1.飛鳥乃湯泉
今回更新分は、加筆・改稿を加えて5月12日発売の「道後温泉 湯築屋9 神様のお宿は輝きに満ちています」(双葉文庫)に入っています。
本編のほかに、書き下ろし短編2本が収録されています。
朱塗りの建物が、闇に浮かびあがっている。
道後温泉街、ハイカラ通りと呼ばれるアーケード街を進むと、道後温泉本館が鎮座している。歴史と伝統のある、古来からの大衆浴場だ。
しかし、アーケード街の反対側。椿の湯を、さらに奥へ進んでいくと、新しい建物を見ることができる。道後温泉別館として、二〇一七年にオープンした新湯、飛鳥乃湯泉だ。
飛鳥時代の建築様式と、現代アートが融合した美しい佇まい。伝統と新しさの調和という、道後温泉らしさを体現した湯屋である。明治の大改修以降、道後温泉のシンボルとなってきた本館とは別の趣きを持った新スポットだった。
夜間はライトアップされ、鮮やかな朱が黒に映える。
「改めて、みんなで行くのは初めてかな?」
湯築九十九は、歩きながらふり返る。藍染めの浴衣と、羽織がひらりと揺れた。手にした湯籠から、鈴の音が転がる。
湯築屋で貸し出している浴衣と湯籠の基本セットを身につけていた。若女将である九十九は、なかなか着ることはない。お客様の気分になれて、とても新鮮だった。
「前に……九十九さんと、来たっきりかな……」
九十九のうしろで、もじもじとつぶやいたのは、種田燈火だ。大学の友達で、今日は湯築屋のお客様となっている。湯籠には、入浴セット一式のほかに、一眼レフのカメラが入っていた。
「たしかに。こんな人数で来るのは初めてやわい」
屈託ない笑みで、麻生京が答えてくれる。朝倉小夜子、刑部将崇も楽しそうな表情を浮かべていた。高校の同級生であり、今も関係の続く九十九の友人だ。小夜子と将崇は、湯築屋でアルバイトをしている。
京と九十九は、ずっと幼馴染みだった。けれども、京に湯築屋のことを話したのは、つい最近である。
道後温泉街にありながら、普通の人間は訪れない宿。結果に守られ、神様や妖だけが敷居を潜れる。只人である京には、理解しがたい世界だろう。
でも……九十九は話したかった。友達なのに、京だけなにも知らないままなのは、よくない。九十九の気持ちの問題だった。
最初こそ、京は驚いていたけれど、最終的には九十九の話を受け入れてくれたのだ。
今日は、京を初めて湯築屋に招待した。
せっかくなので、高校の同級生である小夜子と将崇も。そして、大学で仲よくしている燈火も加えた五人だ。
九十九が湯築屋に招待して、クリスマス会をしていた。
最初は、みんなをおもてなしするつもりだったけれど……将崇が「従業員の俺や朝倉が客なのに、なんでお前もこっちじゃないんだ!」と、言い張って聞かなかったのだ。小夜子も賛同し、九十九もお客の側に回らされたという経緯がある。
と言っても、一部屋貸し切って、みんなで遊んでいるだけだ。昼間は、みんなで湯築屋を見学して回ったり、カードゲームをしたりしていた。修学旅行のお泊まりのような雰囲気だ。
そうやって楽しんでいるうちに、お客様用の浴衣を着て遊び、「夜遊びしよう!」と、テンションのまま夜の道後に繰り出した。
新湯として建設された飛鳥乃湯泉は、夜も美しい。中庭に流れる湯の川からは湯気があがっており、燈火が一眼レフカメラを構えている。
「すご、あれがローアングラーか」
姿勢を低くして撮影する燈火を、京が興味深そうにながめている。たぶん、ローアングラーの使い方が微妙に違うが、ニュアンスは伝わってきた。
「あ、ごめん……つい……」
燈火は、はっとしたように、ピシッと立ちあがる。「映えそう」なものを見ると、つい撮影をしたくなってしまうらしい。
「誰も怒ってないから、大丈夫だよ。私、燈火ちゃんの撮った写真、好き」
小夜子は眼鏡の下に笑みを作りながら、燈火のカメラをのぞき見た。デジタル液晶には、今撮った写真が表示されている。
湯の川からあがる湯気をバックに、朱塗りの建物が浮かんでいるような構図だ。真っ白な白鷺が、湯気から飛び立とうとしているみたいだった。昼間は湯気が写らないので、夜しか撮影できない構図だろう。
