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お客様が「神様」でして ~道後の若女将は女子高生!~(web版)  作者: 田井ノエル
二十四.湯築屋の未来が見えました!?
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3.宇迦之御魂神。

 

 

 

 九十九はアーケード街の入り口を横切って、伊佐爾波神社へと続く緩やかな坂道を歩く。飲食店や老舗ホテル、民家などが建ち並ぶ通りである。


 その一画に、木造平屋の温泉旅館が見えた。


 木造平屋の外見は地味で、暖簾には「湯築屋」とだけ。あまり人気の宿には見えない佇まいだ。

 しかし、門を潜ると世界が一変した。

 晴れた青空はどこかへ消え、黄昏に太陽が沈んだ瞬間のような藍色に塗り変わる。太陽どころか、月も星も、雲もない。

 広めの日本庭園では、紅白の梅が可愛らしく咲いている。軽く積もった雪に、花の色が映えていた。

 外と違って、寒さは一切感じない。むしろ、寒暖差があって、マフラーが暑い。汗ばんだマフラーを緩めると、ちょっとだけ涼しくなる。

 庭を進むと、目の前に木造三階建ての近代和風建築が現れた。道後温泉本館を模しているが、雰囲気がやや異なる趣だ。窓に嵌まった色とりどりの、ぎやまん硝子や、花札模様の障子越しに、暖かな光が見てとれる。


 ここは湯築屋。

 強力な結界によって、外界と隔てられた場所にある宿屋だ。


「若女将っ、おかえりなさいませ!」


 ちょうど、玄関からぴょこんと小さな影が飛び出す。品のある臙脂色の着物をまとった子狐――仲居のコマだった。二本の足で立ち、袖を襷掛けにして箒を持っている。玄関の掃除に出てきたところみたいだ。


「ただいま、コマ」


 九十九は言いながら身を屈め、コマの頭をなでる。ふわふわの毛並みが気持ちよく、それだけで心が和んだ。

 湯築屋に宿泊するのは、人間ではない。神様やあやかしたちが訪れる宿屋なのだ。

 九十九は湯築の巫女であり、宿の若女将である。


「若女将、今日は大学だったんですか?」

「ううん。レポート課題で県美術館に行ったの」

「お勉強だったのですね!」


 九十九は大学の文学部なので、時折、こういった課題が出る。どこでもいいので美術館へ行き、感想をレポートにまとめるという内容だ。行きさえすれば、レポート用紙を埋めるのは簡単なので、さほどむずかしくはない。


「髙島屋でおみやげ買ってきたよ。あとで食べようね」


 九十九は笑いながらトートバッグから、お菓子の箱を取り出す。十二個入りのベビー母恵夢ぽえむだ。冬限定のショコラ味である。


「母恵夢っ! 好きです!」


 九十九のおみやげに、コマはぴょんぴょん跳ね回った。

 母恵夢は、観光客のおみやげだけではなく、県内でも贈り物としていただくことも多いお菓子だ。薄い生地の中に、しっとりとした白餡が入っている。

 今回、九十九が買ったのは期間限定のショコラ味だ。チョコレート生地も美味しいが、濃厚なショコラ餡も絶妙である。少し温めると香ばしさが増す。

 愛媛県では馴染みのお菓子だが、やはり期間限定商品には惹かれてしまう。季節ごとに、様々な味がリリースされるので、商売上手だなぁと感じている。


 シャン、シャン――。


 清涼な鈴の音が辺りに鳴り響く。


「お客様ですねっ!」


 コマがピッと背筋を伸ばす。

 湯築屋の門を、お客様が潜ったことを知らせる音だ。


「どちら様だろう」


 まだ私服から着替えていないが、九十九は湯築屋の門をふり返った。

 門から玄関までは、少しばかり距離がある。その足音は、幻影で創り出された庭の景色を楽しんでいるかのようなテンポだ。

 そうして現れたお客様は、見知った顔であった。


「また来たのだわ」


 ゆっくりと現れたお客様は、気さくに微笑みかける。

 絹束のごとき白い髪のうえで、耳がピクリと動いていた。琥珀色の瞳は神秘的でありながら、愛くるしさを宿している。


「お久しぶりです、宇迦之御魂神様」


 お客様に対して、九十九はていねいに頭をさげた。

 宇迦之御魂神は、全国でも広い地域に分布している稲荷神社の総本山、伏見稲荷大社の主神である。名前の「ウカ」は穀物を表しており、稲や食物全般の神とされていた。


「そうね。あなたたちの感覚では、お久しぶりなのだわ」


 宇迦之御魂神は笑いながら、九十九の前に立つ。

 前回の訪問から、もうすぐ一年というタイミングだ。充分、「お久しぶり」だが、神様の尺度では、「数日ぶり」くらいなのだろう。

 本来、宇迦之御魂神はこのような頻度で湯築屋を訪れない。常連客には違いないのだが、彼女の来訪は半世紀に一度程度の周期である。

 湯築屋の結界は、シロそのものだ。ゆえに、シロは結界から外へは出られない。しかしながら、彼にも休息は必要だった。宇迦之御魂神は、シロが数日休む間、結界の維持を補助するために湯築屋を訪れている。

