10.お客様をお連れしました
鬼は妖にあらず、神にもあらず。
されど、神気と瘴気を併せ持つ、神秘の存在。
「ということで、お客様を連れて帰りました」
「ということって、どういうわけだい?」
玄関先でシレッと言うと、着物姿の登季子が仁王立ちのまま溜息をついた。
勝手に外出した九十九を叱るつもりでいたのだろうか。本当に鬼のような形相で待ち構えていた。そこへ、「お客様を連れて帰りました」などと言うものだから、どんな表情をすればいいのかわからなくなってしまったのかもしれない。
登季子は呆れたような、怒ったような表情のまま呆然と、後ろに立つお客様たちを見ていた。
一人は九十九と同じ学校の制服を着た少女。
もう一人は蝶の柄をあしらった着物の鬼姫。
「お、お邪魔します……朝倉小夜子と申します」
九十九の学校と同じ制服を着た少女――小夜子がお辞儀した。
分厚い眼鏡の下で、愛想笑いしている。制服から覗く手足が細くて儚げで、頼りない見た目の女子高生。喋り方も余所余所しく、落ち着かない。
地味だが、どこにでもいそうな印象だ。
「巫女、かい?」
登季子が訝しげに問う。
ここは湯築屋の玄関。
シロの結界の内側である。神気を持たない者は入ることができない。
つまり、小夜子は神気を操る存在。そのような存在は巫女や陰陽師、僧侶など。または、その家系にある者と限られている。
「いいえ。私は鬼使いです」
小夜子は俯きながら答える。
鬼使いは、鬼を使役する者だ。
使役と言っても従属させるわけではない。鬼と対話して、その能力を借りて神気を制御する――湯築の巫女と似たような存在だ。
「と言っても、鬼の神気を使ってなにかできるほど力も強くないんですけど……私にできるのは、せいぜい鬼と話をすることくらい」
小夜子はそう言いながら、隣に立った鬼を見た。
「左様。妾はこの娘に一片の力も貸したことはない。貸したところで、どうにもならぬ」
旅館の敷居を潜って、鬼が初めて口を開いた。
顔は面によって隠れているが、なんとなく、微笑んでいると思う。その様子から、彼女は人に害を成す、荒れ狂った鬼などではないと九十九にもわかった。
小夜子の言う通り、小夜子の力は微弱なものだ。同じクラスなのに、九十九が彼女を「同業者」だと気がつかなかったのも頷ける。
力ではなく、本当に対話のみで小夜子が五色浜の鬼を鎮めているのだとわかった。
「お母さん、シロ様はどこですか?」
登季子は一瞬視線を外した。
数秒して、「わかった。お客様をお通しして」と返ってくる。
「それでは、わたくしはこの辺りで……新曲の振り付けを覚えなくてはなりませんので」
天照は何食わぬ顔で手を振り、自分の部屋へ帰っていった。
去り際に「あとで宅急便の荷物は纏めておきますわ」と付け足され、九十九は頭を抱える。果たして、三種の神器を宅急便で送っても本当に大丈夫なのだろうか。
「じゃあ……お客様、こちらへどうぞ」
九十九は玄関へ上がると、私服のまま小夜子たちを旅館の中へと招き入れる。着物は着ていないが、接客モードのスイッチが入っていると自分でも感じた。
お客様を部屋に通したあとで、着物に袖を通す。
登季子は休んでいろと口煩いが、小夜子たちは九十九が招いたお客様だ。九十九が自分で接客するのが筋だろう。
「九十九」
振り返る。
身に纏った浅黄色の着物が揺れた。
「シロ様」
九十九の背後に立ったシロは、いつも通り。
銀色の髪が肩から落ち、琥珀色の瞳が九十九を覗き込む。白い着物も、肩から掛ける羽織も変わりはない。狐の大きな尻尾がもふりと九十九の手を撫でて、気持ちがいい。
五色浜で黒髪だった気がするのは……あれは、なんだったんだろう?
