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7.天之御中主神の真意。

 

 

 

 シロを解放し、湯築屋が消滅するか。

 それとも、このまま運命を受け入れて九十九のいなくなった世界にシロを残すか。

 九十九の力を使えば、未来が選べる。

 シロが神でなくなれば、湯築屋が消えるだけではない。シロが存在し続けるはずだった永い時間はなくなる。生物と同じように寿命を全うすることになるだろう。

 彼の運命を変える力が九十九にはある。

 考えただけでも身が震えた。


「わたし……」


 九十九はぼんやりと、自室の天井をながめるけれど、起きあがるだけの気力がない。ただ死んだみたいに、布団に横たわっていた。神気を使いすぎたようで、身体が重い。

 登季子たちが心配して、代わる代わる来てくれるが、満足に対応できなくて申し訳なかった。枕元には、コマが置いていった蜜柑が転がっている。

 頭がぼんやりするので、糖分は摂るべきだ。けれども、どうしようもなく怠い。

 だんだんまぶたもさがってきて、眠りへと落ちていくのがわかる。九十九は抗いもせず、目を閉じた。

 今は考えることしかできない。

 でも、考えたくもない。

 身体が水に浮きあがっているような、沈んでいくような、不思議な感覚が九十九を襲った。これは夢を見るときの感覚だと、本能的に悟る。

 なにも考えたくないのに……。

 九十九は初めて、夢を拒みたいと思った。実際、九十九が強く拒めば、月子の夢には繋がらない。

 今日は……なにもしたくない……。


「おいで」


 けれども、誰かが九十九の手をにぎって呼びかける気配がした。

 優しい母親みたいだけれど、無垢な少女のようでもある。月子の声だと、九十九にはすぐにわかった。


「でも」


 九十九は戸惑い、目をギュッと瞑る。


「大丈夫」


 九十九の耳元で、月子がそっと呼びかけた。無理強いはしない。けれども、どうしても九十九と話したい。そんな意思が読みとれる。


「…………」


 九十九は手に力を込めた。

 月子の手をにぎり返すと、身体の浮遊感が急速に薄れていく。

 ゆっくりと目を開けると、青白くて大きな月が見おろしていた。やわらかいけれど、冷たい美しさをはらんだ光が冴え渡っている。

 頭の辺りが温かい。夢なのに、やけに生々しいのは、いつものことだった。


「おはよう」


 九十九の視界に、のぞき込む姿勢でぴょこりと現れる月子。ようやく、九十九は月子の膝のうえだと気づいた。


「おはようございます……」


 たぶん、時間は朝ではないと思うが、ここは月子にあわせておいた。

 月子は九十九を膝枕したまま、前髪をそっとなでてくれる。


「悩み過ぎるのも、よくないよ」


 月子の言葉に、九十九は目を伏せた。

 のろのろと、鈍い動作で起きあがる。いつもの夢なのに、シンと静まり返った森の空気が心地よかった。


「あんな話のあとで、悩まないなんて無理じゃないですか」

「あなたは、そういう性質よね」


 シロや湯築屋の未来の話。しかも、それが九十九の力に委ねられている。悩むなと言われたって無理だ。

 月子は唇を緩めて立ちあがる。


「あなたは選ぶ立場ではないよ。天之御中主神の真意ではない」


 九十九は眉根を寄せた。


「選ぶ立場にない?」

「そう。選ぶのは、あなたじゃないの。もちろん、力を使うのはあなただから、最終的に合意して決めるのは、あなた次第。拒む権利はある」


 誰が選ぶというのか……そんなもの、一柱ひとりしか思いつかなかった。


「シロ様が――」


 選ぶのは九十九ではない。

 シロだ。

 月子は肯定して微笑した。


「気持ちはよくないけれど、あの神なりの善意かな」

「善意?」

「そう。いつもながら、わかりにくいでしょう?」


 シロはずっと選択を避けてきた。

 湯築屋についても、巫女の好きなようにまかせている。

 彼は選択を恐れているのだ。

 自分で選ぶのが怖い。もう、過ちを犯したくないのだろう。九十九はシロが、臆病である理由を知っている。

 なのに、天之御中主神は選択をさせようとしていた。九十九にとっても、シロにとっても、苦しい選択だ。どちらの未来を選んでも痛みが生じる。

 でも……。

 ここで、シロが選ばないのは逃げることにもなる。

 永遠に。

 だから、これは天之御中主神なりの和解。いや、餞別なのかもしれない。

 痛みを伴わない選択はないのだ。

