表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お客様が「神様」でして ~道後の若女将は女子高生!~(web版)  作者: 田井ノエル
二十三.天岩戸に連れ去られました!?
242/288

7.ギャラリー

 

 

 

 なんとなく、予想はしてたけどさぁ……。

 九十九の息は重かった。

 燈火と天照に、穴場の映えスポットはないかと迫られ、あれこれ考えた。だいたい道後温泉界隈は、一日、二日あればめぼしい観光スポットは網羅できる。

 燈火はともかく、湯築屋に長期連泊するのが常の天照は、道後を知り尽くしていると言っても過言ではない。そもそも、燈火だって道後を歩きはじめたのは最近だが、「映え」についての感度は九十九よりも高い。

 そんな燈火や天照が満足しそうな場所……プレッシャーを感じながら、九十九はいくつか候補を出した。

 そして、採用されたのが宝厳寺ほうごんじである。

 道後温泉本館から、さほど離れていない。だが、アーケード街などと比べると、人通りはグンッと減ってしまう。

 上人しょうにん坂をのぼったところにある寺だ。時宗じしゅうの開祖、一遍いっぺん上人生誕の地とされている。

 時宗とは、鎌倉時代末期に興った浄土教の一派だ。平安時代までの仏教は、貴族のものだった。しかし、社会が一気に貴族から武士の時代へと移る。仏教も当然、武士や民衆へと伝わっていった。その過程で、より広く受け入れられやすい形へと信仰が変化したのである。

 念仏によって救われるという時宗はわかりやすく、一遍上人の遊行ゆぎょうの甲斐あり、人々の間へと広まった。とくに、かねや太鼓を鳴らしながら念仏を唱える「踊り念仏」は有名だ。見世物としての側面も強く、当時は保守派の人々から批判も受けている。

 踊り念仏は形を変え、盆踊りの起源となったとも言われていた。


「やっぱり、九十九さん綺麗……」


 パシャリと、シャッターを切る音。一眼レフのレンズから、燈火が顔をあげた。ふわふわのポンチョをまとった天照も、満足げに九十九を見ている。


「なんで、被写体がわたしなの!」


 九十九は声を大にした。

 落ちついた深紅の着物に、蒼い和傘。白いウールのコートを羽織り、足元はブーツにしているおかげで、寒さはそこまで堪えない。ただ、湯築屋の中と違って、吐息は白かった。

 辺りには、薄らと雪が積もっている。

 温暖で降水雨量が少ない瀬戸内海式気候の松山には、あまり雪が降らない。そのせいで、燈火と天照のテンションがあがってしまったのだろう。九十九に被写体になれと迫ったのである。

 湯築屋での雪は見慣れているが、松山にとっては貴重な積雪だ。松山では、雪になるとはしゃぐ人もいる。単に通勤難易度があがるだけなので、嫌がる人も多いのだけど。


「だって、わたくしたちは忙しいですから」


 燈火と一緒に、天照がにっこりとカメラを持ちあげた。燈火の勧めで新調したらしい。アルバイトでお小遣いを稼ぐ燈火よりも、何倍もいいカメラだと話していた。さすがは、やり手の神様。


「うう……おかしい」


 被写体にされて、九十九は白い息を吐く。

 しかしながら、景色は最高であった。

 宝厳寺は斉明天皇の勅願によって、飛鳥時代に創建された寺だ。宗派は時代によって変わり、現在は一遍上人が興した時宗となっている。

 だが、平成に入って火災で本堂と裏庫が全焼してしまった。所蔵されていた重要文化財も焼失し、大損害を被っている。現在建っている本堂と、一遍上人堂は再建されたものだ。故に、歴史の長さの反面、全体的に新しい雰囲気が漂っている。

 一方の山門は火災を免れており、愛媛県指定史跡となっていた。大きな銀杏の木も圧巻で、秋になると美しい黄色が山門を彩る。

 ここから見る夕陽が美しいのだ聞いて、九十九は候補に選んだのだ。情報元は、仲居頭の河東碧である。やはり、年長者にお勧めは間違いがない。

 宝厳寺へ続く上人坂は、閑静な雰囲気の住宅が並んでいる。が、以前は歓楽街であった。夏目漱石の『坊つちやん』でも言及され、正岡子規も俳句に詠んでいる。二〇〇七年まで、朝日楼という遊郭の建物が残っていた。

 九十九は雪化粧をした山門から坂を見おろす。

 この景色は、時代を経て何度も様相を変えているのだろう。けれども、ずっと存在し続けている。常に在り方を変えていない湯築屋とは違う。


「こら」


 不意に、本堂から声が聞こえた。

 ふり返ると、見覚えのある姿が、こちらへ歩み寄っている。


「ああ、一遍上人」


 九十九も何度か会っているので、すぐにわかった。というより、だいぶ特徴的な服装なので、間違えようがない。

 一言で表すと……ファンキー? ロック?