「アレを御する鬼使いか。なかなか興味深いな」
シロはいつもと変わらぬ様子で、小夜子たちを通した客室の方を見ていた。
なにか言われるかと思ったが、本当にいつも通りだ。身構えていた九十九は拍子抜けした。
「五色浜のお姫様のこと、お知り合いなんですか?」
「近所だからな、それなりに。前に会ったときは、儂の色が気に入らぬと言って、罵られたものだ」
「あー……シロ様、真っ白ですからね」
「アレがここへ来ることはないと思うておったが、我が巫女は鬼を口説くのも上手いらしい」
「口説くというか、なんというか……わたしは、なにもしてないです」
九十九はなにもしていない。
なにも。
「鬼も神も、気に入らぬ者など相手にせぬ」
九十九の気を察したのか、シロはポンと頭をひと撫で。
「でも、わたし。なにもしてないです……なにも、しなかったんです」
五色浜に棲みついた堕神は、人に害を成す存在だった。
それなのに、九十九は……堕神を完全に消滅させようとしなかった。壊すことができなかった。放っておけば、多くの人の害になるとわかっていながら。
なにもしていない。
なんとかしなければならないと行動したくせに、九十九は、なにもしなかった。
シロが全て引き受けてくれただけ。
「そのようなこと、あの鬼もわかっておろう。それでも、お前を気に入ってついてきたのだ。それは恥ずべきことではない」
「でも」
「そこまで後悔しておるなら、次は上手くやれるだろうさ」
次は上手くやる。
その響きに違和感を覚えて、九十九はシロを見上げた。
だが、シロは九十九の視線に気づかず、客室の方へと歩き出していた。
「客人をあまり待たせるなよ」
「……は、はい!」
九十九は慌てて我に返り、早足で前に出る。
「お待たせしました、お客様」
客室の襖を開け、九十九は丁寧にお辞儀した。
正座する九十九の後ろで、シロも大人しく腰を落としている。
「湯築さん……すごい、本当に女将さんみたい」
「そ、そうかな? ありがとう」
「すっごく綺麗だよ!」
「えへへ……」
客室にいた小夜子が感慨深そうに九十九を眺める。いつも制服姿しか見たことがなかったせいか、若女将として働く九十九の姿を想像できなかったようだ。
しかし、九十九の後ろにシロがいることに気がついて、さっと姿勢を改める。
力の弱い鬼使いとはいえ、シロが神様であることは、小夜子にもわかったらしい。少し緊張した様子でシロを見つめていた。
「此度は――」
「いいの、私に言わせて」
鬼が言葉を発しようと口を開く。
だが、それを遮って小夜子が首を横に振る。鬼は素直に黙り、小夜子をじっと見守った。
「このたびは……私の友達を助けてもらって、ありがとうございました」
小夜子は畳の上に正座しなおして、頭を下げる。接客慣れしている九十九に比べると動作がぎこちない。
「友達?」
思わず聞き返すと、小夜子はコクコクと頷いた。
緊張しているが、分厚い眼鏡の下の表情は真剣だ。
「私、根暗だから、そんなに友達いなくて……鬼が友達なんて、変かな?」
小夜子はもじもじと言い難そうに言葉を紡ぐ。しかし、必死。なんとか、言葉にしようとしているのが伝わってくる。
そんな彼女の肩を、隣に座った鬼が無言でそっと撫でた。
「ううん。変じゃないよ……!」
九十九は接客を忘れて、首を大きく横に振った。
「とても、素敵だと思う」
ごく自然に出てきた言葉に、自分でも驚いた。
鬼と友達なんて。普通はそう思うかもしれない。
けれども、幼いころから旅館で育ち、たくさんのお客様に囲まれて育った九十九には、なんとなく感覚が理解できた。
彼らは人とは異なる存在だ。
でも、だからと言って、わかりあえないなんてことはない。
きっと、わかりあえる。
わかりあいたい。
「蝶姫――あ、私がこの人のことを勝手にそう呼んでいるだけなんだけど。蝶姫は白い蟹をずっと探して五色浜を彷徨っている鬼なんだけど、人に危害を加えるとか、そんなことしたくないの。なのに……」
堕神に利用されて、瘴気を発してしまった。
怨念の対象である白い蟹が現れたことで、鬼は正気を保っていられなかったのだろう。不本意に暴走する力を制御できず、苦しかったのだと小夜子は語った。
「堕神なんて、私にはどうにもできなくて……」
「それで、我が巫女を焚きつけたということか」
シロが初めて口を挟んだ。
小夜子は委縮して、おどおどとした態度を更に小さくしていく。
「シロ様、そんな言い方しなくても」
「事実であろう? 九十九は利用されたのだ」
「シロ様ってば」
シロがはっきりと言い切るので、小夜子はシュンと項垂れる。
九十九は無言でシロを睨み、大きな尻尾を思いっきり引っ張ってやった。シロは無言で少し腰を浮かせて、「辞めてくれ」と目で訴えた。
「……ごめんなさい。クラスで、ずっと気になっていて。私よりもずっと力の強い人だから……」
「わ、わたしのことは気にしなくていいの!」
たぶん、口振りからしてシロは怒っているけれど。
「此度は、此方の都合で巫女を巻き込んで申し訳なかった。妾からも謝罪しよう」
小夜子の説明が一通り終わるのを待ったところで、鬼が口を開く。
凛としているが、鈴のように美しい声だ。きっと、歌声なども綺麗なのだろう。
なんとなく、小夜子の「蝶姫」という呼び方は彼女に似合っていると感じた。
「謝罪は結構。其方の都合も知れた。儂から言うことはない……今は客人として休まれよ。存分に持て成そう」
シロは、まるで用意していたかのようにスラスラと言いながら立ち上がる。
思ったよりも怒っていないのだろうか。
退席するシロの後を追うように、九十九も立ち上がった。
「ありがとうございます!」
「恩に着ます、稲荷神」
小夜子と蝶姫は二人で顔を見合わせ、笑顔を作る。
その様子を見て、九十九は一瞬、足を止めてしまう。
この二人は本当に「友達」なのだと、それだけで納得してしまう。
理解しあっている。
お互いを大切に想っている。
そんな気がする。




