4.岩戸神楽みたいなものですかね
網の上で、サザエがぐつぐつと煮える音がする。
そろそろ頃合いだろうと軽く醤油を垂らすと、炭火がパチパチと鳴る音色の上に、あふれる汁がジュワーっと降りかかった。
「瀬戸内のサザエは日本海のものと違って、殻にトゲがついていないんです。内海で荒波に流される心配がないからと言われていますが、正確な理由はわからないそうです」
豆知識のようなものを披露しながら、九十九は焼きあがったサザエを皿に乗せた。滑らかな曲線を描くサザエの殻はトングで掴むと、クルリと回って裏返ってしまいそうだったが、なんとか堪える。
以前に日本海で獲れたサザエを見たが、形が違っていて驚いたものだ。だが、味は同じサザエ。瀬戸内のサザエも弾力があってとても美味しい。
「なるほどねぇ……貧乏神のもてなしに野外炉とは考えたモンだ。良いね、若女将チャン。可愛いだけじゃないみたいだな!」
貧乏神は家に憑く神だ。あまり屋内に留めておくのは良くないらしい。
母屋に部屋を作っているが、貧乏神自身も承知しているようで不必要に近づこうとしなかった。
客として訪れているが、貧乏神からなにかを注文することはない。結界の主であるシロに気を遣っているのか、それとも、なにか目的でもあるのか。
「ああ、美味い。こういうモンを食べるのは、名を得てから初めて食べる」
貧乏神はサザエの壺焼きを器用に殻から外し、プリプリの身を口に放り込む。
身は熱いが弾力があり、噛むほどに濃い磯の味が染み出てくる。まさに海を凝縮した旨味だ。癖になるような苦いがフワリととろけるような肝の食感も外せない。殻の底に溜まった出汁には肝の旨味が溶け込んでおり、舌を唸らせる。
サザエの旬は春から初夏だが、基本的に年中水揚げされる。
貧乏神が壺焼きのサザエを美味しそうに咀嚼しているので、九十九は安心しながら刺身の盛り合わせをテーブルに置いた。
岬アジ、カマスの焼き目、さより、カンパチと旬の魚が氷の上に盛られている。父であり料理長の作った料理は、どれも宝石のように美しく、そして美味しいと登季子が言っていたが、本当にその通りだと思う。
「今、鯛の塩釜を用意しているところです。良い海老が入っているので、お焼きしましょうか?」
「おう、頼むわ」
貧乏神は軽く笑って、刺身に手を伸ばした。
「なあ、若女将チャン」
10cmを超える大きな海老を網に乗せたところで、貧乏神が声をかけた。
「なんでしょう?」
九十九は何気なく返事をして振り返る。
すると、貧乏神は自分の隣をトントンと人差し指で示していた。
「若女将チャンも一緒に食べなよ」
「え……ええ……ええ?」
予想外の言葉に九十九は一気に思考が停止した。
ずっと湯築屋の接客をしてきたが、お客様と一緒に食事をしようと言われたのは初めてだった。突然のことで九十九は戸惑い、慌てて視線を逸らす。
「その、仕事……ですので……神様と同じ食卓に就くなんて」
「そんなに畏まらなくってもいいのに。オレはただ……そうさな、楽しみたいだけだよ」
貧乏神の真意がわからず、九十九は首を傾げてしまう。
「オレは貧乏神だ。追い払われることはあっても、招かれることはない。輪の中に入って、誰かと食事をするなんてことも。ささやかな我儘さねぇ」
ああ、そうか。
九十九はようやく納得がいった気がした。
「貧乏神の名がついたときから、わかっちゃいたんだが。迷惑なのは――」
「お客様」
貧乏神の言葉を遮って、九十九はニッコリと笑った。
そして、素早い動作で貧乏神の隣に座る。
「一緒に食べましょう。わたしは少し食いしん坊なので、早く食べないとなくなっちゃいますよ?」
平然と言うと、今度は貧乏神の方が面食らった様子で九十九を見ていた。
九十九は何事もないかのように、テーブルに並べられた刺身を一切れペロリと食べる。岬アジは脂が乗っていて、尚且つ身が引き締まっており愛媛県特有の甘めの醤油ともよく合った。
「あらぁ……とても、楽しそうなことをしていらっしゃる。岩戸神楽をしていれば、出ていかないわけにもいきませんね?」
頭上から鈴のような愛らしい声がした。
いつの間に、そこにいたのか。
紅葉の木の上で、くるりと大きな瞳がこちらを見下ろしていた。外出用の白いワンピースを纏った少女がふわりと地面に降り立つ。
「天照様!」
「わたくしもご一緒してよろしいかしら? 今日、推しがインスタグラムにバーベキューの写真をアップしていましたの。ちょうどいいところにバーベキュー大会が開催されているとあっては、参加しないわけにはいきません。いいえ、参加する以外の選択肢がありません」
天照大神は鈴のように愛らしく、しかし、魔女のように魅惑的な笑みを見せながら、サザエの壺焼きを一つ自分の方へ引き寄せた。
好きなアイドルの名前を呟きながら「端に写っていた女の手は誰なのかしら……ふふ」とか言っているのが聞こえた気がするが、気のせいだ。
「お肉も焼いてくださる?」
「勿論です、最高の伊予牛を用意しています! 急いで追加を頼んで……いや、ちょっとだけ待っていてください!」
九十九は閃きのままに立ち上がった。
お客様の望みを可能な限り叶える。これが湯築屋の信念だ。
そうであるなら、突き通さなければならない。
「行ってきますー!」
貧乏神は猪のように走っていった九十九の背を怪訝そうに見つめていた。天照は慣れた表情でサザエを殻から取り出している。
「面白い巫女にございましょう? アレは稲荷神には少し勿体ない輝きです。そして、貴方の宿選びはとても的確で、この上ない幸運とも言えるでしょうね」
「日本神話の太陽神が言うんだから、間違いないだろうさ」
「あら、わたくしは常連客としての意見を申しているだけですわ。関係ありません。ここでは、ただの宿泊客ですから……変にこだわって肩肘を張る、どこかの誰かさんと違って」
そんな会話をしている間に、再び慌ただしい足音が聞こえる。
今度は九十九だけのものではない。複数人の足音が重なっていた。
「お客様、お待たせしました!」
九十九は息を切らせながら、バーベキュー会場である庭へ戻ってきた。
右手にはアルバイトの小夜子。左手には子狐のコマ。後ろには数人の従業員を引き連れていた。そして、こちらを見たまま目を見開いている貧乏神に、九十九は明るく言い放った。
「お食事の準備が遅れてしまって申し訳ありません、お客様。さあ、みんなで一緒に食べましょう!」
――オレはただ……そうさな、楽しみたいだけだよ。
貧乏神が湯築屋に来たのは家を没落させるためでも、客としてのサービスを受けたかったわけでもない。
きっと、彼は――ただ、楽しみたいだけなのだ。