「わあ、すごい」
「ほんと」
口々に褒めると、燈火が照れくさそうにしていた。SNSでたくさんのいいねをもらっていても、目の前で褒められるのは慣れていないのだ。居心地悪そうに、頬を赤く染めていた。
「あれ、将崇君」
視線を外すと、将崇が一人で柄杓を持っていた。
湯玉石だ。道後温泉のシンボルとして使われている湯玉に形が似ていることから、湯玉石と呼ばれている。この石に、柄杓で湯をかけて、湯真珠にねがいを込めるとよい。将崇の手には、木綿のハンカチに包まれた真珠がにぎられていた。
「あー! 刑部ずるいー! なんで、一人だけ湯真珠買っとんよー!」
湯真珠は、道後温泉観光会館で購入できる。事前に、買っていたのだろう。いつの間に。京に指摘されて、将崇は顔を真っ赤にしながら弁明する。
「こ、これは……そういうんじゃないんだぞ! 弟子が興味あるって言うから、仕方なく、その……」
将崇は人間として暮らしているが、化け狸だ。将来、人間と妖が入れる飲食店を作りたいという目標のため、調理師の専門学校に通いながら湯築屋で修業している。
そして、湯築屋の従業員、コマの師匠でもあった。子狐だが、変化が苦手なコマにとって、将崇は憧れなのだ。おそらく、将崇はコマのために湯真玉をプレゼントしたいのだろう。
真珠は古来から、人と神を繋ぐ存在として崇められた宝珠でもある。その真珠を、道後の湯に浸し、お守りとして持ち歩けば、ねがいが叶う。
新しい習慣の縁起物だ。
「ふうん……ねえねえ、ゆづ。こういうのって、御利益あるもんなん?」
京の疑問は素朴だが、もっともらしい。
湯真玉の習慣は新しいし、あくまで人間が設定した観光目的のお守りだ。本当に御利益があるという証明はない。
人は古来より、神の存在を信じて祈ってきた。荒ぶる気象や、説明のつかない事象を、すべて神や妖の力であると、結びつけていたのだ。
しかし、科学によって様々なことが解明されるに従って、信仰は薄れてきた。名を忘れられた神は、堕神となり、消滅していく。近年、堕神の数が増加していると、嘆くお客様が後を絶たない。九十九も、そんな堕神と接する機会があった。
神の力は絶大だ。九十九からすれば、物理法則など無視してなんでもありの反則的な存在である。しかし、神が神たるためには、人々の信仰が不可欠なのだ。信仰を失えば力が弱まり、名を忘れられれば存在も消える。
「人間が信じる心が神様を強くするし、神様を生むんだよ。だから、新しい信仰の形は神様たちも大歓迎。って、天照様が言ってたよ」
その天照が「推しの色ですわ!」と、湯真珠の巾着を大事そうに頬ずりしていたのを、思い出しながら。
「大事なのは信仰の形や風習じゃなくて、人の心だから」
昔から守られてきた伝統の神事も、カジュアルに買える美しいお守りも、神にとっては力だ。そこに信仰の心が残っているなら、形がどれだけ変わってもいい。
と言っても、これは天照やシロの考え方だ。他の神は、もっと別の意見を持っているかもしれない。湯築屋に訪れるお客様だけでも、感じ方は千差万別だろう。
「なるほど。神様って、もっと気難しくて偉ぶっとんやと思ってた」
「気難しいというか、よくわからない方もいらっしゃるかな。でも、湯築屋に来るような神様は、だいたい人間が好きだよ」
京は初めて湯築屋に来たせいか、初めて接する神様たちに興味津々であった。その在り方や、人間との距離感、考え方はたしかに特殊に映っていることだろう。
幼いころから湯築屋で、神々と関わっている九十九でさえ、ときどきわからなくなる。そのたびに、新しい気づきを得るのだ。
将崇はハンカチに包んだ湯真珠を、湯の川に浸して拝んでいる。そして、真珠だけを専用の巾着袋に入れ、満足そうに口を結んだ。
「なにおねがいしたの?」
何気なく聞くと、将崇は視線をそらしながら答える。
「あいつが……弟子がしっかり成長しますように、って」
真珠にコマの成長をねがう将崇の顔は恥ずかしそうだが、凜々しくも感じた。化け狸なので、見た目の年齢や背丈は自由に変えられる。しかし、九十九には、将崇が出会ったときよりも成長しているように感じられた。




