5.寂しい。
「燈火ちゃん!」
九十九は慌てて燈火を追いかけた。京もついてくる。
燈火が目指したのは、講堂の右側――浜中と、その友人たちが座っていた。
たしかに、「言いあったら」と京に指摘されたが、行動が早すぎる。燈火は臆病なようで、決めたときの瞬発力が高い。
近づいてくる燈火に気づいて、浜中たちの視線が集まる。浜中は一瞬だけ、露骨に面倒くさそうな顔を浮かべたが、すぐに愛想笑いをした。その表情の変化を見逃さなかった九十九は、やはり嫌な気持ちになる。
燈火だって、薄々気づいていたのではないか――。
「ボクの……消しゴム知らない?」
開口一番、問われて浜中は口を曲げる。
「知らないわよ。種田ちゃんさぁ、そんなこと聞きにきたの?」
浜中は苛立ちを隠さず、燈火をにらみつけた。対等な立場の友人ではなく、上から燈火をコントロールしようとする言い方だ。
京の言っていたことが正しかった。九十九まで、気分が悪くなる。
「燈火ちゃん」
行こう。もう関わらないほうがいいよ。
九十九はそう言って、燈火の手を引こうとした。
「ボクに言いたいことがあったら、直接……その……言ってほしい」
けれども、九十九が声を出す前に、燈火は浜中のほうへ歩み寄る。
浜中は怯んだように黙ったが、すぐにキツい表情で椅子から立ちあがった。
おどおどとしている燈火と、堂々と見おろす浜中。二人が向かいあっている様に、九十九もハラハラさせられる。
「盗ってねぇよ。知るか。つか、なんで今? 空気読め」
浜中は威圧するように、机をバンッと叩いた。燈火は肩を震わせるが、決して引きさがろうとはしない。
「……本当は知ってたんだ……浜中さんの、えっと……裏アカ」
燈火がぼそりとつぶやく。裏アカとは、裏アカウントの略。SNSで、こっそりと作ったアカウントだ。メインのアカウントとはわけて、別の運用をすることが多い。
裏アカと聞いて、浜中の顔が歪む。
「毎日、キツいコメントされるから、気になっちゃって……ガラスに反射して、顔が薄ら写ってたよ……加工かけないと、よく見えないから気づいてなかったと思うけど……」
燈火に指摘されて、浜中は反射的に自分のスマホを見おろした。
だが、その行動が図星だと気づいたらしい。本当に反射で顔が写っていたかいないかは関係ないのだ。反応した時点で、浜中は裏アカを使って燈火に嫌がらせのコメントを送っていたのを認めたことになる。
浜中は舌打ちしながら、スマホを机に置いた。
「気づいてたんなら、もうこれ以上、調子のんないでよ」
浜中は開き直った態度で腕組みする。
「ネットでイキってると、ムカつくんだよ。あんた自身には、なんの価値もない。それ、わかってんの?」
浜中は高圧的な態度で言葉を並べていく。まるで、説教でもしているようだ。燈火がどんどんうつむいて、背中を丸めていった。
「昔から変わんないよね。なに目立とうとしてんの? 身のほど弁えて、大人しくしてればいいのに」
黙って聞いていられそうになかった。
浜中の言っている内容は自己中心的だ。燈火は、やっと自分を表現できる場所を見つけたのに、どうして否定するのだろう。
小学生のころ、伊予万歳を貶したのだって、そうだ。彼女は燈火の行いにケチをつけたいだけでないか。
今だって、「身のほどを教えてやっている」という本音が見え透いている。意識的か、無意識的か、燈火を自分の好きなように動かしたいのだと思う。
「燈火ちゃんは――」
なにか言い返さないと気が済まない。九十九は我がことみたいに憤って、燈火の前に出ようとする。
「ボクは、目立ちたいわけじゃない!」
九十九が出張るよりも先に、燈火が声をあげた。
「好きなことがしたいだけ……」
