1.影に追われる。
新章更新です。
書籍8巻は双葉文庫11月刊で発売予定!
カツカツと、踵がアスファルトを叩く。
響く足音は一つだけ。底が厚いブーツのせいか、やけに大きく感じた。
民家から漏れる暖かな光や、街頭に照らされる夜道は、決して暗くはない。だが、昼間の明るさに比べたら心許ないのには違いなかった。
「…………」
種田燈火はピタリと足を止め、一度周囲を確認した。
こっち……見られてる……。
何者かの気配を感じ、燈火は固唾を呑んだ。皮のショルダーバッグを左手でギュッとにぎりしめながら、右手でスマホのライトを点灯させる。LEDの明るいライトを、電柱の陰に向けた。
しかし、誰もいない。
たしかに、気配を感じたのに。
ざわりと全身が粟立つような視線だった。ねっとりと、絡みつくような悪意だ。こういうのは、薄らと覚えがあった。
これは、よくないもの。
燈火は本能的に危険を察知して、歩調を速めた。
大学で知りあった……いや、友達になった湯築九十九さんは、神様や妖について、いろいろ教えてくれる。悪いものばかりではない、安心して大丈夫、と。
でも、今、燈火の感じている視線は明らかに違う。九十九の紹介で出会った神様たちとは、決定的に異なると確信した。
根拠はないけど……。
「う……」
燈火は歩幅を徐々に広げ、やがて走り出す。早く家に帰ってしまいたかった。家が安全という保証はないけれど、早く家族の顔を見て安心したい。
だが、そんな燈火を、何者かは追ってくる。足音もしなければ、姿も見えない。が、たしかに気配がした。
「はあ……はあ……ッ」
日頃の運動不足が祟っている。厚底の革靴では、あまり長く走れなかった。お洒落でつけている腰のチェーンや、長くて重いドクロのピアスが邪魔をしてくるようだ。捨ててしまおうかと思ったが、外す時間が惜しい。
どうしよう。
燈火は途方に暮れて、スマホを見おろした。九十九に電話して、どうすればいいか聞いたほうがいい。きっと、なにか対処法を知っているはず――。
けれども、慌てて手が滑ってしまう。ゴツゴツとしたアスファルトの上を、勢いよく燈火のスマホが転がっていく。ストラップも弾け飛んで、どこかへいってしまう。
「あ……」
落としたスマホを追って身を屈める燈火の視線の先に、白い光が見えた。
浄化されるような真っ白。
新雪を思わせる、純白の着物だった。まるで、結婚式の花嫁みたいな清廉さがある。灰色の髪は長くて、地面についているのに、まったく汚れていない。毛染めのようなムラがなく、ごく自然な色なのが不思議だった。
綺麗……。
惚けてしまう燈火を見おろす顔も、また美しかった。白い着物や長い髪は女性的なのに、こちらを向く顔は青年のものだ。灰色の瞳は神秘的なばかりではなく、瞳孔が縦に長くて、ゾクリとする。
人間じゃない。
九十九に教えてもらった、「神様」の類だと直感した。名前なんてわからないし、どんな相手かも知らない。
ただ、悪い神様ではない、という確信があった。
「た、助けて、くだ、さい……ッ」
燈火はとっさに声をあげる。上手く口が開かなくて、噛み噛みになったが、なんとか言えた。こんなときにまで発揮されるコミュ障がツライ。
白い神様は、黙ったままだ。じっと、燈火を観察している。
む、無言は……キツイ……。
沈黙の状態が続き、燈火は居たたまれなくなってきた。誰かと無言のまま見つめあうなんて、上級コミュ障にはレベルが高すぎる苦行だ。
なのに、目をそらせなかった。白い神様の不思議な視線に、吸い込まれていく。
「あ、あの……なんか、その……ボク、追われ……追われてるみたいで……」
あたふたとする燈火のほうへ白い神様が歩み寄ってきた。そして、色素の白い手を伸ばす。
思ったより、たくましい手。そう考えているうちに、白い神様が燈火の肩に触れた。
その瞬間、身体中に感じていた、まとわりつくような重圧から解き放たれる。ねっとりとした悪意の鎖が千切れ、全身が軽くなっていく。
助かった……?
「ありがとう、ございます……」
なにが起こったのか把握できないが、さっきまでの恐怖や緊張感が消えている。たぶん、この神様のおかげだ。燈火はどっと疲れた気がして、地面に座り込んでしまう。
「は、あ……ありがとうございますぅ……」
やっと、すんなりと噛まずにお礼が言えた。
燈火は安堵しながら、再び白い神様を見あげる。
「あれ?」
だが、そこには誰もいなくなっていた。
道を照らす街頭が、チカチカと不気味に点滅しているだけ――。




