8.ノリと勢い!
湯築屋の空には雪が舞う。
雲も風もないけれど、幻の雪には関係ない。冷たさを感じなければ、触れても溶けない。ふりすぎて入り口が塞がれることもなかった。実に都合がいい。
「若女将っ。お蜜柑です!」
そう言って、コマが橙に色づいた蜜柑を渡してくれる。
クリスマスのシーズン、湯築屋では毎年、蜜柑の皮を乾燥させて作ったオーナメントのツリーを飾っていた。
見栄えがいいので、周りに雪だるまをたくさん作っているところだ。すでに小さいものから、大きいものまで、いろんな形の雪だるまがあった。
雪が冷たくないので、素手で作っても寒くならない。これが本物なら、しもやけができているだろう。
「お蜜柑?」
「のせると、可愛いと思いまして」
コマは近くにあったバケツを引っくり返して、そのうえにピョンッと飛びのった。そして、雪だるまに蜜柑を飾る。
「鏡餅みたいで、可愛いね」
白い雪の玉が二つ重なるうえに、蜜柑。クリスマスというより、お正月のフォルムだった。
「んー……たしかに、そうですね……」
コマはしょぼんと尻尾をさげた。
「大丈夫だよ」
九十九は手早く、雪だるまの頭に雪を盛る。崩れないよう、ぎゅっぎゅっと固めて形を作った。さらに、木の枝を使って雪だるまに顔を作っていく。
「わあ……!」
コマがピョンピョンッとその場で跳ね回る。
「耳に、お髭。あと、尻尾……ほら。狐の雪だるまだよ」
こうすれば、鏡餅には見えないだろう。即興で思いついた工夫だが、コマは気に入ってくれたみたいだ。尻尾と一緒に、お尻まで揺れている。
「楽しいそうだな」
コマとの雪だるま作りを楽しんでいると、玄関からシロが顔を出す。
「白夜命様も、作りますか?」
小さな雪だるまを並べながら、コマがシロに手招きする。
「それはよいが、コマ。八雲が探しておったぞ。心当たりがあるのではないか?」
「え!」
シロに聞かれて、コマはピンッと耳を立てて考える。やがて、「あー! 忘れてましたっ!」と叫びながら、玄関へと入っていった。
「もう、コマったら」
騒がしく戻っていくコマに、九十九は微笑ましさをおぼえる。
やがて、コマの代わりにシロが、九十九の隣にやってきた。
「シロ様も作りますか?」
「うむ」
どうやら、雪だるまを手伝ってくれるようだ。冷たくない雪を一緒に集めて、大きな玉へと育てていく。
「うんと大きいのを作るぞ」
「はいはい。そうしましょう」
存外、シロは張り切っている。コマと同じように、尻尾を左右に揺らしていた。ペタペタと、表面を叩いて雪を固めていく。
楽しそうなシロの横顔に、神使だったころの面影が重なる。
神様になった今でも、ずっとシロの本質は変わっていないのだと思う。
だからこそ、九十九の提案になかなか答えが出せない。
そこも理解できるからこそ、九十九は「答え」を聞きにくかった。また天之御中主神から、笑われてしまいそうだ。
シロも、あえて触れたくないので話題にのぼらないよう、避けていると思う。
――あれを神の座から、降ろす力にもなるのではないかの?
天之御中主神は、どういうつもりであんなことを言ったのだろう。
夢の中では怒ったけれど、今度対面したら真意を聞いてみたい。
シロ様が、神様じゃなくなると……どうなっちゃうのかな。
「九十九、見るがよい。この曲線美」
「まんまるですね」
シロは誇らしげに雪玉を持ちあげる。だが、固め方が足りなかったのか、すぐに雪玉はボロッと崩れてしまった。
「ぐぬ……」
「本気で落ち込まないでくださいよ」
しょぼんと尻尾がさがる様は、さっきのコマとよく似ている。九十九は機嫌をなおしていただこうと、シロの頭をなでてあげた。
こうやって、日々を過ごしているだけで充分なのかもしれない。
でも、九十九はいずれいなくなる。
シロ様に、なにか残したい――そういう焦りがあると、自分でもわかっていた。
思念となって、巫女の夢に住む月子のように。九十九も、シロのためになにか残せるようになりたいのだ。
「九十九になでられるのは、悪くないな」
シロは不意に、身を屈ませた。
「…………!」
いきなり顔が近づいてきて、九十九はドキリと身を強ばらせる。
シロは九十九の頭に手を回した。そして、首筋に顔を寄せた。
すりすりと、頬ずりされるとくすぐったい。
「甘えてるんですか?」
恥ずかしくて、どきどきする。でも、それ以上にシロが甘えているのだと気づくと、ちょっと突き放しにくい。
九十九はシロの白い髪に指を通す。
サラサラとしているが、つやつやとした触り心地が気持ちいい。滑らかで、本当に絹糸の束に触れているようだ。
中性的で神秘的な美しさなのに、肩幅や腕のたくましさは安心感がある。背中に手を回すと、改めてシロの身体の大きさを確認できた。