泣きそうな声だった。
でも、燈火の叫びのようにも感じる。
「浜中さんと仲直りできたと思って、ボク嬉しかったんだ……お洒落な写真撮り方も参考になるし、文章だって綺麗だよ……ボク、浜中さんみたいになりたくて――」
「あんたのほうがフォロワー多くなったじゃん。小馬鹿にしないでよ!」
今度は浜中が声を荒らげる。
さっきまでの高圧的な態度が消え、焦っている――こちらが、彼女の本心だと思う。
「でも、いろいろ教えてもらったのは本当だし……」
「あたしの構図パクって、フォロワー増やしたくせに」
「さ、参考にしただけだよ。そもそも、ジャンルが違うし……それに、フォロワー数なんてボク気にしてない。たくさん反応もらえると、嬉しいけど……」
「あと、あたしの投稿全部にコメントつけてくるのイラつく。仲よしごっこさせられる身にもなってくれる!?」
「仲がいいと……思ってて……」
「だから、そういうのがわかんない」
浜中は大きなため息をつきながら、髪を掻き毟る。苛立ちをどう発散すればいいのかわからないようだ。
このままだと、喧嘩になる……今にも燈火につかみかかってきそうだ。
浜中も最初は、本当に燈火と仲直りするつもりだったのかもしれない。しかし、燈火に追い越された途端、嫌がらせをせずにはいられなかった。燈火と立場が逆転してしまうのが許せなかったのだろう。
自分本位だけど、理解はできる。
しかし、九十九に共感はむずかしそうだ。
そして、二人がわかりあえる気がしなかった。
「…………」
「…………」
燈火と浜中は、お互いに黙り込んでしまった。まだ言い足りないことはあるだろう。けれども、言ったところで無駄だと、気づいているのかもしれない。
浜中がため息をつきながら、席に座る。スマホをいじり、まるで燈火がそこにいないかのように振る舞った。周囲にいた友人たちも、余所余所しい態度でそれにあわせる。
「ごめん……」
燈火は小さすぎる声で言って、踵を返した。
そのま講堂の外へと行ってしまうので、九十九も追いかける。次の授業もあるので、単純に心配だった。京は肩をすくめながら、もとの席へ戻っていく。
「燈火ちゃん」
講堂から離れて校舎から出ると、燈火は立ち止まった。チャイムの音が響き、休み時間が終わったのがわかる。
いつの間にか、九十九の足元に白い蛇が這っていた。ミイさんだ。燈火の鞄から抜け出してきたらしい。
「本当はボク、わかってたんだ」
キャンパスの隅に座り込みながら、燈火が肩を震わせた。ミイさんがスススと前に進んで、燈火に近づいていく。
「でも……仲直り……できると思って……」
燈火は顔を両手で覆う。時折、袖で涙を拭きながら嗚咽を漏らした。
九十九がハンカチを差し出すと、「ご、ごめん……」と謝りながら受けとる。
『呪い殺そうか?』
ミイさんが、舌をチロチロ出しながら燈火に問う。純粋に悪気はない。ただ、ミイさんはできることを提示したつもりだろう。けれども、九十九はその恐ろしい問いに、ゾッと背筋を凍らせる。
「駄目だよ、燈火ちゃん」
ミイさんの問いは、神らしいと言える。神が報復をする神話は、世界中にたくさん残っていた。
人間とは違う道徳、価値観を持っている。
ときに、人に対して危うい選択を迫ることだって――。
「……ううん。そういうの、怖い」
ミイさんの問いに、燈火は首を横にふった。九十九が貸したハンカチが、落ちた化粧で黒ずんでいる。
九十九はひとまず安堵した。
「ただ……寂しいよぉ……」
燈火は絞り出すようにつぶやいて、うつむいた。
九十九は隣に座って、燈火の肩をなでる。
そうやって、しばらく泣き続ける燈火のそばに寄り添った。
九十九も、ミイさんも。




