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1.いわゆるマスコットですよ

 遅くなって申し訳ありません。第3章の更新をしたいと思います。

 

 

 

 カランコロン。


 広すぎず、狭くはない。

 滑らかな曲線に削られていながら、重厚な色合いの御影石に囲まれた浴槽。四十二度に保たれた源泉かけ流しの湯はトロリと肌に纏わりつくように身体を包み込んでいる。アルカリ性単純泉の湯質は「美肌の湯」として親しまれていた。


「なんもなくてつまらん温泉やけど、タダは正義やけんねぇ。ご先祖様に感謝よ」

「なにもないってことはないでしょ、(みやこ)……建物自体が重要文化財だし」


 楕円の浴槽に浸かっている京に、九十九(つくも)は冷ややかな視線を向けた。京は素知らぬ顔で肩まで湯船に浸かり、嘆息する。


「ブクブクもないし、サウナや水風呂もないやん。歩く浴槽とか、岩盤浴とか、露天風呂とか、滝とか岩とか?」


 道後温泉本館の浴場はいたってシンプルである。

 温泉自体の起源は古代に遡るが、この道後に温泉町が出来たのは江戸時代。更に、道後温泉本館が今の形となったのは明治時代の話だ。当時の市長であった伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が老朽化していた建物を大幅改修し、現在の近代和風建築の外観となった。

 余談だが、結界の内側に存在する湯築屋の外観は、道後温泉本館のデザインをイメージしているようだ。


 道後温泉は飽くまで「大衆浴場」であり、その在り方が歴史を表している。

 京が言うようなスーパー銭湯のような設備は一切なく、シンプルな浴場と建物の見学コースを楽しむ「観光地」なのだ。

 因みに、三階建ての建物に宿泊設備はなく、二階と三階に用意されているのは所謂、休憩所である。追加料金を支払えば誰でも利用でき、お茶や菓子の接待を受けることができる。


「言いたいことはわかるんだけど、本館はそういうところじゃないし。そういうのが良かったら、そらともり行けば?」

「わかってますよぉ?」


 ただの大衆浴場である性質のせいか、地元の若い女性は周辺の温泉施設の方が人気があった。京のお気に入りは久米町の「そらともり」だろうか。道後の湯を引いた露天風呂に加えて岩盤浴が入り放題で、施設内には昼寝スペースが設けられ漫画が読み放題。


 明治の大改修の際、伊佐庭は市民に寄付金を呼びかけたという。

 そのとき、多額の寄付金に応じた市民に対して渡されたのが永代終身優待券である。これを所有していると、何代先であっても無料で道後温泉本館の浴場を利用することができる。

 道後の温泉街で宿を経営していた湯築家も、そのときに寄付を行い、この優待券を所有していた。京も祖父が古い家系なので時々借りて利用している。

 つまり、二人ともご先祖様のおかげで「タダ風呂」しているというわけだ。


 もっとも、道後温泉の湯は現在湧き出ておらず、四ヶ所あるポンプ施設で汲み出している。それを各施設へ配管していた。つまり、湯築屋に引かれている湯は本館と全く同じものだし、九十九はいつでも無料で自分の家のお風呂に入ることができる。


「ゆずの旅館の風呂はどんな感じなん? 湯は道後の引いとるんやろ?」

「うーん。露天風呂と部屋風呂かなぁ。部屋で足湯なんかもできるよ。サウナは普通のとミストサウナがあって、シロさ……いや、オーナーはそろそろ岩盤浴入れたいって言ってるけど、予算ないから却下してる」

「なんそれ。最高やん。なんで流行らんの?」

「その理由を聞かれると答えにくい」


 お客様が基本的に神様だから、とは言えない。

 勿論、神様だろうがお客様からは宿賃を頂いているので旅館を経営していけている。


「今度、泊めてよぉ。お友達割引で!」

「え、やだよ。友達に働いてるとこ見られたくない」


 鬼使いである朝倉小夜子(あさくらさよこ)が旅館に出入りしていることは内緒だ。

 夏に五色浜で起こった鬼の事件を解決したことで蝶姫と一緒に常連となっていたが、そのうち仲居としてアルバイトするようになっていた。鬼使いとしての力は微弱だが、一生懸命な接客はお客様からも評判が良い。


