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9.罪の証。

 

 

 

 ――まあ、考えておくとよい。


 天之御中主神の選択は、シロに課せられたものだ。

 無論、シロとての神がどのような真意を持っているか理解している。気に入らぬが、善意であるのも承知だった。いや、やはり、それだからこそ気に入らぬが。

 九十九は、またなにかをはじめたようだ。

 これはシロの問題だというのに……否、あの娘は動いていなければ気が済まぬ性分なのだ。幼いころより、変わっていない。

 シロは、これまで選択を避けてきた。

 巫女たちの希望を優先したいと言いながら、逃げていたののは事実だ。他者を口実にして、自らに言い訳をしていた。

 否定はせぬ。

 神となってから、シロは逃げ続けている。

 九十九に過去を見せるのですら、躊躇していた。打ち明けてからも、九十九にうながされるまで、なにもしようとしなかった。天照まで動いて背を押す始末だ。

 それでも、まだ迷いが晴れない。

 怖いのだ。間違うことが。

 また選択を違えてしまえば……選んだことによって伴う痛みに、シロは耐えられない。

 変わらなくともいいとさえ思える。


「本当に?」


 問われるが、シロはふり返らない。

 杯に満たされた清酒を口に含んだ。愛媛県喜多郡の吹毛剣すいもうけんである。口にした瞬間の香りはひかえめで、後味も水のように淡麗で消えていく。だが、二口、三口と飲めば飲むほど、日本酒らしさを味わえる酒であった。

 油断すると飲み過ぎるので、八雲から「ほどほどに」と口酸っぱく言われている。


「聞いているの? 白夜」


 シロが無視していると、宇迦之御魂神は無遠慮に肩を揺さぶる。シロは彼女の神使ではあったが、厳密な子ではない。親の面をするのも、たいがいにしてほしいものだ。


「聞いておる」

「なら、こっちを向いて、お酒の相手をしてちょうだい。せっかくの松山あげも、独りじゃつまらないわ」


 宇迦之御魂神が縋るので、シロは息をつきながら室内に視線を戻す。

 彼女が宿泊する際は、必ず五光の間を使用している。室内に運び込まれた膳には、松山あげを使用した料理ばかりが並んでいた。

 松山あげにチーズと葱をのせてオーブン焼きにしたカナッペ風おつまみ。小鉢には、松山あげと小松菜のおひたしと、松山あげの卵とじ。当然のように、汁物にも松山あげが浮いており、極めつけは甘く焚いた松山あげで包んだ稲荷寿司である。

 宇迦之御魂神の好物だ。もちろん、シロも好む。


「いつもお取り寄せしているのだけど、やっぱり、ここのお料理は特別美味しいのだわ。とくに、今の料理長はいい腕をしているのよね」


 宇迦之御魂神は言いながら、カナッペ風おつまみを食んだ。サクッと軽やかな音を立て、顔面を嬉しそうに綻ばせる。乾燥油揚げならではの食べ方かもしれない。


「んー。たまらない」


 清酒も口に含むと、宇迦之御魂神は小さく唸った。気持ちはわかる。

 シロもおひたしに箸をつけた。煮込むと味をよく吸って、ジューシーな食感になる。そればかりか、周りの食材に松山あげのコクが移って、全体の味が甘くてやわらかくなっていた。


「そのままでも、悪くないがな」


 シロは普段、松山あげをスナック菓子のようにそのまま食べている。九十九からは「焼いたり煮込んだりしないと、油っこいですよ」と指摘されていた。たしかに、調理したほうが美味しいが、シロの感覚では美味だ。人間とは、少々好みがズレているのかもしれない。