「正直なところ、九十九の言うとおりだと思っている」
ぽつんと、シロは九十九の耳元で囁いた。
天之御中主神と対話したほうがいい。このまま逃げていれば、ずっと遺恨を残したままになる――シロだって、ちゃんとわかってくれていた。
シロの腕が、九十九を強く抱きしめる。
しかし、これは愛しいツマを抱きしめているのではない。
苦しくて、苦しくて、しがみついている。わずかに震えるシロの腕から、九十九はそんな想い感じとった。
九十九は同じ強さを返そうと、シロをぎゅっと抱きしめる。すると、シロの震えも少しだけおさまった気がした。
「大丈夫ですよ。待ちますから」
言い聞かせるように、九十九はシロの肩に顔をつける。
「九十九には、待たせてばかりだ」
「そうですよ。だから、今更じゃないですか。慣れてしまいましたよ」
シロが過去を話すまで、九十九はずいぶんと待った。
今度もまた、待たなければならない。
「でも、シロ様は話してくれました。だから、今度もちゃんと答えをくださると信じています」
受け入れるにしても、受け入れないにしても、どちらにしてもシロはきちんと答えをくれる。
九十九はシロを信じたかった。
「生きている間には決めてください」
「そう長くは待たせたくない」
シロはいったん、九十九から身を剥がす。
体温が離れると、一時的に寒く感じる。
「口づけしてもよいか?」
顔を正面からのぞき込まれながら、許可を求められた。勝手にキスするのは、九十九を尊重しない行為だとわかっているのだと思う。
九十九は顔が熱くなっていくのを自覚しながら、ゆっくりと一度うなずいた。
シロの顔が徐々に近づいてくる。顎に手を添えられて、逃げたくても逃げ場がなくなった。許可してしまったからには、いつものようにアッパーをかますこともできない。
琥珀色の瞳に、九十九だけが映っている。
ギュッと目を閉じた瞬間、唇にやわらかい。すぐには離れず、そのまま熱は留まり続ける。
たぶん、数秒のできごとだ。
それなのに、何時間もそうしていたような気がしてくる。
「…………」
ようやくシロが離れたので、九十九は顔を両手で覆う。きっと、真っ赤なので、あまり見られたくない。
「九十九、愛している」
追い打ちをかけるように囁かれた言葉に、心臓がフル稼働していた。このまま破裂して死んでしまわないか心配になる。
「わ、わたしも……はい……ありがとうございます」
同じ言葉を返すべきなのはわかっているが、なかなか素直に口が動いてくれなかった。その様を楽しむように、シロは九十九の手首をつかんだ。
そっと顔を暴かれる。
「愛しているぞ」
もう一度、くり返される。
九十九にも、返事を求めているのだ。つかまえたままの右手が、顔へと戻りたがっている。
「あ……あい……あい……」
最初にすんなりと返事をしていたほうが、言いやすかったかもしれない。こういうのは勢いがあったほうが案外言える。九十九は完全に、勢いを見失っていた。
つかまれていない左手で必死に顔を隠すが、半分は見えてしまう。シロの顔が意地悪にニマニマしてきたのが腹立たしい。
「あいし……て……」
「若女将っ、白夜命様っ! お待たせしました!」
ぴょこんっと、玄関から飛び出した声に、九十九はびっくりしてしまう。コマが八雲の用事を終えて戻ってきたと理解するときには、身体が動いていた。
勢いをつけてッ!
シロの右手を、払いのけるッッ!
「愛していますッッッ!!」
バコーンッと、勢いよく右手が炸裂した。
とても大きな声まで出た。
完璧すぎる裏拳に、心も身体もすっきり気持ちがよくなってくる。
「は、激しすぎるッ! 九十九ぉ! それは激しすぎるのではないか!?」
「言い方! シロ様、すみません! でも、言い方! あああああ、ごめんなさい。ごめんなさい! もう殴らないつもりだったのに! 勢いをつけすぎました!」
「何故、身体の勢いをつけてしまったのだ!?」
「癖ですかね!」
「理解してしまった……」
半ば事故のような裏拳を決めてしまい、九十九は狼狽する。
シロは顔を押さえながら、「いやしかし、これはこれでいつもの九十九だな……」などと、言っていた。
「お邪魔してしまいましたっ!」
不意に妙な場面を目撃してしまったコマは、小さな手で顔を押さえた。はわはわと慌てた様子で、再び玄関へと戻っていく。
「ああっ、コマ。待って。待って! 置いていかないで!」
このままシロといるのは気まずすぎるので、九十九も急いでコマを追いかけるのだった。
8巻相当の更新分は今回で終わりです。
次回の更新は、2月か3月頃からを予定しています。