「お湯熱いし、そろそろ出よっか」

「賛成」


 流石に四十二度の湯に長くは浸かっていられない。実のない話もそこそこに切り上げて、九十九と京は浴槽からあがる。

 あがったあとはシャワーで身体をよく流す。シャワーも隣との仕切りがないため、配慮が必要だ。こういった簡素な造りも大衆浴場である道後温泉ならではだろう。


「じゃこ天食べて帰ろうやぁ。今、すっごいキューッとやりたい気分なんよ」

「京……お酒飲めないのに、オジサンみたいなこと言わないの。文句言ってたくせに、しっかり温泉気分じゃないの」

「へへへ」


 脱衣場で服を着て、建物の外へ。

 道後温泉本館は道後のシンボルだ。

 平日だが、温泉のチケット売り場には観光客の列ができており賑わっている。勿論、九十九のように温泉のみを利用する地元の人間も多い。


 本館のすぐ傍には地ビールを楽しめる麦酒館があり、狙ったように近くでじゃこ天の店頭販売もあったりする。女性向けのカフェテラスや、外国人を狙った和風お土産店も本館前の広場には並んでいた。無論、駅から続くアーケードの商店街には多種多様の観光客向けの店が軒を連ねている。


「ゆずの分も買って来るけんね」

「あ、わたしやっぱり太刀魚巻きにしといて」

「おっけー」


 京が笑顔で、じゃこ天の店へ走っていく。

 九十九は学友を見送りながら、広場で座れそうな席を探した。いくつかのパラソルとテーブルが用意されているが、生憎満席。

 仕方なく、広場の隅に設置された石のベンチに座った。


 季節はすっかり秋。

 低い紅葉の枝が鮮やかに染まり、青い空と絶妙なコントラストを描いている。

 陽射しが温かくて気持ちいいが、風が吹くと少し寒い。テイラージャケットのポケットに手を突っ込みながら、冬はもう少しゆっくり来て欲しいと願うのだった。


「やあ、稲荷の妻」


 そう言われて、九十九は辺りを見回した。

 どう考えても自分のことだが、発言者が見当たらなかった。しかし、程なくして足元に視線を落とす。


「ああ、おタマ様。お久しぶりです」

「久しいね。こんなところで湯築の若女将が観光なんて珍しいではないか」


 足元にちょこんと座っていたのは、黒い猫であった。


「友達が急に本館へ行きたいって。ほら、もうすぐ改修工事でしょう?」

「嗚呼、もうそんな時期なのかね? ついこの間、建て替えたばかりだと思っていたが……吾輩も歳をとったものだ」


 おタマ様は古くから道後に住み着く猫又である。

 いつ頃からいるのかは、本人にもよくわからないらしい。普段は日向ぼっこする姿をよく見かけるし、たまに気まぐれで観光客に身体を撫でさせることある。飼い主はいないようだが、近所のお姉さんが毎日エサを与えているようだ。


「で、いつ頃になったら夫婦喧嘩を辞めるのかね?」

「ふ、ふ、ふふううふげんか!? なんて!? してませんけど!? なんで!?」


 ド直球に聞かれて、九十九はなにも口に含んでいないのにむせ返ってしまう。

 黒猫は軽い身のこなしで、ベンチの上に飛び乗った。


「はて。違ったのかね? ここ数か月、稲荷の結界が安定しないようだったからなにかあると思っていたのだが……君の顔を見て、犬も喰わぬような喧嘩をしたのではないかと当たりをつけたわけだ」

「いや、そんな喧嘩ってほどじゃないですって……結界は、――」


 喧嘩はしていない。

 結界が安定していないのは、理由があるから。


 ――神である儂に、人の在り方を求めることは……酷ではないか?


 思い出して、九十九は口を閉ざす。

 きっと、まだシロの神気が本調子ではないからだ。

 結界の外へ出るために神気を使ってしまったから。そして、その原因を作ったのは九十九で……最近、シロと上手く話せなくなってしまったのも九十九のせいだ。

 九十九の様子から察したのか、おタマ様は灰色の目を細めた。まるで、笑っているようだ。


「まあ、他人の夫婦仲を詮索するのも趣味の悪い話であるな。だが、君らが仲良くしてくれないと、こちらも困るのでね」

「はあ……」


 困るとは、どういうことだろう。九十九は首を傾げたが、おタマ様はそれ以上言葉を重ねるつもりはないらしい。


「ゆずー! 買ってきたよー!」


 京が右手にアツアツのじゃこ天、左手に太刀魚巻きを持って走ってくる。

 おタマ様は大きく口を開けて欠伸をひとつ。そのままベンチを降りた。


「吾輩は神ではないからね。土地に干渉し、恵みをもたらす役目は負えない」


 それだけ言って、お尻を向けて歩いて行ってしまう。

 入れ替わるように京が九十九の隣に座り、竹棒に巻きつけられ、タレの照りが美しい太刀魚を手渡してくるのだった。

 

 

 

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