだ。
九十九は不思議に思って目を見開いたが、その前にシロが踏み出した。まるで、天照と九十九の間に割って入るような動きだ。
「あら、まあ……ふふ。それでは、わたくしはしばらく籠ります。夕餉は結構ですわ」
天照は小さな身体でペコリと丁寧にお辞儀すると、部屋の中へと戻っていってしまった。どうやら、夕食抜きで集中してコンサートDVDを見たいらしい。
因みに、天照は長期滞在が多い上客なので、岩戸の間には彼女専用のパソコンが持ち込まれているし、大画面の液晶テレビや衛星放送の電波受信環境も整えてある。プロジェクターとスクリーンも完備で、ルームシアターにもなっていた。
先日、掃除の折に確認した際は、最新のゲーム機も増えていた。勿論、ソフトも充実している。
神様だって、文明の利器を使うし、現代社会を楽しんでいるんです。
部屋全体がそう主張している。
「……なんだ、九十九。儂をそんなに見つめて。さては、今日こそ床を共にする気になっ――」
「いえ、別に。そう言えば、ここにも現代社会をエンジョイしている神様がいたなぁと思い出してしまっただけです」
「照れるなぁ」
「褒め言葉とは限りませんよ? ……というか、神様って、みんなこうなんですかね?」
「まあ、ここに来ている輩は、だいたいそうだろうさ。人嫌いの連中は寄りつかぬ」
「確かに……温泉旅館に来るくらいだから、そうでしょうね」
隙あらば、シロの手が肩に回ったので、九十九はピシッと払い除けてやった。仕事中の過剰なスキンシップはセクハラだ。
「世は移り変わるものだ。それを嘆く神も在れば、受け入れる神も在る。よく覚えておくがいい、九十九。神は決して、お前たちに優しいだけとは限らぬ。そこで文明に耽っている天照とて、いつ牙を剥くかわからんよ」
「そ、そんな……」
ぞくりとするほど美しい声音で、シロが耳元で囁いた。
飄々としているかと思えば、時々こんなことを言う。
まるで、「怒らせるな」と警告されている気がして、九十九は身を強張らせた。
「まあ、ここは儂の縄張りだ。誰であっても勝手は許さぬ……特に我が供物に害成すことがあれば、な」
硬直してしまった九十九の肩に、シロの腕が回る。
女の人のように線が細い美形だが、触れると存外逞しくて、男らしいことを実感してしまう。
「なんか」
九十九はシロの腕を振り払うことも出来ず、顔を背けて口を尖らせた。
「シロ様、ずるいです」
それだけ言って、九十九はヘナリヘナリと歩き出す。
一旦、控室へと戻るまでの間、シロの腕はずっと九十九の肩を支えたままだった。