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2.神様は神様ですから

 

 

 

 それは世界が夜に塗り替えられる瞬間のよう。

 太陽もなく、月もない。

 在るのは透き通るような藍を広げた黄昏色の、薄暗いが、暗闇とも言えない空。

 広い池とコスモス畑が広がる庭園。木の枝は紅葉で彩られている。


 近代和風建築の建物を囲う庭の向こう側には、なにもないと幼い頃に教えられた。

 藍色の空と一体化した敷地の外に世界はなく、ただただ虚無が広がっているのだと。

 その虚無の中に人の世界との門を開き、わたしたちは招き入れてもらっているに過ぎない。


 九十九は幼い頃、聞いてみたことがある。

 大きな紅葉の樹の上で。舞い落ちる紅葉の葉と、大きな湯築屋の建物を眺めながら……あれは、いつのことだったのだろう。今では覚えていない。


 ――シロ様は、ずっとここに住んでいるの? いつから?


 純粋な疑問だった。

 だって、ここには湯築屋があるけれど……他には、なにもない。


 ――さみしくないの?


 答えは覚えていない。

 もしかしたら、答えてくれなかったのかもしれない。


 あのときの答えをもう一度聞いてみたくなったのは、最近になってからだった。


「九十九ちゃんはすごいよね」

「へ?」


 お客様が入浴している間に、お部屋に布団を敷く。その最中にそんなことを言われて、九十九は思わず間抜けな声を出す。

 紺色の着物を着た仲居の小夜子が、九十九に笑みを向けた。

 アルバイトをはじめて数ヵ月だが、仕事覚えも早くてお客様からの評判も上々だった。


「若女将ってすごく大変そうなのに、明るくてテキパキしてて。私なんかよりも巫女の力も強くいし」

「そうかな? 気づいたら、こんな感じになってたからわからないや」

「神様のお嫁さんなんてすごいよ!」

「え、そこ? そこって、すごいの?」


 生まれたときから決まっていた結婚だし、実際のところ、九十九は夫婦らしいことはなに一つしていない。すごいと言われても説得力がないのが正直な話だった。


「私には自信ないし。同い年なのにすごいなぁ」

「いや……自信があるわけじゃないよ」


 自信などない。

 九十九は急いで布団を整えて立ち上がった。


「わたし、シロ様のこと全然わからないし……夫婦らしいことも、できてなくって……」


 窓の外から紅葉の葉が舞い込んでくる。

 コスモスの甘い香りも、紅い葉の色もシロが結界内に創り出した幻だ。幻故か、完璧に近い美しさがある。けれども、それは本物のように美しくもあった。


「九十九ちゃん、それは――」

「若女将っ! 若女将ぃっ!」


 小夜子の言葉を塗りつぶすように、慌ただしい声が響いた。

 廊下からパタパタと足音が近づいてくる。


「どうしたの、コマ?」


 客室の扉を勢いよく開けて入ってきた子狐のコマに九十九は問う。

 コマは犬のように尻尾をブンブン振って、両手をアワアワと握った。コマは普段から落ち着いている性分ではないが、只事ではないということが伝わってくる。


「若女将、若女将っ! お客様が……お客様がいらっしゃいました!」

「え、はあ……じゃあ、いつものようにご案内して?」

「そ、それが、ですね……っ」

「ん?」


 予約なしのお客様など、珍しくもない。

 むしろ、予約客が少ないのが湯築屋だ。神様は気まぐれに宿を訪れて、自分の望みを告げる。それに可能な限り答えていくのが九十九たちの仕事だった。

 女将の登季子がエジプトへ営業出張しているので、そろそろエジプト神話の偉い神様でも連れてくる頃合いかもしれないが……慌てるようなことでもないはずだ。破壊神や邪神の類を接客することも少なくない。暴れるようなお客様はシロが対応することになっている。