 雪の白さを跳ね返す黒い革のジャケット。袖口からのぞく手は痩せ細っているが、ごつごつしたシルバーのアクセサリーのせいか、見窄らしさはない。大きなレンズのはまった真っ黒いサングラスによって、表情は隠れてしまっているが、好意的な雰囲気だけは伝わってきた。

 一遍上人は、斜めに被ったキャップを軽くとりながら、手をふる。ニヤリと唇の片方をつりあげて笑う仕草は様になっていて、かっこよさが漂っていた。


「駄目、駄目。全然なっとらんわ!」


 けれども、フレンドリーな態度と、言っている内容が逆であった。九十九だけでなく、燈火も、キョトンとしている。

 天照だけが、優雅に笑っていた。


「あら、わたくしですか?」


 天照が答えると、一遍上人は「そうそう」と、うなずいた。


「ここはな……この角度がええんじゃ」


 一遍上人は親しげに笑いながら、天照の一眼レフを奪う。かなりお高いらしいので、丁重に扱ってくださいと言いかけたが、当の天照が気にしない素振りであった。

 一遍上人がカメラの位置を示し、天照と燈火が液晶画面をのぞき込む。


「な、なるほど……エモい」


 燈火が感嘆の声を漏らしていた。


「ど、どうなってるんです?」


 九十九もカメラの画面が気になって問う。だが、一遍上人から「アンタはポーズとって!」と、怒鳴られてしまった。九十九は苦笑いしながら、和傘を差して背筋を伸ばす。


「もうええぞ。おいで、おいで」


 やがて、一遍上人の許可が出たので、九十九は山門から離れた。


「なるほど……」


 撮影した写真を見て、九十九は燈火と同じ反応をしてしまった。

 雪化粧した山門は、それだけで美しい。

 だが、撮影の角度を変えることによって、印象が様変わりしていたのだ。

 山門そのものではなく、山門の向こうに見える景色を写す。山門が、言わば額縁のように表現された構図であった。さながら絵画で、燈火の言葉を借りるなら、「エモい」。


「ほーら、これが最近流行りなんじゃ。ええ景色じゃろ?」


 一遍上人が示すとおりだった。

 上人坂の先に建つ寺という立地もいい。視線をさげることで、周囲の建物が構図に写り込まなくなる。そのせいか、山門の向こう側が直接、空へと通じているかのように切り取られるのだ。

 日本的な景色を写しながら、非日常の空間を演出できる。

 実物と写真は、印象が乖離している場合が多い。だが、これは写真であることを、存分に利用していると感じられた。

 必ずしも、実物に触れればいいというものではない。視点を変えられた気がして、九十九は思わずうなる。


「で、九十九さん」

「なに?」


 燈火に小声で耳打ちされる。


「このおじいちゃん、誰?」


 さっき、名前を呼んだ気がするのだけど……九十九は苦笑いしながら説明した。


「ボ、ボク、日本史が苦手で……ごめんなさい」


 日本史で受験勉強をしていれば、おそらく暗記した名前だ。しかし、受験勉強をしていたのは一年近く前の話。歴史学科の専攻でもない限りは、苦手科目なんて忘れているかもしれない。


「いいんじゃねぇかな。盆踊りのじいさんとでも呼んどくれよ」


 当然のように、九十九と燈火のやりとりは本人にも聞こえていた。だが、一遍上人は、まったく気にしない様子だ。そもそも、彼が盆踊りをはじめたわけではないので、その雑すぎる呼称もどうかと思う。


「わ、わかりましたッ!」


 けれども、燈火には響いたようだ。「盆踊りのおじいさん、優しい」と、安心した表情を浮かべていた。


「わしは、そんなに有り難がられるのも苦手じゃから」


 一遍上人は、民の間に仏教を広めるため、全国遊行していた。そして、誰でも極楽浄土へ行けるようにと、念仏を唱えれば救われるという教えを説いたのだ。踊り念仏も、広く伝わりやすいようにと工夫された手段である。

