3.神様という概念
やることは、いつもと変わらない。
お客様は神様なのだ。
最高のおもてなしを。
「とはいえ、他のお客様のこともありますから普通におもてなしするわけにもいきません。既に、愛比売命様から、貧乏の臭いがすると苦情が入っています」
愛比売命は商売繁盛・縁起開運の女神だ。
地元の伊豫豆比古命神社――通称椿神社に祀られる神の一人で、愛媛県の県名に由来した神でもある。椿神社は金運のパワースポットとしても今でも人気が高く、毎年冬に開催される椿祭りは愛媛の風物詩とも言えた。
今では営業して世界中の神様が集まる湯築屋だが、昔馴染みのお客様にも支えられている。商売の神様が貧乏神を嫌うのも、しょうがないと言えばしょうがない。
事実、商売を営んでいる側のシロは、貧乏神をすこぶる嫌がっている。
「貧乏神様には屋外でのおもてなしを致します」
変則的な客の訪れに集まっていた湯築屋の面々を前に、九十九は自分の計画を発表する。
子狐のコマが「ええ!?」と声を上げる一方で、父であり料理長の幸一が後ろの方で腕組みをして思案しはじめる。
シロは嫌そうに尻尾を床に叩きつけながら「異議あり、異議あり」と連呼していた。無視だ。
「お部屋は既に母屋の片づけをはじめています。貧乏神様には事情を説明し、納得済みです。先にお風呂とお食事を楽しんでいただきます」
「異議あり」
「異議を却下します……ということで、貧乏神様がお風呂に入っている間にお食事の準備を済ませてしまいましょう」
「異議ありー! 九十九、話を聞かぬか!」
「却下。それでは各自、持ち場についてください」
「異議あり! 異議あり! 何故、母屋の儂の部屋が片づけられておるのだ!?」
駄々を捏ねるシロを無視して、湯築屋の面々は戦闘態勢に入った。
お客様へのおもてなしは戦争だ。素早く適確な判断が求められ、失敗は許されない。貧乏神が入浴している間に、滞りなく準備する必要があった。
メニューの構想は決まっている。幸一とも相談して、食材にも都合がつけられそうだった。
今日はお客様が少ないのも救いだ。
シロの部屋を使うことにはシロ以外の者は概ね賛成だ。お客様である以上、下手な部屋に通すわけにもいかないし、元々、シロの部屋は物が少なくて殺風景なので片づけやすい。というよりも、ほとんど平時は客室でテレビを見て過ごしているので、自室をあまり使っていないのだ。
つまり、問題はない。
「つーくーもー! 聞いておるか!?」
「お黙りください!」
九十九が早足で廊下を進むと、シロが身体を壁に擦りつけながら追いかけてくる。
「一度許可してくださったのに、往生際が悪いですよ」
「誰が儂の部屋を使っても良いと……だいたい、儂は何処で寝れば……」
「別に、いつでも好きな部屋で寝ているじゃないですか」
煩わしく思いながら振り返ると、シロがわざとらしくむくれていた。
子供か!
「寝床が奪われてしまったのなら、仕方がない。今宵は巫女の部屋で寝るしかあるまいよ」
「え」
あまりにサラリと、聞き流しそうなノリで言われたセリフ。
しかし、九十九はとっさに身体を強張らせ、シロを見上げてしまった。
「あ、あの」
以前の九十九なら、なんと言い返しただろう。
急に肩を抱かれたとき。不意にキスされたとき。なんて言い返していたっけ?