 けれども、今回の来訪は結界の維持とは関係のない時期だ。

 こういう場合は――。


「遅かったではないか」


 どこからともなく声が聞こえ、九十九は虚空を見あげる。

 神出鬼没。突然、九十九の肩口から、ぬっと顔を出したのはシロだった。宇迦之御魂神とよく似た白い髪と琥珀色の瞳。背中では、もふもふと大きな尻尾が左右に揺れている。

 着衣は、いつもの藤色の着流しと濃紫の羽織ではない。真っ白な袍に身を包んだ、束帯の姿である。宇迦之御魂神が来たので、畏まった衣装にしたのだろう。

 シロは宇迦之御魂神の神使であった。「親子のような間柄」とも、九十九には説明されている。シロにとって、宇迦之御魂神は気を遣う神様なのだろう。


「それは、こちらのセリフなのだわ。白夜の決断が遅いのよ」


 シロから遅いと言われたのが気に食わなかったのだろうか。宇迦之御魂神は腕組みしながら頬をふくらませる。

 宇迦之御魂神は不満のようだ。目くじらを立てて、シロを睨んでいる。


「こんなに可愛らしい妻を悩ませるなんて、悪い子!」

「ふあ!?」


 宇迦之御魂神は言いながら、九十九の肩をギュッと抱き寄せる。突然のことで、九十九の声が裏返った。


「う、宇迦之御魂神様」


 戸惑う九十九を他所に、宇迦之御魂神はギューッと力を込めて抱きしめてくる。シロに見せつけようとしているのが明白だ。実際、九十九を抱きしめる宇迦之御魂神を見て、シロは唇をへの字に曲げている。


「九十九は儂の妻ぞ」

「知っているわ。でも、私はお客様なのだわ」

「客だからと言って、なんでも許されると思うなよ。お客様は神様などという言葉は、従業員の心構えの話であって、客自らが主張するものではない」


 と、昨日、シロが見ていたテレビで言っていた。


「あら。私は神様なのだわ」


 腰に手を当てながら、宇迦之御魂神が胸を張る。シロが言っている意味とは食い違うが、この主張は真っ当すぎる。たしかに、宇迦之御魂神は神様だ。

 お客様でも神様でも、普通は従業員に抱きついたりしませんけどね! と、九十九は苦笑いした。


「儂が九十九に苦労ばかりかけておるのは否定せぬが……我が妻が、他者に抱かれておるのを見るのは気分が悪い」


 シロは不貞腐れた様子で目を伏せた。宇迦之御魂神に対しては、そこまで強気に出られないようだ。


「そんなに人肌恋しいならば、儂を抱っこすればよかろうよ。ほれ、愛らしい尻尾つきだぞ。耳もあるぞ」


 絶妙に見当違いな主張をしながら、シロは両手を広げた。九十九を離してほしいからと言って、自分を抱っこしろと言い出すのは、どうかと思う。


「ねえ、ちょっと見ない間に、この子こじらせているのではないかしら?」


 宇迦之御魂神も引いてしまったのか、九十九に小声で聞いてきた。が、九十九だってこれには困惑している。


「まあ……シロ様が駄目神様なのは、前からなので……」

「あなたも大変ね」


 ここまで来れば、あきらめの境地だ。

 九十九と宇迦之御魂神は、顔を見あわせて嘆いた。


「な、何故なにゆえ……儂は九十九のために」


 もう口を開かないほうがいい。これ以上しゃべると、いろいろ剥がれる……黙っていれば、神秘的で美しいのに。これでは、台無しどころの話ではない。


「まあ、いいわ。とりあえず、お部屋へ案内してちょうだい。いつものところは、空いているかしら?」

「五光の間なら、客はおらぬ」

「そ。じゃあ、よろしく」


 宇迦之御魂神は、九十九を離してシロの前へと駆け寄る。シロは納得いっていなさそうだったが、仕方なさげに息をつく。


「では、お客様のご案内はシロ様におまかせします。お客様、またあとでごあいさついたしますね」


 九十九は若女将らしく、宇迦之御魂神に頭をさげる。隣で、コマも深くお辞儀をした。お辞儀にあわせて、尻尾がうえを向く。


「ええ、よろしくね」


 宇迦之御魂神は、軽く手をふって玄関へと入る。シロも、お客様を案内するために、九十九に背を向けた。

 二柱の背中を見送って、九十九は目を伏せる。

 宇迦之御魂神が湯築屋を来訪した理由。

 時期的に、結界関連ではない。

 シロと融合した神、天之御中主神は表裏の存在だ。それなのに、シロは天之御中主神を許せないでいる――同じ存在となった、シロ自身のことも。

 初代の巫女・月子の生死を巡った選択を、天之御中主神は提示した。そこでシロは、月子を選び、世の理を曲げたのだ。

 その代償として、四国に住むシロの同胞の狐たちが死んでしまった。彼とともに宇迦之御魂神に仕えていた神使の黒陽こくようも消滅している。

 シロの選択が招いた悲劇だ。

 惨事を前に、月子は選択を示した天之御中主神にも咎を負うべきだと投げかけた。天之御中主神は月子の主張を認め、自らに罰を科すために、シロと融合したのである。

 そして、シロは結界の檻となり、天之御中主神をこの地に留める役目を担うこととなった。天之御中主神を封印した形である。

 二柱は、ずっとわかりあえないまま、永い刻を過ごしてきた。

 九十九は……それが気がかりなのだ。

 人間である九十九は永遠を生きられない。必ずシロを置いて逝ってしまう。それならば、この先を生きるシロのために、なにか遺したいのだ。

 シロと天之御中主神に、対話の場を設けたかった。

 簡単にわかりあえるとは思っていない。せめて、シロが自分自身を許してあげられる手伝いをしたかった。

 自分を嫌いなまま永遠を生きるなんて、あまりに悲しすぎる。

 そんな想いを後々まで残してほしくなかった。

 宇迦之御魂神は、九十九とシロを手伝いに来てくれたのだろう。

 

 

 

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