 そんな一遍上人にとっては、形式張った礼儀は無意味なのかもしれない。九十九が小さいころから、気さくに接してくれた。


「ここの景色も、じゃんじゃん拡散してくれのう。昔のギラギラ感はないが、捨てたもんじゃない」


 一遍上人は、山門の下に立ちながら上人坂を見おろした。サングラスを外し、しわの刻まれた目元を細める。


「わしは、どっちも好きじゃ」


 かつては道後にあった遊郭も、ネオン街も、すでに存在しない。住宅や駐車場が並び、面影は感じられなかった。


「今は……なにが、あるんです?」


 素朴な疑問を口にしたのは、燈火だった。怒られるのではないかとビクビクしていたが、一遍上人は気さくに答える。


「ほれ。あそこに基地があるじゃろ」


 基地、と言われたのは、山門のすぐ下にある円形の建物だった。三角屋根を、やわらかい木目の柱が支えている。


「ひみつジャナイ基地ですか」


 道後温泉と現代アートのコラボプロジェクトの一貫で作られた施設だ。オープンスペースの交流拠点となっており、様々なイベントや講演会、ギャラリーに使用できる。ワークショップなど体験型イベントも、よく開催されていた。


「坂の下でやった、ギャラリーは覚えとるか?」


 問われて、九十九はうなずいた。

 期間限定で二年間開催されていたギャラリーイベントだ。商店の倉庫を丸々一つ貸し切って、障がい者施設の利用者が制作したアートを展示していた。ほかにも、商店街のシャッターや、窓などを使用して、様々な方法で街中を美術館のようにしていたのである。

 九十九も覚えていた。倉庫に飾られた絵画や工作は、どれも様々な視点を持っており、興味深かった思い出だ。同じものを描いていても、人によって見え方や塗り方が異なるものだと、感心させられた。

 一人のアーティストによらない多彩な視点。多様性に富んだ発想の集まり。見る人々の楽しむ姿。

 ギャラリー……か。

 九十九は、思い出しながら考え込んでしまう。


「あ」


 そうだ。

 弾けるように、九十九の頭にイメージが浮かんだ。


「いろんな盛りあげ方がある。今度はアートが身近になれば、ええのう」


 隣で、そう語る一遍上人は嬉しげだった。

 九十九は、逸れていた思考を一遍上人に戻す。

 一遍上人の踊り念仏は、当時としては型破りで、保守派からも批判されている。けれども、一部の人間だけのものであった仏教を、広く民に知らしめた。形は整っていなかったのかもしれないが、そこは彼にとって大事ではないのだ。

 高尚なものとして崇めず、身近な存在であってほしい。それは、彼が生きている間からのねがいなのだろう。


「やはり、人の考えは興味深いですわね。これも、一瞬の輝きに必要なエッセンスでしょうか」


 天照がクスリと笑う。

 今、一遍上人は天照たちと同じ神の立場だ。

 いや、厳密には違う。一遍上人は仏に当たる。

 信仰を集めて神と成った存在と、信仰の果てに仏へ至った存在。こうして、九十九の前で話す彼らは似たような存在だが、厳密には神と仏は区別される。鬼が神気と瘴気を併せ持つのに、神ではないのと理屈は似ているかもしれない。

 その成り立ちの違いから、考え方には差があるのだろう。天照は、それを興味深いと評価している。


「あ、空……」


 ふと、燈火が声をあげる。

 松山の空からは雪がふっていた。しかし、西の空に切れ目ができ、オレンジ色の太陽が薄らと姿を現していたのだ。

 燈火がカメラを構えるのを察して、一遍上人がスッと山門の柱に隠れる。九十九もさがろうとしたが、「若女将はそのまま傘を差してくださいな」と、天照からの指示が飛んできた。はい、すみません。わたしモデルでしたね。

 燈火たちが満足いくまで撮影したあとで、九十九はじっくりと山門から夕陽をながめる。

 スマホを取り出し、さきほど、一遍上人から教えてもらった角度で写真を撮った。四角い山門に、夕陽が切り取られているかのような構図が美しい。雪の白とのコントラストも絶妙であった。

 同じ夕陽なのに、場所や角度が少し変わるだけで、こんなにも違った印象になる。昨日見た幼いころの夢だって、そうだ。夢とはいえ、背丈が違うと、湯築屋やシロが別物に感じられていた。


 シロ様にも、あとで写真見せてあげよう――。

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