7.この駄目神様!
燈火ちゃんが危ない!
察知して、九十九は湯築屋を飛び出していた。シロの傀儡も一緒だ。
「え、ここ……?」
前を走るシロの傀儡が入ったのは、道後公園だった。広い丘陵地の公園で、もとは中世に栄えた河野氏の城跡だ。発掘調査も進んでおり、出土品の展示や武家屋敷の再現もされている。
現在は夜だが、オンセナートの一環で「ひかりの実」イルミネーションが実施されているはずだ。毎年好評のアート展示で、人もそれなりに集まると記憶している。
深夜ならともかく、まだ展示は続いていた。そんな場所で襲ってくる脅威があるなんて。周囲の人も巻き込まれているのではないか。
「結界……否、人除けか」
公園へ入った瞬間、シロの傀儡が立ち止まる。
「なにかあるんでしょうか」
「人を遠ざける術……術とも言えぬな。空気だ」
空気などと、ふわっとした言い回しをしたのは、それが術の類ではなかったかだろう。神様の発する威圧感に近い。常人であれば、「危険を察知して近づきたくない」と、本能的に感じるなにかだった。そういう気配を無意識に発する、「なにか」がいる。
言われてみれば、九十九も背筋に悪寒が走った。木のドームとなった道筋には、色とりどりのライトが見えるが、ちっとも楽しい気分にならない。早く帰りたいと感じていた。
「獲物を呼び寄せ、他を退ける気配。巧妙だな」
「感心している場合ですか……」
「感心はしておらぬ。人目を気にせずともよさそうで、好都合ではないか」
たしかに。それに、燈火以外の人間が巻き込まれる可能性も低い。
しかし、裏を返せば……ここに呼び寄せられた燈火は、気のせいなどではなく、疑いようもなく狙われている。無差別ではなく、罠のように計画的ということだ。
ますます燈火が心配になった。
九十九は、シロの傀儡と一緒に先へ進む。すると、闇の中から誰かの悲鳴が聞こえてきた。女の人……きっと、燈火だ。
九十九は足を速めた。
「待て、九十九」
不意に、シロが九十九を呼び止める。が、急には止まれない。
「え……?」
そんな九十九の身体に、なにかがぶつかった。
木が倒れてる……?
なにかが、道を塞ぐように横たわっていた。
「う、動いてる……!」
けれども、九十九はそれが動いているのに気がついてしまう。表面は硬いなにかで覆われているが、丸くて太い。
なにか大きな生き物の胴体みたいだった。
「さがれ」
怯む九十九の身体を、シロの傀儡がうしろから引き寄せる。腕がひんやりとしているのは、寒いからではない。使い魔と違って、傀儡には生命が宿っていないのだ。あまり人間味を感じないので、九十九はなんとなく、この傀儡が好きになれなかった。
だが、そんな好き嫌いを言っている場合ではない。シロの傀儡は、九十九を軽々と持ちあげて、後方へ跳び退る。
「いったん退く」
「は、はい……」
人間味が薄い傀儡のはずなのに、うしろから抱きしめられ、耳元で囁かれると、くすぐったい気分になる。こんなときなのに。
しかし、これはいったい……。
九十九はゆっくりと動く胴体を視線で辿った。胴体の直径だけでも、人間の背丈以上の太さがある。それが道後公園の丘を横断するように横たわっていた。
真っ黒で、表面に鱗のようなものが確認できる。
蛇?
