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8.気のせいです。

 

 

 

「ん……」


 すぐに瞼を開くと、視界の色が変わっていた。

 庭を埋め尽くしていた色とりどりのコスモスは、さわさわと揺れるススキに。縁側が消え、代わりにちょうどいいサイズの岩に座っていた。


「わあ……」


 藍色が広がっているはずの空は、白かった。

 大きな月が青白い光を湛えている。

 月子と会う夢の中と――彼女が死に、シロが誤った日の月に、よく似ていた。

 綺麗な満月に、九十九は息が止まりそうになる。

 もちろん、本物ではない。ここは湯築屋だ。


「シロ様、いいんですか……?」


 シロの幻影で作り出した景色である。彼がずっと避けてきた、息を呑むほど美しい月が出る幻。


「あまり長くは維持できぬがな」


 シロは、やはり寂しそうな顔をしていた。それを隠そうとしているのか、下を向いてしまう。墨色の髪が落ちると、シロの表情はよくわからなくなった。

 九十九は不意に、シロの髪に手を伸ばす。

 もっと、シロ様を見たい。

 髪に触れた瞬間、墨のような黒が銀に煌めいた気がした。ガラスが反射するみたいだ。天之御中主神の髪を洗っているときも、このような光を放つ瞬間があった。

 カーテンのようにさがった髪を、シロの耳にかける。

 シロはゆっくりと、九十九に視線を向けた。

 ち、ちか……。

 この距離で、しっかりと目があうと、急に恥ずかしくなってくる。そんな九十九の気持ちを察したのか、シロの唇がニヤリと弧を描く。


「儂の顔を見ようとしたのではないのか?」

「み、見ようとしてません! 髪に、ゴミがついていたので!」


 適当に誤魔化すが、なにも誤魔化せていないだろう。九十九は急いで、シロと距離をとろうとする。

 けれども、シロは九十九の手首をつかんで離してくれなかった。逃がしてくれなさそうな雰囲気だ。


「し、シロ様……月見団子食べましょう。月を見ながら!」

「月はいいから、九十九を見ていたい」


 あ、調子にのってきた。

 駄目なやつだー……九十九は、なんとかシロの手を解こうとする。


「九十九のほうが、何倍も美しいからな」

「またまたぁ、そんなことばっかり言って……」


 けれども、わずかにシロの手が震えているのに気がついた。九十九の手をしっかりとつかんで……すがりついているようにも感じる。

 やっぱり、怖いんだ。

 こんな幻影を出して無理をしているけれど、シロはまだ月が怖いのだ。気づいてしまうと、九十九の身体から力が抜けていく。

 もう片方の手で、墨色の髪に触れた。なでるたびに、反射するみたいに銀色が煌めく。

 嫌なことをさせてしまっただろうか。

 しかし、性の悪い女かもしれないけれど……シロが九十九のために月を見せてくれたのが嬉しかった。一緒に見たいと思った九十九の気持ちを尊重してくれたのが嬉しかったのだ。

 いっそう愛しく感じて、九十九は思わずシロの頭を抱きしめた。途端に、やっぱり恥ずかしくなってきたので、絶対にシロと目をあわせないよう、両手に力を入れる。

 心臓の音が大きい気がした。

 シロにも聞こえていると思う。


「九十九?」


 シロが不思議そうに、九十九の着物をつかんだ。けれども、やがて、優しく背中に手を回される。

 なにやってるんだろう。これから、どうすればいいんだろう。この次、どうしたらいいの? わたし、このままじゃまずいのでは?