 苦しい選択をしてこそ、シロは本当の意味で解放される。自分で選んだ未来だからこそ、受け入れられる。

 だから、天之御中主神は選ばせたかった。この神に悪意はないのだ。

 試している。

 やっぱり、言葉が足りていない。やり方が不親切で、いけ好かない。

 だけど、決して天之御中主神はシロが嫌いではないのだろう。むしろ、好ましいから……強さを獲得してほしいのかもしれない。

 天之御中主神なりに、シロに優しさをかけているのだ。


「天之御中主神様らしいですね……」

「ほんとにね。こっちは、困るけどさ」


 月子は息をつきながら九十九に同意する。

 選択の内容そのものは、決して優しくはない。けれども、そこにある真意がわかると、見える世界が変わってくる。


「シロ様は、臆病ですから」


 彼は永い間、一歩を踏み出せなかった。月子を追いかけてきた時間も、九十九に真実を言えなかったときも、ずっと悩んで立ち止まり続けていた。

 天之御中主神から選択を示されたとき。シロは真意に気づいていたに違いない。

 あの選択は九十九のためではなく、シロのためにある。

 だから、天之御中主神になにも言えなかったのだ。

 選ぶのは九十九ではない。その気づきは、九十九の心の枷を取り払った。しかし、決して軽くはならない。

 シロは、どうしたいのだろう。

 どちらの未来を選びたいのだろうか。

 湯築屋が消えるなんて、嫌だ。

 けれども、シロが孤独なのも、嫌だ。

 九十九はワガママだった。どちらの未来になっても、きっと後悔する。それをシロに委ねなければならないのも、もどかしい。

 シロに、重い選択を強いてしまう。

 それが気がかりでならなかった。

 九十九にできない選択を、シロにさせるから……。

 いや、シロのことだ。九十九が選び、「こうしたい」と言えば、異を唱えないだろう。シロに責を負わせたくなければ、九十九が決めればいい。

 でも……本当に、それでいい?


「どうするかは、あなたが決めるべき」


 月子は笑って、九十九に手を伸ばした。

 頬をそっとなでなれると、くすぐったい。シロにされるのとは、別の温かみがあった。


「人は、選択をしながら生きるものだから」


 天之御中主神に提示されなくとも、九十九は選びながら生きていく。

 大学進学を希望したのも、永遠の命を拒んだのも、シロと幸せになりたいとねがったのも……全部、九十九が選んだ。

 九十九は生まれたときから巫女になることが決定していた。ある程度の道筋はつけられていたのかもしれない。

 それでも、九十九が今ここにいるのは、自身が選んだ結果だと断言できる。

 人は、選択をしながら生きるもの。

 月子の言葉を噛みしめるように、九十九は目を閉じた。


「以前よりも、穏やかな顔になったね」


 月子に言われて、九十九は唇を緩めた。

 前は、月子に複雑な感情を抱いていた。彼女はシロにとっての特別だ。永い永い時間、シロが焦がれて追い求めていた人。もうこの世にはいない人。

 シロは九十九が一番だと言ってくれる。それでも、月子という存在は別格なのだと、九十九はどこかで意識し続けていた。シロを信じていなかったわけではないけれど、やはり引っかかってしまう。そんな存在であった。

 けれども、月子を見るシロの顔を確認して……そうではないのだと、はっきりした。

 だから、もう九十九の中のわだかまりは消えた。


「ありがとうございます」

「いいのよ」


 月子は九十九の頭をなでた。

 ふと、九十九の脳裏に、夢の光景がよみがえる。


「そうだ、月子さん――」


 黒陽は、どうして現れるのだろう。九十九にだけ見えていたのも、おかしい。月子なら、なにか知っているかも。




「――――ッ」


 黒陽のことを口にしようとした瞬間、はっとまぶたが開く。

 そこにあったのは、月子の顔ではなかった。青白い満月も、鬱蒼とした森もない。LEDライトの照らす自室の天井であった。

 夢から醒めたのだ。

 身体中に汗をかいている。息苦しくはないのに、少し呼吸が荒かった。


「う……」


 九十九は重い頭を抱えて、上体を起こした。

 いつもは、もっとゆっくりと目覚める。起こされない限り、こんな覚醒の仕方はあまりしない。

 部屋には九十九しかいなかった。

 ただ、枕元に置かれた蜜柑の数が増えている。

 

 

 


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