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11.間違っているのか。

 

 

 

 湯築屋に降る雪は幻影だ。

 それでも、触れることができ、溶けていく。冷たさはなく、溶けた水は塵のように消えてしまう。

 松山は温暖で雨が少ないため、滅多に雪が積もらない。結界の外で、初めて雪に触れたとき、幼い九十九は驚いて声をあげたのを覚えている。そして、冷たい雪にいっぱい触ろうと、両手を広げて走り回ったっけ。結果、風邪を引いてしまった。

 湯築屋の露天風呂にも雪が降る。九十九は湯船に落ちる雪を、ぼんやりとながめた。白い雪は、舞うように水面みなもへとおりてくる。しかし、湯に触れた瞬間、消えていく。見慣れた幻影だ。

 白い湯気が立ち込め、視界が悪い。身体を動かすと、水面に緩やかな波が立った。

 ひたひたと、湯気の向こう側から足音がする。

 九十九は顔をあげて、浴場を歩く人物が近づくのを待った。


「あら、つーちゃん。まだ入っていたのかい?」


 カラリと笑ったのは、登季子の声だった。


「うん」


 雪をながめていたら、ちょっと時間が経っていた。湯築屋は、道後温泉の湯を引いている。温度調整も、本館と同じで熱めだった。あまり長湯をすると、湯あたりするかもしれない。

 九十九は、登季子と入れ替わるように、湯船から立ちあがる。

 しかし……足を止めた。


「あのね、お母さん」


 胸の中で、ずっと引っかかっている。


「なんだい?」


 登季子は湯に足だけ浸かり、九十九の隣に座った。九十九も、登季子と同じように座る。ずっと湯の中だったので、ごつごつとした岩が冷たくて気持ちよかった。


「わたしに、術を教えてくれませんか?」


 登季子からの指南は、大学を卒業してから。そういう約束だった。

 現在、九十九は夢の中で、初代の巫女・月子からの修行を受けている。主に、神気の流れを理解して、天之御中主神の力を使えるようにするためだ。

 シロと表裏の存在である天之御中主神と、湯築の巫女の関係は複雑だった。九十九はシロの巫女ではあるが、天之御中主神のものではない。だが、その力の一部を借り受けることはできる。

 代々の巫女が、天之御中主神の力も使ったという。だから、九十九も先代たちに倣って、月子に教えを請うている最中だ。

 けれども、湯築の巫女が扱う天之御中主神の力は……いわば、鍵だと知った。

 シロは湯築屋の結界という役割を持った神様だ。その結界――檻を開けるための鍵が、天之御中主神の力。つまり、シロを抑える、あるいは、天之御中主神の力を解放するための力だ。

 もちろん、神様ほどの強大な力はない。だが、万一、結界が揺らいだときの保険となる。

 そういう性質の力だ。

 ある意味、シロの巫女としては当然持つべき能力かもしれない。シロという神様の成り立ちは歪だ。月子が継ぎ手を担う理由もわかる。きちんと身につけるべきだろう。

 だけど。

 この力では、シロの役には立てない。


「わたし、シロ様の力になりたいんです」


 道後公園での戦いで、九十九はなにもできなかった。シロがいなければ、ただ怪我をしていただけだ。

 それに――。


「シロ様はなにも言ってくれなかったけど……わたしだって、馬鹿じゃないんです。今回のこと、たぶん……」


 わたしのせいだ。

 シロは誤魔化したけれど、今回、事件の引き金となったのは、九十九が原因だ。

 おかしいではないか。岩崎神社で眠っていた黒いミイさんが、いまさら動き出すなんて。強い感情に引き寄せられたと言うが、今までだって、そんな人間が近づく機会はあったと思う。

