1.知らないこと。
夜も更け、宴も終わる。
神様たちが酔うことはないが、テンションはあがっていた。
彼らはたいていお酒とにぎやかな席が好きである。湯築屋の従業員が忙しなくお酒とお料理を運んでいた。
九十九も一緒におもてなしをしたかったけれど、大人しく花嫁をしていろと、シロの隣で座らされてしまう。
みんな九十九の花嫁姿を喜んでいた。
燈火と天照には写真をたくさん撮られ、途中でツバキさんも参戦する。その過程で、衣装をたくさん着せ替えさせられて、お色直しどころではなかった。
ほかにも、お客様が代わる代わるノンアルコールのお酒を注ぎにくるので、すっかり疲労困憊だ。
一日中笑顔で働き続けるなんて日常茶飯事なのに、別種の疲労がたまっていた。
「花嫁って、疲れる……」
ヘトヘトになって、九十九は布団に倒れ込む。
やっと母屋の自室に帰れて、どっと気が抜けてしまった。へなへなとした動きで、着物の帯を緩めて髪を解く。
湯築屋の若女将として宴のセッティングをすることは多いが、自分が主役になるのは初めてだ。おもてなしされる側も楽ではないとわかった。いやしかし、あれでは客寄せパンダ状態だ。
でも……楽しかった。
今日をふり返ると、九十九の唇が緩む。
お酒は口にしていないが、楽しい場にいられて嬉しい。外側でおもてなしをするのとは、全然違う。みんな九十九を中心にして笑っていた。
「ふ……うーん……」
九十九は布団のうえで背伸びをする。今日は気持ちよく眠れそうだ。
まずは着替えたほうがいいのはわかっているが、少し休憩。九十九は着物を緩めたまま、仰向けに転がった。
こうやって、ぼんやりしているのが一番リラックスできる。
「九十九」
「ふぁ!?」
変な声で叫んでしまった。
いきなりシロが現れて、顔をのぞき込まれていたのだ。九十九は動転したが、慌てて飛び起きようにも、そうすると、目の前の顔とぶつかってしまいそうだ。
「シロ様、なんで!?」
九十九は苦情のつもりで叫んだ。
すると、シロは涼しい顔でにっこりとする。
「愛しい新妻との初夜を愉しみにきたのだが」
「しょ、しょや……?」
一発で漢字変換ができなかったが、初夜だ。
「昨日から、初夜ってなんですか……」
あまりに頭が回らなさすぎて、ふわふわとした質問をする。そんなことよりも、休みたいので早く帰ってほしいとおねがいしたほうがいいのに。こんなときにこそ、綺麗すぎる顔に一発拳をお見舞いすべきだ。
だいたい、婚姻の儀を結びなおしただけで、九十九は新妻ではない。前から妻だった。いまさら初夜とかなんとか言われたって、「単に理由をつけて夜這いしたいだけでしょ!」という感想しか抱かない。
シロは整った唇に弧を描く。琥珀色の眼差しが妖艶な色を帯び、絹のごとき白髪が肩から落ちる。
サラリとした一筋が、九十九の顔にふってきた。
「教えてもよいのか?」
シロの細くて長い指が、九十九の顎に触れる。親指が頬をなで、やがて、唇へと移っていく。
九十九はなにも言い返せず、ただ身を縮こまらせる。
「九十九が望まぬことはしたくない」
額に唇が落ちた。
次いで耳に吐息が押し当てられ、囁く声で頭が蕩けてしまいそうだ。
思考力がとにかく削がれ、まともに考えられなくなってくる。
「わたし……」
首筋を軽く噛まれて、ようやく声が漏れた。
九十九はのろりとした動作で、身を起こす。シロはその動きを阻害せず、黙って九十九を見ていてくれる。
手が震えていた。
これまでだって、何度も何度もシロに触れられている。キスだって……なのに、今になって怖がるなんて、おかしな話だ。
シロのことは大好き。
ずっと一緒にいたいし、もっと触ってほしい。
九十九だけを見ていてほしい。
そんなワガママだって考えてしまう。
九十九にはシロを拒む理由なんてない。なのに、いつもどうしても一歩退いている。そういうところが傲慢で、シロにも不誠実なのは理解していた。
「シロ様……動かないでください……」
九十九は弱々しい声で、シロの手に触れた。
触られるのと、自分から触るのとでは気持ちが全然違う。普段よりも、いっそう強く心臓が跳ねた。
シロは九十九に言われたとおりに、動かないでいる。長い睫毛を伏せ、九十九がなにをするのか、じっと待っていた。
九十九は意を決して、身体を前に傾ける。
震えながら、シロの瞼に唇をつけた。
稚拙な子供みたいな口づけだ。それでも、次は腰を浮かせ、両手を頬に添えながら額にキスをする。シロが九十九にやってくれるのと同じようにした。ちゃんと、上手くできているか不安で、一つひとつの動作が確認するように覚束ない。
「九十九」
シロが九十九の胸に顔を寄せた。汗をかいているので、あまり嗅がないでほしい。
「動かないでくださいって、言ったじゃないですか」
九十九がむくれると、シロはつまらなさそうに唇を尖らせる。そんな顔をするなんて、ずるい。
「教えてもらわなくたって……いいので……」
九十九はシロの頭をぎゅっと抱きしめながらつぶやいた。恥ずかしくて、表情を見られたくない。
シロが九十九の腕の中で、視線をあげる。目と目があうだけでも、逃げ出したくなってしまう。
しかし、九十九は固唾を呑み、シロに顔を近づけた。
ゆっくりと唇と唇が近づいていく。すぐそこにある吐息を、肌で感じることができる。何度か体験しているはずなのに、いつまでもドキドキしていた。
生暖かい唇が触れあって、距離がゼロになる。
その途端、逃がさないとばかりに、シロが九十九のうなじに手を添えた。
九十九は軽く抵抗するが無駄で、布団のうえに転がされてしまう。唇が塞がったままなので、文句も言えない。
今までのものは、キスだなんて言えないのかもしれない。シロは九十九が知らない口づけをしながら、髪を優しくなでる。荒っぽくて力強いのに、愛しさが伝わって、それだけで心の奥が満たされていく。
「九十九、大丈夫か?」
けれども、ふとシロの動きが止まる。不安そうに九十九の顔をのぞき込み、指で頬をなでた。
九十九の目から一筋の涙が流れている。
肌を伝う涙が熱くて……。
「いえ……平気です」
熱に冒されたような声で答えながら、九十九は涙を拭った。
そして、唇に弧を描く。
「嬉しくて」
満たされた想いが、涙になってあふれてしまった。
九十九の心は嬉しさでいっぱいで、受け止めきれなかったのかもしれない。
シロは不安そうに気づかっていたが、やがて、ニヤリと笑みを作る。
「もっと泣かせてしまうぞ?」
返事をするまえに、再び唇を塞がれる。
息ができないくらいの口づけに戸惑って、九十九はぎゅっと目を閉じた。
熱くて、優しくて、愛しくて……。
九十九の知らないことばかりだった。




