7.その言い方は語弊がありますよね?
『正直でいいんだよ』
力なくうつむいた九十九に、誰かが語りかける。
ふり返ると、逃げたはずの黒陽がそこにいた。なにを聞いても無言だったのに、目元に優しい色を浮かべて、九十九を見ている。
黒陽は前脚をそろえて座った。
戸惑う九十九の顔に、黒陽は鼻を寄せる。そっと抱きしめると、生きているみたいな温かさを感じた。
『やっと、捕まえてくれた』
神気が……シロ様と似てる。
いや、同じ?
黒陽はシロと対の神使だ。けれども、シロは天之御中主神と融合して神となっている。神気の性質が似ているのは当然だが、同じのはずがない。
九十九の夢で、黒陽の神気が結界と似ていると感じていた。あれは気のせいなどではなく、本当に黒陽の神気が結界に近しい証拠だったのだ。
「黒陽……あなたは、何者なんですか?」
九十九が問うと、黒陽は目を細めた。笑っているようだ。
『私は黒陽であり、黒陽ではない』
黒陽が言うと、九十九は周囲の変化に気がついた。
今まで、圓満寺にいたはずだ。
けれども、色とりどりのお結び玉も、火除け地蔵の姿もない。
「湯築屋……」
九十九が一番見慣れた光景だ。
星も月もない藍色の空が広がる空間。薄らと雪の積もった日本庭園の奥には、近代和風建築の建物がある。ぎやまん硝子の窓から漏れる明かりは温かで優しい。
道後温泉本館に似た外観の宿屋は、湯築屋である。
いつの間にか、九十九たちは湯築屋へと場所を移動していた。
「一肌脱ぐと、言ったのだわ」
呆然としている九十九の前に、白い衣装をまとった神が舞い降りた。
純白の衣をまとい、領巾が翼のように広がっている。絹束のごとき白髪も、琥珀色の瞳も、神秘的で美しい。
小竹葉の手草を右手に、宇迦之御魂神は九十九に笑いかけた。
「宇迦之御魂神様……」
黒陽が宇迦之御魂神の隣へと歩いていく。宇迦之御魂神は、慈悲深い母親の笑みで黒陽の頭をなでた。
「さて、改めて問いましょうか」
宇迦之御魂神は手草を九十九へ向けた。そこに普段の親密さはなく、女神として、九十九に問いかけているのだとわかる。
ピリリとした緊張感に、九十九は背筋を伸ばした。
「あなたのねがいを聞かせてちょうだい」
黒陽ではなく、宇迦之御魂神からの問いかけ。
そのとき、一連の出来事の糸を引いていたのが、彼女であると九十九は直感した。これは、宇迦之御魂神が九十九に与えた試練だったのだ。
「でも――」
九十九には選べない。
しかし、そうではないのだと宇迦之御魂神は首を横にふった。
「聞きたいのは、ねがい」
選択など関係ない。
純粋に、九十九のねがいを問うているのだ。
まっすぐな視線で射貫かれて、九十九は固唾を呑む。
「わたし……」
九十九は決意を固めて立ちあがる。
もう大丈夫。自分の足で立っていられた。
宇迦之御魂神の後方では、シロがこちらを見つめている。心配そうに、九十九から目を離さなかった。
「わたしのねがいは」
口にしようとして、戸惑いもあった。
九十九のねがいは、果たしてシロと同じだろうか。
シロが別の望みを持っていたら――。
ううん。考えない。
今、問われているのは、わたしのねがい。
「シロ様と一緒に生きていたいです。シロ様と……同じ場所にいたい。ずっと、湯築屋でみんなと笑顔でいたいです」
九十九の声は震えている。
それでも、最後まではっきりと自分の言葉で伝えられた。
「よく言ってくれました」
九十九のねがいを受けて、宇迦之御魂神が微笑する。
「九十九」
シロは九十九の傍らに立ち、肩を支えてくれる。
今まで、自分の足で立ってきたのに、その途端に九十九の身体から力が抜けていく。シロに寄りかかる形で、九十九は身をあずけた。
「九十九も、儂と同じで嬉しい」
琥珀色の瞳が微笑み、九十九をのぞき込んでいる。
見つめ返すうちに、九十九の中にも暖かな光が灯った。
「シロ様も?」
「嗚呼」
シロのねがいも、同じだった。そのことが嬉しくて、九十九は自然と笑みになる。
だけど、言ったところで叶わぬ望みだ。希望など、最初から持たないほうがいい。九十九の頭に、ずっとあったことだった。
言ってしまったことで、じわじわと罪悪感がわきあがる。
同時に、不思議とすっきりする気持ちもあった。
誰にも言えず、閉じ込めていたねがいを吐き出せて、胸の奥底が軽くなる。
「なんのために、私が儀式をしたと思っているのかしら?」
「え?」
けれども、宇迦之御魂神の言葉に九十九は目を瞬かせる。
宇迦之御魂神は、手草をふって舞うようにその場で一回転した。彼女の傍らで、黒陽が前脚をそろえて座っている。
「この子は、黒陽」
宇迦之御魂神は、黒陽の頭をなでながら説明する。
「でも、あなたたちの知っている黒陽ではないわ。私の神使でもない」
さきほども、黒陽は似たようなことを言っていた。
だが、そればならば、ここにいる黒陽は何者なのだろう。
「これは、あなたたちの生み出した存在なのだわ」
宇迦之御魂神の語る言葉は、九十九にとって予想外であった。シロも目を見開いている。
シロの対であった黒陽は消滅した。
宇迦之御魂神は神使たちを子のように思っている。シロの境遇と黒陽の死によってもたらされた悲しみが消えることはない。
黒陽をあきらめていなかった宇迦之御魂神は、再び神使を創り出そうと準備をしていたのだ。
半世紀に一度、湯築屋の結界を肩代わりする儀。シロの休息となる日に、少しずつ、少しずつ、結界を造り替えていた。黒陽はシロの片割れである。シロの結界の一部から生み出さなければならない。
「そうやって準備を進めていたけれど、やっぱり足りなかったの」
「足りなかった?」
問いに、宇迦之御魂神はうなずく。
「黒陽の形は、ある程度できあがっていたのだけれど……それを白夜から引き離す術が、私にはなかった」
ここまで話されて、九十九は初めて理解する。
天之御中主神との接触によって、九十九には神気を引き寄せる力が目覚めた。神様から神気を奪いとってしまえるほど、強力なものだ。
九十九がシロと婚姻の儀を結びなおすことで、繋がりが強くなった。それは、天之御中主神とシロとの対話を実現させるためのものだと思っていたが――違うのだ。
宇迦之御魂神にとっては、九十九とシロの繋がりを強化することで、黒陽を結界から引き離すという目的があった。一方的に九十九が宇迦之御魂神にお世話になったと思っていたけれど、彼女にも目的があったのだ。
「この子は、黒陽であり黒陽ではない。新しい存在……言わば、あなたたちの子よ」
九十九たちの子というのは語弊がありそうだが……シロから生み出され、九十九が引き出した。これに相違はなさそうだ。
シロと九十九は、お互いに見つめあった。