 頭の中はぐるぐると思考が回るばかり。九十九は動けないまま、シロの頭を固定し続けた。もはや、ここまでくると、押さえつけている。


「九十九のほうから誘っておいて、それはないのではないか?」

「い、いいんです!」


 ぐぐぐっと腕に力を入れて、シロの頭を押さえ込む。

 だが、ふっと感覚がなくなり、力の入れどころがわからなくなる。シロが一度霊体化したのだと気づいたときには遅い。

 再び現われたシロの顔は、九十九のすぐ間近に迫っていた。


「儂は月よりも、九十九を見ていたい」


 声と一緒に、吐息が顔に触れた。

 それを感じて、九十九は身体を震わせる。逃げたくても、逃げられない。


「なによりも、美しい我が妻だからな」


 シロが九十九の前髪に触れる。指先が髪と額を滑っていくみたいだ。


「シロ様のほうが……お綺麗だと思いますけどね」

「儂がイケメンなのは否定せぬが」


 やっぱり、そこは否定しないんですね。


「だからと言って、九十九の美しさが減るわけではなかろう?」


 たしかに、シロが綺麗だからと言って、九十九の美醜には関係ない。

 でも、九十九はシロに「美しい」なんて言ってもらえるような顔ではないと思う。不細工とまではいかなくても……ごく一般的ではないか。

 けれども、シロでけではない。神様たちは、みんな九十九を美しいと褒めてくれた。


「九十九より心根の美しい者を、儂は知らぬよ」


 神様たちが見ているのは、表面上の美醜ではない。

 彼らは常に本質を見ているのだ。

 九十九の心根。

 それが本当に、美しいものなのか、九十九にはどうだってよかった。シロから、そう言ってもらえることに、価値があるのだと気づかされる。

 心がくすぐったくて、居心地悪くなってきた。


「シロ様……あまり見られたくないです。恥ずかしいので、目を閉じてもらえませんか」

何故なにゆえ

「恥ずかしいと言っています。三秒でいいので!」


 そう伝えると、シロはつまらなさそうに唇を尖らせる。


「では、三秒だぞ。三秒経ったら、拾って食すからな」

「いや、三秒ルールはどうでもいいので」


 シロの瞳が閉じられた。


 一。


 二。


 一秒が、ゆっくりと刻まれていく気がした。


 三。


 シロの目が開く前に、九十九は身体を前に倒す。


「…………」

「…………」


 触れたかどうかも、よくわからない短い時間だ。

 月に照らされたシロの顔は、ポカンとしていた。なにが起きたか認識できず、放心しているようだ。

 一方の九十九は、恥ずかしくて思わず自分の唇を両手で覆い隠した。


「九十九、今儂に接――」

「してないです」

「否、嘘だ。絶対に――」

「気のせいです」

「もう一回だ。もう一度!」

「嫌です」

「やはり、したのだな?」

「うるさいですよ!」

「よし、儂が改めて大人の接吻くちづけというものを教えてやろう」

「調子にのらないでください、駄目神様!」


 しつこく食い下がるシロの顎に、アッパーが決まった。

 うしろへ身体を仰け反らせて倒れるシロを横目に、九十九は残りの月見団子をいただくことにする。

 幻とはいえ、青白くて大きな満月とススキの草原は美しく。

 口に入れた団子の甘さに、身体も癒やされて。

 シロが月を少し克服できたのは、充分に喜ばしい。ずっと囚われていた鎖の一つが外れたのだと思える。

 そうやって、一つずつ解決していけないだろうか。

 きっと、天之御中主神とのわだかまりも解けると思う。この二柱は、今の関係をずっと続けていていいわけがないのだ。

 そうではないと、シロはずっと傷を背負っていくことになる。

 天之御中主神を赦せず、自分も赦せず。

 九十九は永遠を生きられないけれど……この問題をシロに残してほしくない。

 解決するのが、九十九の役目なのではないかと考える。

 寂しいけれど、シロのためになにかを遺したい。

 これからのことは、ゆっくり考えればいい。

 考えればいいが、これでいいのか自問してしまう。

 

 

 

21章の更新は7月か8月の予定です。


「道後温泉 湯築屋7 神様のお宿で、ふたりだけのお月見です」(双葉文庫)

5月13日頃発売です(地域差あり)

書籍版は全面改稿+碧さんの書き下ろし短編が収録されます。

よろしくおねがいします。

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