6.お客様が神様なんだよね。
ガタンッ、ゴトンッ。
マッチ箱のような路面電車が揺れた。
車窓をゆっくりと流れていく松山の街に、夕陽が射している。光が当たってまばゆい面がある反面、できた影が濃く感じた。そのコントラストをながめていると、なんだか物寂しい気持ちになる。
「トマトっぽくない?」
「へ?」
隣に座った京の言葉に、九十九は両目を瞬かせた。
「今日の夕陽よ。でっかいトマトやろ」
光の当たる景色を見ていた九十九とは対照的に、京は夕陽そのものを指していた。
「京らしいね」
大きなトマトと評された夕陽を確認して、九十九はクスリと笑った。
今日は講義の終わりが同じだったので、一緒に帰っている。京もアルバイトがあるので、こうやって電車にのるのは久しぶりだ。
あのあと、九十九は一頻り泣く燈火に付き添っていた。講義後に、京から「うちら三人とも、前の黒板に俳句書かれたんよ。しょうがないけん、お腹痛くてトイレ言ってますって言い訳しといたげたわ」と聞かされている。申し訳ないことをした。
燈火はすっきりしたのか、吹っ切れたのか、講義が終わった頃合いにアルバイトへ行ってしまった。化粧が全部落ちたので恥ずかしいと言っていたが、その表情はどこか清々しいものだった。
今後、浜中との関係はどうなるのだろう。
九十九は心配だったが、燈火から「なにかあったら、相談しても……いい?」と言ってもらえた。なにか力になれるなら、喜んで協力したい。
それに、燈火はちゃんと自分の意見が言えた。浜中から嫌がらせを受けても、きっと相談してくれると信じている。
九十九にできることは、あまりないけれど……それでも、友達だから。
路面電車が大きなカーブを描いて曲がる。
道後公園駅を通りすぎて、終点の道後温泉駅へと向かっていく。
「ねえ、京」
「なん?」
駅で降りる準備をしながら、九十九は京の名を呼んだ。
「話……あるんだけど、ちょっと歩かない?」
今日の燈火たちを見て、考えていたことがある。
九十九はこのままにはしておけないと思った。
「ええけど」
京は気軽に返事をしてくれた。鞄から定期券を取り出し、電車が停車すると同時に立ちあがる。
道後温泉駅は、路面電車の終着駅だ。乗客はみんな、ここで降りる。九十九たちも、流れにのるように降車した。
駅に着き、九十九はとぼとぼと歩き出す。
京も黙ってついてきてくれた。
道後公園へ、北口から入っていく。先日、ミイさんが暴れて壊れた池や、倒れた木々は元通りだ。以前となんら変わりない、静かな雰囲気だった。
木々には果実袋がたくさんついている。ひかりの実イルミネーションが、もうすぐ点灯する時間だった。トマトみたいな夕陽は、家々が並ぶ街の向こう側へと沈んでいく。
「実はね。うちの旅館、神様がお客様なんだよね」
九十九は、なんでもない日常のように語りかけた。そのせいで、京はなにを言われたのか理解できていないみたいだ。怪訝そうに首を傾げている。
「お客様は神様ですってヤツ? うちのバイト先にも、更衣室に貼っとるんよね」
真面目に一般論で返される。たぶん、ボケではない。
「そうじゃなくて、本物の」
「本物の?」
「うん」
「神様って、天の神様? お釈迦様とか?」
「お釈迦様は仏様だけど……でも、いらっしゃるよ」
九十九は会ったことがないが、湯築屋の宿泊名簿で見た。
「冗談きっつ」
「本気だよ?」
「嘘やん」
「ほんと」
にこっと笑うと、京の顔がどんどん神妙になっていく。思っていたよりも、反応がおかしくて噴き出しそうだった。
「ずっと、黙っててごめん。それから、ありがとう」
やっぱり、京に隠したままにしておきたくなかった。京は燈火や小夜子と違って、妖が見えたり、神気が使えたりするわけではない。
でも、九十九の大事な友達には変わりなかった。
信じてもらえないかもしれない。ううん、信じようがないと思う。
伊予灘ものがたりで八幡浜へ行ったとき、京は九十九に、無理して話さなくてもいいと言ってくれた。そのときは甘えてしまったけれど、九十九は今、京に話したい。
京にも、知ってもらいたかった。
九十九は、できるだけわかりやすく、京に湯築屋について話す。京は騒いだりせず、真剣な表情で聞いてくれた。ときどき、ついていけなくて呆然としているけれど。
「まさか、そこまでオカルトやって、思ってなかったんやけど……」
一通り話を聞いて、京はどう反応していいのかわからない様子だった。
「信じなくてもいいよ」
「いや……さすがに、せっかく長年の秘密を打ち明けてもらえたと思ったら、こんな作り話やったなんて信じたくないというか……もっと、マシな嘘つかん? 普通?」
「まあ、そうだよね」
「前から、ゆづって変なとこあったけど……せいぜい、お父さんが白い犬とか、そんなところだと思ってたんやけど」
「携帯会社のCMじゃないからね!?」
だんだん軽口に変わっていき、顔を見あわせて笑う。
「そっかぁ……こんな話だったら、たしかに言えんかぁ……」
改めて、京は公園を歩きはじめる。空が暗くなり、木々に吊された果実袋が光り出す。まるで、木の実が輝いているみたいで、幻想的な雰囲気だ。
「すっごい知りたくて、何回かゆづの家に忍び込もうって計画したんやけど」
「え」
湯築屋の結界は、普通の人間を寄せつけない。宅配業者など、シロから許された目的がある場合以外は、そもそも湯築屋へ「行きたい」という気分にならないのだ。ちなみに、業者には幻覚を見せるので、普通の旅館だと思われている。
「そういう日に限って、なんか都合が悪くなって決行できんかったんよね」
「あー……それ、たぶん結界の効果かも」
京は目的を持って湯築屋へ入ろうとしたが、拒まれてしまったのだろう。しかし、「行きたい」と感じさせたということは、それぐらい京の思いが強かったのかもしれない。
「はー。すっきりした……で、ゆづ君」
京は清々しい表情で肩を回したあと、九十九の腕にしがみつく。なにがなんでも離さないという気配を感じて、九十九は嫌な予感がした。
「彼氏、じゃなくて、そのイケメンでビューティフォーな神様旦那のお写真プリーズ」
「そう来ると思ってたよ! 思ってたよね!?」
予感的中。九十九は京から逃げようとするが、もう遅い。京にガッシリホールドされたあとでは、抜け出せなかった。
「あるんやろ!? はよ出し!」
「ない! ないんだってば!」
こればっかりは本当だった。
シロの写真は一枚もない。
以前に一回だけスマホで撮ったけれども、あのときは天之御中主神が勝手に写り込んでいた。シロに見せたくないという思いで、九十九は勝手に写真を削除してしまったのだ。
だから、シロの写真は一枚もない。
そのことを、改めて思い出す。
忘れていたわけではないが、意識の外になっていた。九十九はシロの写真を一枚も持っていない。
また撮ろうかな……。
「嘘つけー!」
「ほんとですー!」
これについては、ちっとも京は信じてくれない。九十九は腕を絡めて抱きついてくる京を引きずるように歩き、「今度撮るから」と宥めるのだった。