「どこの神様? お名前は?」


 お客様は神様だ。

 彼らは必ず、自分の名を名乗る。名は神々を世に存在させる要のようなものだ。

 名を忘れられた神は堕神(おちがみ)となり消滅していく。


「び」


 コマは顔を青くしながら、廊下の向こうへ視線を向けた。玄関の方向だ。


「貧乏神様ですっ。今、追い出……じゃなくて、お帰り頂くためにシロ様がご対応を」


 コマが慌てる理由が、なんとなくわかった。




 玄関へ行くと、攻防は既にはじまっていた。


「だから、宿の敷居を跨がせるわけにはいかぬと言っておる。わかっておろう? 儂は慈善事業で宿を開いておるわけではないのだ」


 玄関先で声を上げていたのは、シロ――湯築屋の経営者であり、結界の主・稲荷神白夜命いなりのかみびゃくやのみことであった。

 藤色の着流しの上に、絹束のような白い長髪が落ちる。毛並みの良い白い尻尾は不機嫌を表現していた。

 その神秘的な琥珀色の視線の先で胡坐をかいて座っているのが、(くだん)の客のようだ。


「堅いこと言っちゃってさぁ? いいじゃん、結界に入れたんだから。オレだって客でしょうよぉ?」


 玄関で胡坐をかき、タバコを吹かすサングラスの青年。

 素肌にボロボロの革ジャンを羽織り、ビリビリに破れたジーンズを穿いている。前髪は似合いもしないピンクのシュシュで纏めているが、清潔感はなくボサボサだ。よくみると、サングラスもセロテープで修理した形跡がある。


 貧乏神とは、読んで字の如く。

 取り憑いた人間や家を貧乏にする神様だ。実にシンプルな厄介者と言える。

 商売である宿屋に上げたくない理由は明解だった。


「ならぬ、通さぬ。儂は宿の経営を巫女に任せているが、外敵を排除する役目はある」

「ちょいと、旦那よぉ? 外敵なんて物騒な言い方やめてくれねぇか? オレが憑いた家は、ちょいとばかし没落しやすくなるってだけの話じゃないかよ。その辺の邪神やら鬼神やらに比べたら、圧倒的に無害ですぜ」

「没落させられては困るから入るなと言うておる!」


 いつも客室で昼ドラ見ながら怠けているシロが、久しぶりに仕事らしきことをしている気がした。

 玄関口の攻防を見ながら、九十九はゆっくりと近づく。


「せっかく入れたんだ。もてなしてくれや? 大して儲かってるわけでもなさそうだし、取り憑いたりしないって約束するからさ」

「大して儲かってなくて悪かったな!」

「はいはい、シロ様。失礼しますね」


 九十九はシロの大きな尻尾を押し退けて前に出る。

 視線を上げると、シロが怪訝そうに九十九を見下ろしていた。九十九はそのままシロの身体をグイと後ろへ押し戻してやる。


「なにやってるんですか、邪魔です」

「じゃ、じゃ……邪魔? 儂のことか!?」

「他に誰がいますか?」


 九十九はニッコリ笑いながら、玄関の方へ向き直る。


「いらっしゃいませ、お客様。店主がわけのわからないことを言って、申し訳ありません」


 綺麗なお辞儀を披露して、九十九はお客様(・・・)にスリッパを差し出した。

 貧乏神は一瞬、驚いたように表情を固まらせる。彼は壊れかけのサングラスをズラすと、漆黒の瞳で九十九を凝視した。


「はあ!? 九十九、なにを言うておる」

「なにって……お客様ですので、接客です」

「客だと? 貧乏神だぞ!」

「貧乏()様です。れっきとした神様であり、お客様ではありませんか。前にも言いましたよね? シロ様の結界は湯築屋の人間と、お客様しか通ることができないって。では、この方はお客様です」

「それは……」


 シロはばつが悪そうに口籠ってしまう。

 恐らく、普段は貧乏神のようなお客様は結界が弾いてしまうのだろう。

 しかし、今の結界は「安定していない」。シロは大丈夫だと説明していたが、昨日会った猫又のおタマ様の話は本当だったようだ。普段は排除できていた類のお客様が来店した。

 それでも、


「わたしはシロ様の結界は信用しています。悪意ある者を通すような結界じゃないでしょう?」

「……当たり前だ」

「では、結界を通ったこの方は、お客様に間違いありません。シロ様も力づくで追い出そうとしなかったのは、そういうことでしょう?」


 シロは気まずそうに九十九と貧乏神から視線を逸らすが、やがて、口を曲げて背を向けてしまった。


「先ほどは失礼した。ゆるりと休まれよ……ただし、此処には商業を司る他の客も居る故、長居はご迷惑となる。宿泊は三日まで。絶対に宿に憑かぬことを条件とする」

「おっ、ありがとさーん。話のわかる仲居チャン(・・・・・)がいてくれて助かったわぁ」


 シロの言葉を受けて、貧乏神がニヘラッと笑う。

 彼は立ち上がって、九十九が差し出したスリッパに足を滑り込ませた。脱いだ革靴は玄関に転がり、靴底が抜けてしまう。


「お客様」


 九十九は一等丁寧な所作で背筋を正し、お辞儀をした。


「改めまして、湯築屋をご案内させて頂きます。若女将(・・・)の湯築九十九です。よろしくおねがいします」

 

 

 

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