9.魔性の笑みにご用心
「よし。やりましょうか」
声に出すと、無駄に気合いが入った。
九十九は工作道具の入った箱と、経理用のノートパソコン、プリンターなどなど一式を、客室の一つに運び込む。ほどよい広さで、湯築屋の端にある石鎚の間だ。
もちろん、今回はシロのために作戦を決行している。シロには石鎚の間はのぞき見ないよう、充分に注意しておいた。だいたい九十九が「見るな」と言えば、シロは無理に見ようとしないので、あまり心配はしていないのだけど。
シロと湯築屋の結界は同一の存在だ。湯築屋で起きることは、シロは常に無意識下で把握している。常時、監視カメラがフル稼働して、情報として頭に入っている感覚だと言っていたが……九十九には、よくわかっていない。
シロの「見ない」は、情報を遮断する行為だ。現在、石鎚の間はシロの干渉しない空間となっている。防犯上、よろしくないので、あまり多用したくないと言っていたが、湯築屋にはシロを害そうと考えるお客様は来ない。
覗き見禁止令を出したからには、九十九がなにかしようとしているのは、明白だ。そのうえで、驚かせなければサプライズにならない。
手は抜けないな、と思った。
「では、早速とりかかりましょうか」
張り切る九十九の傍らで、天照も声を弾ませる。まさか、本当に手伝ってくれるとは思っていなかった。
だが、天照は工作道具を持ちながら、得意げだ。
「団扇作りで、工作は心得ております」
「そう、でしたね……」
連泊で引きこもっているように見えるが、ライブへの参戦も多い。歴戦の猛者の風格さえ漂っていた。頼もしすぎる。
九十九たちは、早速作業にとりかかった。
必要なデータをパソコンで出力して、プリントアウト。あとは、天照と二人でひたすら工作で加工していく作業だ。
ホームセンターや百円均一で、素材は買い込んだが、この段階になって、「あれもあったらいいなぁ」、「こういうのも、ほしかったなぁ」と浮かんでくるのが憎らしい。だが、もう今ある素材でがんばるほかなかった。
「ようやく、終わりが見えてきましたわね」
二人で集中したおかげで、二時間と経たずに目途が立ってきた。あとは仕上げに部屋でも飾りたい。
「そうですね」
九十九も、いったん一息つきたかった。集中力が切れてしまったのかもしれない。すぐに、工作道具をにぎる気にならなかった。
「天照様も疲れましたよね。なにか、甘いものでも食べますか?」
ちょうど、真穴みかんがあったのを思い出す。品種としては温州みかんだが、八幡浜市の真穴地区という、特定の土地で獲れたみかんのみを示すブランドだ。真穴地区は、一〇〇年というみかん栽培の歴史を持つ。
甘いのはもちろん、皮が薄くて食べやすいのが特徴だ。太陽の恵みをいっぱい凝縮した、濃厚な甘みを堪能できる。
「わたくしは神ですから、おかまいなく」
疲れていないという意味だろう。しかし、いつもなら「いただきます」と返ってきそうな流れだ。
九十九は若干の引っかかりをおぼえた。
気にするに値しない、些細な違和感だ。
「……なんですか?」
まあ、みかんを取ってきたら、天照だって食べるだろう。そう思って立ちあがろうとする九十九の目の前に、天照が迫っていた。
天照のワンピースの裾が、九十九の顔に触れそうな距離だ。九十九はとっさに、畳に手をついて後退ろうとする。
だが、九十九を追うように、天照が膝を折った。
太陽の色を宿した瞳と、視線が交わる。
「お手伝いしますと、申したでしょう?」
「え?」
今、いろいろ手伝ってもらっている最中――そんな話をしているのではない。
目の前で不敵な笑みを浮かべる天照。
「シロ様――」
急に、背筋に寒気が走って、九十九は本能的にシロの名前を呼んでいた。けれども、直後に、石鎚の間がシロの目から遮断されていることを思い出す。
とにかく、距離をとらなきゃ。うしろへさがろうと、九十九は腰をあげる。
だが、その視界が徐々にぼやけてきた。靄のような霧がかかり、はっきりとしない。
「わたくしに、輝きを見せてくださいませ」
天照は九十九の顔に両手を添える。その途端に、身体から力が抜けていった。
あ、駄目……。
身体をうしろに傾けながら、九十九は手を伸ばす。
だが、その手をつかんだのは、助けではなく。
妖艶な魔性を浮かべた、天照の腕で、九十九は意識を手放した。




