10.突然
九十九の身の回りで起こる出来事ならば、シロはたいてい把握していた。
湯築屋内でのことはもちろん、外の様子も。だいたいは使い魔を用いて観察している。遠くから見守っているが、会話も聞こえていた。無論、九十九が「聞かないでください!」と言っているときは、配慮する。
「お手伝いしましょうか?」
「え?」
この日も、使い魔で九十九の見守りをしていた。雪の宝厳寺での撮影会だ。あーあ、儂も交ざりたい。SNSとやらでは、動物の写真も人気だというのに、何故、モデルにしてくれないのだ。
猫の姿で背伸びしながら、シロはそのようなことを考えていた。と言っても、シロ本人は湯築屋にいて、使い魔は目の役割だ。監視カメラ複数台あり、モニターをのぞくようなものだと、九十九には説明していた。ドラマの刑事物みたいで、かっこいいであろう。
「なにをするおつもりですか?」
天照と九十九が話している。聞くなとは言われていないので、シロは聞き耳を立てていた。
またなにか楽しげなことをするらしい。しかも、シロのためときている。これは期待してしまうではないか。湯築屋にいるシロの尻尾が、無意識のうちに揺れていた。
「――――」
だが、不意に使い魔の視界が遮断されてしまった。九十九たちの声も聞こえない。
シロは不審に思い、意識を集中させた。使い魔に、なにかったのだろうか。
「まあ! それなら、しっかり準備しなくてはなりませんね。なおさら、お手伝いします」
けれども、ほどなくして元通りになった。使い魔を通して、シロに視界も会話も共有される。
肝心な部分は聞き逃したが……。
一瞬、天照がシロの使い魔を顧みた。
彼女の仕業だろうと想像がつく。九十九は気にしていないようだが、わざと会話を聞かせないようにしたのだ。
サプライズというものを演出しているつもりなのか。とにかく、シロには九十九たちがなにをする気なのか、わからないままである。
シロも特に注意を払っていなかった。
それよりも、九十九たちがなにをしてくれるつもりなのか、楽しみのほうが勝っている。九十九たちが帰宅して部屋を貸し切りたいと言っても、シロは二つ返事で好きにさせた。
「なあ、なあ。聞きやがれくださいよー!」
多少は機嫌がいいので、須佐之男命の騒々しい話にもつきあってやろうと思った。九十九たちの準備を待つ間の退屈凌ぎになるだろう。暇つぶしである。
「今度はなんだ。また天照となにかあったのか」
シロが縁側に腰をおろすと、須佐之男命も隣に並んだ。湯築屋の浴衣を着ているせいか、いつもの時代錯誤感が薄い。
「これ、姉上様の〝推し〟ってヤツなんですが」
須佐之男命が出したのは、雑誌であった。くるくるに丸まっており、端がボロボロだ。懐にでも入れて歩いていたのだろう。
表紙のアイドルは、たしかに天照が推している人間だった。これがなんだというのだろう。シロは腕組みしながら、首を傾げた。
「こういう顔が好きなんですかね。俺には、さっぱりよさがわからねぇんですか、ここを……こうしたら……」
須佐之男命は、一人で勝手に話を進めていく。持参していた細いマジックペンで、アイドルの顔に線を入れはじめた。眉を太く雄々しく、首や顎にも整形を施す。
「ほら、俺にそっくり!」
「そこまで改造してしまえば、儂でも似ると思う」
なにを言うのかと思えば、またくだらぬ。
九十九はシロを駄目神様とか呼ぶが、そこらによっぽど駄目なのが転がっている。平均値くらいはとれていると思うのだがな。
「そうですかねー!」
「そうだろうよ。あと、推しの顔に手を加えたと天照に知れれば、発狂されるぞ」
キーキーと喚きながら須佐之男命を叱りつける天照が目に浮かぶ。
だが、おそらくすぐに許すのだろう。雑誌など、もう一冊買えばいいとかなんとか言いながら。
昔から、天照は須佐之男命に弱い。高天原で暴虐を働いても強く出られず、岩戸に引きこもるのを選択してしまった。まったく怒らないわけではないが、最終的に折れるのは、たいてい天照である。
この二柱も、難儀な関係だ。
シロが他人のことなぞ、言えた口ではないのかもしれないが。
「そういや。昨日、若女将様とばったり会いまして。あ、知ってやがりますよね、さすがに?」
把握している。
湯築屋の結界で起こるすべてが、シロには見えていた。夜中に九十九が須佐之男命と話していたのも知っている。特に害とはならないので、わざわざ口出す必要はないと思っていた。
「なんて言えばいいのやら。あの子、こっちの痛い部分に土足で踏み込む、面の厚さがありやがりますよねぇ」
須佐之男命は、胡座をかきながら嘆息した。同意を求められ、シロは反射的に押し黙ってしまう。
「でもって、踏み込まれても痛くないというか、許せちまうから、ちょっと始末が悪いんだわ」
シロはなにも言い返さなかった。
同意も、否定もしない。
だが、心の内では須佐之男命の評価が正しいと感じている。
九十九は誰とでも距離を詰める娘だ。懐に入りこみ、こちらの触れられたくない部分に押し入ってくる。
しかし、傷つけるのではなく、優しくなでていく。
他者の傷を見て、平気でいられる娘ではないのだ。そして、他者の傷に呑まれず、受け止める強さがある。
だから許せるし、心を開いてしまう。
こちらが自らを許せていなくても、心を開いてしまいそうになるから……始末が悪い。須佐之男命の論がシロには理解できて、余計になにも言えなかった。
「お前と一緒にされたくはないがな」
だが、これくらいは言っておきたかった。こんな駄目男神から同類認定されるのは癪である。
シロがぽつんと言うと、須佐之男命が「へへっ」と笑った。
「そうっすかねー?」
「一緒にしてくれるな。さっさと、あっちへ行け」
シッシッと、手で払う動作をするが、須佐之男命は動こうとしない。
「だいたい、お前のと儂のは、性質がまったく――」
言いかけて、シロは妙な感覚に陥った。
「どうしやがったんです?」
シロの異変を察して、須佐之男命が問う。だが、シロは違和感の正体がすぐにはわからず、返事ができなかった。
「なん……」
わからぬ。
湯築屋の結界は、すべてシロが掌握している。天之御中主神ですら、シロが権限を与えなければ開くことはできない。ここではシロが絶対であり、神々が逆らうことなど不可能だ。
だのに、突然それは現れた。