 シロの言葉に、宇迦之御魂神は考え込む素振りをする。


「白夜がそうやって食べているから真似してみたけど……私は、調理しないと美味しくないと思うのだわ。そのままだと、油が指についてしまうから」


 なんと。宇迦之御魂神にも否定されてしまった。心外だ。


「白夜の食べ方が特殊なのよ」

「そうかな」

「美味しいものは、より美味しくいただくべき」


 宇迦之御魂神は酒を口に含んで笑う。

 シロとしては、充分美味なのだが……うーむ。釈然としない。


「それで、白夜。あなたは、どうするつもり?」


 食事をしていたのに、いきなり話を戻されてしまった。話題が飛んだせいで、シロは咳き込んで飲みかけの清酒を噴く。


「いきなり話題を変えるな」

「だって、最初から話すと無視するじゃないの」

「無視などしておらぬ」

「していたじゃないの」


 話が平行線になりそうだ。シロは口を曲げながら、足を崩して膝を立てた。

 どうしたいか。

 問うまでもなく、天之御中主神の選択だ。

 シロがなにを選ぶつもりなのか。宇迦之御魂神が心配しているのは、理解している。


「…………」

「まただんまり」


 なにも答えられずにいると、宇迦之御魂神は口を曲げた。

 このままでは埒があかないので、シロは大きく息を吐く。ため息ではない。人間は落ちつくべきときに、深く呼吸を整えるという。

 たしかに、ゆっくり浅く息を吐いた後に吸い込むと……思考が幾分かすっきりとする。


「儂とて、九十九と離れたくはない」


 率直な気持ちであった。

 九十九が先に逝くのは耐えられない。月子を看取ったときのように、心が千々に乱れるだろう。

 彼女にも、神に等しい寿命があれば――だが、それはもはや、人ではない。

 人が人で在ること。人間の愚かさや醜さ、老いていく儚さ。それらもすべて含めて、美しい存在だ。

 天照ではないが、そこには神々にない輝きが存在する。

 寿命が延びて人間ではなくなった九十九は、九十九ではない。

 どんなに形が変わっても、彼女の心根は変わらないだろう。そういう娘だ。

 しかし、その本質は大きく変わってしまう。

 人としての輝きを失った九十九は、九十九と呼べるのだろうか。

 彼女は湯築屋が好きだ。人と神とを繋ぐ宿屋の有り様を、九十九は一番愛している。きっと、今までの巫女の中で、誰よりも。

 人という存在を捨てた九十九が湯築屋で働くのは、本質を覆す行為だ。九十九はそんなことを望んでいないし、シロの本意でもなかった。


「儂は……人として生きる九十九のそばにいたいのだ。だから、九十九が永遠を拒絶したのは、正しいと思うておる」


 シロの答えは決まっていた。


「人として生きる九十九と、共に在りたい。だが、九十九に湯築屋を捨てろと言うつもりはない」


 九十九の本質を変えることも、湯築屋を奪うこともできなかった。

 シロの出すべき答えは、すでに決まっている。

 だのに、即断できないのは、シロが逃げ続けていたからだ。選択が恐ろしくて、目をそらしているだけ。


「そう」


 シロの考えを聞き、宇迦之御魂神は視線を落とした。

 宇迦之御魂神の意には沿わぬ答えだっただろうか。彼女は常に、シロを案じている。過保護だと鬱陶しくもなるが、至らぬ自分も不甲斐なく思う。


「それは、白夜の本意なのね?」


 改めて問われて、シロは小さくうなずいた。だが、まだ選び切れていない。迷いと恐怖が払拭できぬ動作になってしまった。

 このように不完全なシロには、神の座は似つかわしくないのかもしれない。

 自覚はある。

 もとより、シロは神となるべきではなかった。

 選択を間違えた罰だ。

 受け入れるほかない。


「だったら、よかった」


 宇迦之御魂神は静かに、シロの言葉を受け入れているかのようだった。シロの答えを否定するでもなく、松山あげの稲荷寿司を暢気に食んでいる。


「白夜がそう思っているなら……一肌脱いだ甲斐があったのだわ」


 九十九が自らの夢にシロと天之御中主神を同時に引き入れられるようにしたのは、宇迦之御魂神の助力だ。その甲斐あり、シロは結論に至れた。

 けれども、宇迦之御魂神は「そうではない」と言いたげに、微笑している。


「これは……」


 そしてシロは、このとき初めて、宇迦之御魂神の背後に控える影に気がつく。

 なぜだ。結界内部であれば、誰がどのような動きをしているか完全に把握できる。ましてや、このような存在は――。


「言ったでしょう? 一肌脱いだ甲斐があった、って」


 宇迦之御魂神が笑うと、黒い影も動いた。

 スッと伸びた前脚を揃え、シロの目の前に座る。


「黒陽……」


 ずっと昔に失われてしまった同胞。

 対の神使として、宇迦之御魂神に生み出された存在。

 シロに与えられた罰――。

 

 

 

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