 九十九が、ミイさんを引き寄せてしまったのだ。

 神様の力を引き寄せるという、九十九の神気が影響している。

 神気は気配としてその場に残留することが多い。もちろん、触れたものにも。

 燈火のスマホを、九十九が触る機会はあった。大学で落としたのを拾った記憶もよみがえる。

 スマホに残留した九十九の神気と、SNSを通じて集まった黒い感情が複合して、ミイさんに影響を与えた。

 こう考えるのが自然だろう。

 だから、あれは九十九の引き起こしたことだ。

 シロはそれを悟られないよう、わざと話をそらしていた。


「つーちゃんに術を教えるのは、学校を卒業してから。これは、大学に入るときも相談したことだと思うんだけど」

「はい……でも、それでは遅いと思いました」

「仮に、あたしが教える術が使えるようになったとしても、その神気の特性をどうにかするのは別問題だよ」


 登季子が教えるのは、シロの力を依り代におろして駆使する術だ。退魔の盾のような術を、複数使えるようにする。

 決して、天之御中主神との関わりによって、変質してしまった九十九の神気をどうにかするものではない。直接の対処にはならないのだ。

 天之御中主神が力を制御するための肌守りを授けてくれた。しかし、それも充分ではない。九十九が自分で、力をコントロールしていくのが一番だ。


「わかってます。この力は、わたしがなんとかするものです。でも……少しでも、なにかできるように……せめて、誰の足も引っ張りたくないから……」


 変質してしまった神気に振り回されず、制御することが最優先だ。


「そのためにも、わたしは早く一人前の巫女になりたいです」


 総合的な力を高め、一人前になりたい。

 なにか起きたとき、誰かに頼ってばかりでは駄目だ。

 九十九は一生懸命に、若女将をやってきた。しかし、湯築の巫女という役目を、まだ満足にこなしていない。


「おねがいします」


 九十九はていねいに頭をさげる。冷静に考えれば、お風呂から出てからでもよかったかもしれないけれど、思い立ったら行動したかった。

 長い沈黙のあとに、やがて登季子のため息が聞こえる。


「わかった」


 九十九が顔をあげると、登季子は微笑みを返した。


「シロ様がなんか言うかもしれないけどね」


 そうかもしれない。実際、シロは九十九に発言した「引」の力を、快く思っていなかった。今回だって、見え透いた方法で隠そうとしている。


「もともと、卒業してからって約束も、九十九にきちんと進路を選んでほしくて、そうしていただけだからね」


 登季子は、湯築の巫女になるはずだった。けれども、シロの妻にはならなかった。

 幸一との結婚を選び、普通の女性として生きる――そんな選択をしたのは、登季子が初めてだ。

 だからこそ、登季子は九十九に負い目を感じていた。登季子と違って、九十九にはその選択肢が与えられていない。

 それでも、登季子は九十九にできるだけ自由に生きてほしいと望んでいる。修行よりも学業を優先させるのは、そのためだ。

 九十九だって、わかっている。

 登季子は、決して九十九を甘やかしているわけではない。むしろ、九十九のわがままで、登季子の厚意を無下にしている。


「ありがとう、お母さん……ごめんなさい」


 そう、目を伏せる九十九の頭を登季子がなでる。


「あたしは、あんまり母親らしいこともしてないからね」


 登季子は湯築屋にほとんどいない。だが、九十九は登喜子が母親らしくないとは思ったことがなかった。いつも活発で頼もしいお母さんだ。


「しばらく、湯築屋に残るよ」


 登季子は言いながら、九十九の身体に手を回す。すっかり油断していた。不意に抱きつかれて、そのまま湯船に滑り落ちる。ザプーンッと、いい音を立てながら。


「お、お母さん!」

「あーははは。こういうの久しぶりじゃないか」


 登季子は笑って、湯を九十九の顔目がけて飛ばしてきた。直撃を受けて、九十九は「ぶべっ」と不細工な声をあげてしまう。


「も、もう!」


 こうなったら、応戦だ。九十九は平手で、水面をバシバシ叩く。弾け飛ぶ湯が、登季子の顔へとふりかかった。

 親子と言うより、友達とのお風呂だ。

 でも……登季子と、こんな風に笑えるのが久しぶりで、なんだかとっても楽しかった。




 人は変わらぬ生き物だ。

 しかし、変わっていく生き物でもある。

 短い期間に、目覚ましい変化を見せ――いなくなっていく。

 湯築屋で、一番高い場所。

 ずっとそこに在り続ける大樹の枝で、シロは息をついた。独りで考えごとをする際は、たいていこの場所だ。

 季節によって、桜だったり、銀杏いちょうだったり。そのときどきによって趣が違うが、場所は同じだ。否、これもシロの幻影の一つなので、変化させようと思えば、好きにできる。

 クロガネモチが赤い実をつけていた。そういえば、幼いころの九十九は、これを「クリスマスの木!」と呼んでいたか。赤と緑の色合いが、まさにクリスマスカラーだからだろう。リースの素材にも使う。

 そんな風に無邪気に笑って、シロの尻尾で遊ぶのが日常であった。膝にのり、お菓子を一緒に食べたり、昼寝をしたりしていた。

 いつから、九十九はシロの尻尾で遊ばなくなったのか。膝の上にのせようとして、拒まれたのは何歳か。

 あっという間に、「女」と呼べる歳になってしまった。

 シロにとっては、一瞬なのに。その間に、九十九はすっかり変わった。


 ――わたしに、術を教えてくれませんか?


 シロは湯築屋の主であり、結界そのものでもある。無意識的に、湯築屋での会話やできごとは、すべて把握していた。無論、「聞くな」と言われれば遮断することもできる。

 盗み聞きするつもりはなかったのだが、九十九の発言にシロは驚いた。

 そして、脱力する。

 九十九はシロの巫女だ。シロが庇護するのは当然で、役に立ってほしいなどと考えたこともなかった。

 今回だって――九十九が悩む必要などないのだ。

 だが、シロが上手くやれていない自覚もある。

 九十九の変化から目を背け、八股榎大明神の堕神を活性化させてしまった。あまつさえ、天之御中主神を結界から出さざるを得ない始末だ。

 今宵も、きっと九十九に悟られてしまった。だから、あんな風に危険へ飛び込ませることになったのだ。


 ――わたし、シロ様の力になりたいんです。


 要らぬ。その必要などない。

 九十九を庇護するのは、シロの役割だ。九十九がシロの力になろうなどと、考えなくてもいい。

 九十九は変わっていく。

 神気だけではない。

 どんどん、シロの知らない一面を見せるようになっている。

 シロは――ずっと変われないのに。

 神となってから、なにも変わっていない。

 ただ、この結界とともに存在し続けるだけ。


 ――天之御中主神様と……一度、お話ししませんか?


 その必要はない。

 永いときを過ごしたシロにとって、それは無意味な提案だ。いまさら、なにも変わらないし、変われない。天之御中主神と対話したところで、なんになる。

 必要ない。

 ただ……。

 力になりたいとねがう、九十九の気持ちを無下にするのは、心が痛かった。あれは一生懸命な娘だ。シロが拒めば落ち込むだろう。そして、また別の方法でぶつかってくる。そういう娘だ。

 そこが愛しくもある。

 だから……九十九のねがいを見守りたい気持ちも強い。彼女の好きなようにさせてやりたくもある。


「儂は間違っておるのか」


 額に手を当て、浅く息を吐く。

 それでも考えはまとまらず、ただ悶々と巡るだけ。


   

 

 

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