「登季子の部屋が空いておろう。ファブリーズしておけば、文句も言われまい」
九十九の顔を数秒観察したあとで、シロはつまらなさそうに視線を外す。
はじめからそのつもりだったのか、それとも、九十九の反応をうかがっていたのか。本当のところはわからない。
ふわりと近づいてきたと思えば、するりと逃げられてしまった気分だ。
否、近づいてなどいない。
シロは九十九と一定の距離を保とうとしている。
「ひぃっ!? 貧乏神! マジで……んん、正気ですか!?」
堪らず琥珀色の瞳から目を離した瞬間、廊下の向こうから叫び声が聞こえてきた。
「誰ですか!? せっかく養生しに来たと言うのに……貧乏神など! 吾の神格が落ちたらどうしてくれるのですか!」
声に反応して廊下を走った先には、二人いた。
一人は風呂上がりの貧乏神だ。
湯築屋の青い浴衣に袖を通し、濡れたままの黒髪を肩に垂らしている。サングラスを外しているせいか、ニヤニヤとした視線が軽薄そうな印象を与えていた。身体を洗ったせいか、入浴前と印象が違って見える。最初はガラの悪い浮浪者だったが、なんとなくホストの類に思えた。
もう一人は椿神社に祀られる女神・愛比売命。
こちらも同じく湯上りなのだろう。同じデザインの浴衣を着ている。床まで達する長い紅髪は丁寧にタオルで纏められており、細いうなじが覗いている。浴衣のサイズが少々小さかったか、組まれた腕の上に豊満な胸が乗っていた。
「先ほどから貧乏臭いと思ったら……!」
「そりゃあ、貧乏神だからなぁ?」
「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼! その態度、腹立たしい! こっちは冬が来たら初詣があるわ、椿祭りも控えているわで、最後の休暇を楽しんでいるのですっ。邪魔をしないで頂きたい!」
「へえ? 神社の神様は忙しいねぇ?」
愛比売命は半狂乱になりながら、甲高い声で叫んだ。
商売繁盛の神である彼女にとって、貧乏神は最も近づけたくない類の神だろう。彼女のもとには、多くの商売人が訪れる。
因みに、椿祭りとは彼女が祀られる椿神社で旧暦の一月七日・八日・九日の三日間開かれる祭りだ。参道に様々な屋台が立ち並び、多くの人で賑わう。
九十九も毎年参拝しており、そこで売られる「えんぎあめ」が結構好きだったりする。
「愛比売命様。すぐにお食事の準備ができますので、お部屋でお待ちください。貧乏神様も会場でお待ちください」
九十九が割って入ると、愛比売命は表情を歪めたまま貧乏神から顔を逸らす。
「客を分け隔てなくもてなす若女将の志は立派です。そこに文句をつけるつもりは毛頭ありません……ですが、貴方は吾の視界に今後一切、入らないで頂きたい」
愛比売命は貧乏神に対して冷ややかに言い放った。
貧乏神を宿泊させる湯築屋に対して苦情を言うつもりはないが、個人としては許さないということだろう。商売の神だけあって、そこは弁えている。
「はいはい~。よろしゅうございますよっと。じゃあ、若女将チャン。案内してくれよ?」
貧乏神は慣れた様子で受け流し、九十九の隣に立つ。
愛比売命の方もそれ以上言うことはないようで、ツンとした態度で部屋へと帰っていく。シロは愛比売命の機嫌を宥めようと思っているのか、それとも、自分も避難したいだけなのか「美味い酒でも飲もう。油揚げもあるぞ」と声をかけていた。
「ま、新参だしなぁ。しょうがないって話よ」
「新参、ですか?」
「そそ。オレ、意外と若輩者なのヨ」
日本神話の神に比べると新参者かもしれないが、貧乏神の記述は江戸時代には確認できる。現代まで名が残らず消える神がいることを考えると、それほど新しすぎるわけでもないだろう。祀った神社も全国にいくつかある。
「貧乏神なんて、元々は存在しないってハナシ」
貧乏神は軽い口調で続けた。
「最初は人が言い出した創作だったものが、だんだんと信仰を得て神になったってコト。まあ、オレの場合は信仰というより嫌悪なのかなぁって思うけど。栄えていた家が突然没落するんだから、なにか人智を超える力が働いているに違いないって、みんな無意識に信じてたんだろうねぇ」
案内されている間も貧乏神は饒舌だった。
彼にとったら、独り言のようなものなのかもしれない。九十九の反応など見ていないようだった。
「自分の都合がいいように考えて、存在を創り出すんだから人間も大した力を持っているよ。結局のところ、オレらが生まれるも消えるも人の力だかんね……まあ、原初の神なら、話は違うんだろうけど」
なんとなく、堕神の話を思い出した。
彼らも元々は人に信仰された神だ。だが、名を忘れられ、存在が消えていく。
神は人に恵みや脅威を与える強大な存在だ。
でも、その存在を支えるのは人の信仰や畏怖。
神様は人を支配する存在でもない。
相互に作用することで、互いが存在していける共同体のようなものなのかもしれない。
ふと、誰も神を信じなくなってしまったら、どうなってしまうのだろう?
「貧乏神様、お食事はお庭に用意しております。どうか、心ゆくまでお楽しみください」
貧乏神のために用意した食事会場に到着した。
色づいた紅葉が舞い、池の水面に波紋を描く。
コスモスの香りが風に乗って流れる中で、パチパチと音を立てる炭火。テーブルの上に並んだ海の幸が、網の上で焼かれるのを今か今かと待っていた。
池を臨む庭に設置されたバーベキューセットを示して、九十九は最上の笑顔を作った。