「あ! シロ様! 止まってください!」
シロは、九十九を抱えて逃げようとしている。だが、九十九は傀儡の腕をつかんで、待ったをかけた。
「燈火ちゃん!」
九十九は精一杯、大きな声で燈火の名を呼ぶ。
聞こえたのだ。たしかに、道の先から誰かの声が聞こえた。
「ゆ……湯築さ……ん……?」
弱々しいが、九十九に応える声がある。
燈火だ。
けれども、シロは九十九を抱えたまま離してくれなかった。
「シロ様、燈火ちゃんがあっちに!」
「ならぬ」
どうして! 批難の視線を向けるが、シロの傀儡は淡々としていた。
「これは妖などではない。神の類……儂は九十九を優先する」
それを聞いて、九十九は愕然とする。
わたし、お荷物なんだ。
直接、告げられていないが、シロの言葉はそう示していた。燈火と九十九、両方を守ることができない――シロにとって、九十九は庇護対象だ。
足手まといでしかない。
九十九には、登季子のような術は使えなかった。まだ退魔の盾を出したり、自分の力を結晶にしたり、小さなことしかできない。
シロは湯築屋の結界では、どんな神をも凌駕する。しかし、とても限定的な条件だ。今、この場では、他の神を脅かすほどの力を発揮するのは無理だ。
相手は気配だけで、人を寄せつけぬ圧を放っている。日本神話の神々のような強さはないが、傀儡の身であるシロが簡単に御せる相手ではないだろう。
「九十九を公園の外に出したら、それから向かう」
シロは九十九を安心させようとする。
「た……助けて……」
しかし、か細い燈火の声が聞こえた。
やっぱり、襲われている。助けが遅れたら、どうなってしまうか。
九十九はキュッと唇を引き結んだ。そして、首にさがった肌守りを握りしめる。
シロの肌守りと、天之御中主神の肌守りだ。
「あれは、神様なんですよね……だったら、わたしだってお役に立てると思います!」
根拠はないが、九十九は啖呵を切った。
天之御中主神の力に触れたことで、九十九の神気には変化が生じている。神様の力を引き寄せてしまう力。その制御のために、天之御中主神は肌守りを授けてくれた。
九十九は、無自覚にこの力を使ったが、まだ一度も自分の意思で使用したことがない。
それでも、今は「できなきゃいけない」と思う。
友達が危ないんだから。
「わたしが力を引き寄せれば、あの神様は弱くなるんじゃないですか!」
「九十九に危険な真似はさせられぬ」
シロは譲らなかったが、九十九もあきらめる気はない。
「そのような力、御さなくともよいのだ……」
吐き出すような台詞は、シロの心情を吐露していた。傀儡は表情があまり変わらないのでわかりにくいが、シロは寂しそうな顔をする。
「…………」
シロ様に、こんな顔させたくない。
でも。
「わがまま言わないでください! 駄目神様!」
九十九は身体を大きく揺らして、傀儡の腕を振り解いた。
「つ、九十九……」
九十九は自らの足で字面に立ち、シロの胸ぐらをつかんだ。すごくガラが悪いが、こうしなければ気が済まない。
「わたしは! シロ様の巫女で、妻です! 天之御中主神様のものなんかには、なりません! これは、わたしの力なんでしょう!? だったら、使いこなすしかないじゃないですか。いつまでも、うじうじしないで、そろそろ割り切ってもらわないと困るんですよ!」
シロは九十九に、引の力を使ってほしくないのだ。これが天之御中主神の影響で強まった神気の力だから。九十九が天之御中主神によって変わっていくのを、認めたくない。
その心理は重々理解している。
けれども、そんな場合ではない。
「儂は」
シロの傀儡は、明らかに動揺した様子で顔をそらした。九十九は、そんな傀儡の顔を両手ではさむようにつかみ、無理やりこちらへ向ける。
しっかりと、見てほしい。
わたしは、あなたの巫女なんだから。
「でも、わたしだけじゃなにもできないので、助けてください。おねがいします」
九十九の力で相手を弱らせたって、そのあとなにもできない。
シロの力は絶対に必要だ。
「わたしのせいで、誰かが傷つくなんて、もう嫌です」
お袖さんは、九十九のせいで倒れてしまったのだ。すぐに元気になったが、しばらくは湯築屋で療養していた。
九十九の力が引き起こしたことだ。
今は……九十九が動かなければ、燈火が危ないかもしれない。
睨むような視線で、九十九はシロの傀儡をまっすぐ見据えた。
シロは、しばらく九十九と視線をあわせない。湯築屋にいる本人も、どうすればいいのかわからないのだろう。
だが、やがてゆっくりと、九十九を見た。
「わかった」
傀儡の瞳の奥に、シロがいる気がした。




